七日目(2014/06/14) 蔦木~上諏訪の手前


この日の行程


蔦木-12.4 km→金沢-11.2km(23.6km)→上諏訪の手前


この日(平成26年6月14日)も午前4時起きして、三鷹駅4時58分発の電車にのり、立川、大月、甲府で乗り換え、午前8時8分信濃境駅に到着、前回の中断地点蔦木宿本陣跡に向けて、坂を下りました。この日はいいお天気で左手に富士山がくっきり見えました。この方角から見る富士山が一番綺麗だと思います。標高差約200メートルを下りて時計08:47:17蔦木宿本陣跡に到着しました。


蔦木宿


本陣門の裏、与謝野晶子歌碑「本陣の 子のわが友と いにしえの 蔦木の宿を 歩む夕暮れ」を確認、隣の明治大帝駐輦跡碑、JA信州諏訪蔦木の御膳水、その傍らにある与謝野晶子歌碑「白じらと 並木のもとの 石の樋が 秋の水吐く 蔦木宿かな」を確認しました。


その先を左折、北の桝形跡を辿り、右手の桝形道址碑を確認、道なりに右折、Y字路を左に進み、常夜燈、道祖神を確認、その前を右折し、富士見町指定天然記念物の川除古木を確認、国道20号線への突当り手前左の草道に入り、芭蕉との合同句碑「川上と この川下や 月の友」を確認、左手に二本杉を見ながら草地を進み、さらに進んで国道20号線に合流しました。


国道20号線の歩道側を、岩田屋建材事務所、岩田屋建材砕石工場を見て進み、左の下り坂、落合旧道に分岐して進みましたが、動物よけの電流ネットに行く手を阻まれ、分岐点まで戻って国道で迂回、旧道との合流点で道祖神、奥に庚申塔、甲子塔を確認、左手に諸水橋を見て、火の見ヤグラの所で国道を横断、道下で平岡の一里塚を確認しました。一里塚碑。日本橋から四十六里目です。時計09:41:00


先に進んで、一本杉先、斜め右の上り坂に入り、分岐点の斜め左の奥にある明治天皇巡幸御野立所跡碑を確認、坂を上り、大きく右に曲がり、火の見ヤグラの下の甲子塔、男女双体の道祖神を確認、火の見ヤグラの前の変則Y字路を左に進み、緩い坂を下り右手石垣上の二基の馬頭観音を確認、突き当りT字路を右折、左手の諏訪百番順拝供養塔を確認して母沢川を渡り、旧机村に入りました。


さらに進んで、明治六年開校の富士見町立落合小学校を通り、となりの富士見町消防団大八分団の手前左に入ったところで忠魂碑と愛馬出征記念碑を確認、矢の沢二号橋を渡り、左に曲がり、次に右に大きく曲がり急坂を下り、文政四年の大勢至菩薩を確認、坂を下り切り、瀬沢大橋交差点を横断、国道20号線を進み、瀬沢大橋を渡り、渡り詰を左折、すぐ先を道なりに右折、次に民家前のT字路に突き当たりを右折し、旧瀬沢村に入りました。

三つ目のY字路を右に100m進み、国道20号線を地下道で横断したところで瀬澤古戦場跡碑と解説を確認、三つ目のY字路に戻って左折、坂を上り、小川を渡り、T字路の突き当たりを右折し、かなりな急坂を上り、左手には馬頭観音や甲子塔などを確認しました。右手には八ヶ岳がよく見えました。


さらに進んで、左手擁壁上に享和二年の観音菩薩を確認、大きく左に曲がり、上り坂の林道を歩き、正面高台の知的障害者入所厚生施設清明会しらかば園、お地蔵さんや石塔を見て進み、小川を渡り、旧瀬澤村(落合)から旧とちの木村(富士見)に入りました。橋を渡ったところの左手に小さな水神さまを確認しました。


旧とちの木村の緩やかな坂を上り、村の外れにある災厄抜除の女神瀬織津姫を祀る尾片瀬神社に参拝、境内にある多数の石仏石塔を確認、神社の隣の小さな石祠の道祖神、複数の男女双体道祖神を確認、さらに先に進み右手に双体道祖神群を確認、右手にとちの木風除林(富士見町指定天然記念物)を確認しました。甲州道中の坂を下る北風を遮断するために植えられたそうです。


先の右手で重修一里塚の北塚を確認しました。塚平の一里塚とも呼ばれています。日本橋から四十七里目です。一里塚元の道祖神、傍らにある標高950m標識を確認しました。時計11:21:38


街道はT字路に突き当たり左折、一本目の舗装路を右折、途中から砂利道に変わり、右に大きく曲がり、舗装路の旧道と合流しました。合流点で原の茶屋標識を確認しました。


T字路を左に折れて旧原之茶屋村を進み、右手、富士見公園内の芭蕉句碑「眼にかゝる ときや殊更 五月不二」、伊藤左千夫歌碑「寂志左乃極尓堪弓天地丹寄寸留命乎都久都久止思布(さびしさの きわみにたえて あめつちに よするいのちを つくづくとおもふ)」、そのほか松丘句碑、斉藤茂吉歌碑、ゝ山歌碑、島木赤彦歌碑や高尾神社を確認しました。


先に進み、右手の原の茶屋公民館敷地内にある明治天皇駐驛之所碑、明治天皇御膳水跡碑を確認、その先右手にある文化八年の金毘羅神社常夜燈を確認、カゴメ富士見工場の高い擁壁下を進み、左手にある道標兼奉納念仏供養塔を確認、先のY字路を左折、左の旧道を進み、さらに急な坂を下り、左手にある庚申塔、千庚申塔、筆塚を確認、洗坂を下り、右にヘアピン状に曲がり、右手段上に明治十五年(1882)の富蔵山碑を確認、洗坂を下り切って国道20号線に合流しました。


国道20号線を進み思沢川を渡った右手に小川平吉先生生誕之地碑を確認しました。左書きだった駅名標をすべて右書きに改めさせた国粋大臣と言われた人だそうです。

御射山神戸交差点を左に入ったところで曹洞宗瑞雲寺の鐘楼門を確認、先の神戸八幡交差点の左にある神戸八幡社に参拝しました。社殿は宝暦十二年、社殿脇のケヤキは樹高30mで推定樹齢三百九十年、富士見町指定天然記念物だそうです。


さらに国道20号線を進み、左上り坂の旧道に入り、分岐点の馬頭観音を確認、石塔石仏群のところで左に入り、突き当たりのY字路を左に進んだところの畑の辺り一帯が神戸合戦跡(武田信虎と諏訪頼満の戦い)だそうです。


元に戻ってさらに坂を上り、御射山神戸の一里塚を確認しました。日本橋から四十八里目です。両塚が残っています。時計13:10:51


金沢宿


セイコーエプソンの施設を左に見て進み、右下にある大きなゆるぎ石を確認、坂を下り、右手にある欠けた馬頭観音、その先の寛政七年の供養塔、道祖神、庚申塔を確認、さらに下って左手にある欠けた馬頭観音を確認、旧道正面に国道20号線が見えたところの左手段上にある馬頭観音を確認、国道20号線の突当りにある金沢上町常会所が金沢宿東口です。当初、青柳宿が権現の森の西側にあったが、度重なる宮川の氾濫や慶安の大火により、高所の現在地に移転、金沢宿と改称されたそうです。時計13:53:10


宿内を横切る川を渡って中町に入り、左手段上にある金比羅神社を眺めて過ぎ、先の左手にある曹洞宗金鶏山泉長寺山門右手にある、おてつき石を確認しました。参勤大名や藩主の通行の際に、宿役人がこの石に手を付いて口上を述べたそうです。東西の宿口に置かれていたものだそうです。


金沢交差点の十字路を越し、先に進んだところに金沢温泉金鶏の湯があります。信玄所縁の金鶏金山に因むそうです。


金沢交差点を下諏訪方面に横断、左手に明治天皇金澤行在所跡碑があります。ここが金沢本陣跡です。時計14:16:45


先に進んで、左手、木鼻や持ち送りに彫刻を施した近江屋跡を確認、その先二階連子格子の旅籠松坂屋跡、松坂屋の向いにある木鼻に彫刻を施した旧家、横棟造りの馬方宿跡を確認しました。馬方宿跡の旧家の前に馬繋ぎ石がありました。


左手に街灯になっている近世の秋葉常夜燈を確認、その先右手の小路の下町旧道に入ってすぐのY字路が高遠道追分です。宝暦八年(1758)建立の道標があります。「左 たかとう道」と刻んでいるらしいのですが、全く読めませんでした。


旧道を進み、左手、祠に安置された如意輪観音を確認、小松三郎左衛門が磔にされた刑場跡だそうです。


先に進み、宮川に突き当たり、左折して宮川沿いに進み、突き当たりにある石塔石仏群、道祖神、地蔵、魚供養塔などを確認しました。ひと際大きい石塔が水神明王です。


金沢橋を渡り、渡り詰を右折、金沢宿の西桝形を辿り、突き当たりを左折、次の突き当たりのY字路を左折して進み、矢ノ口交差点で国道20号線と合流。右手、茅野市史跡権現の森の中にある承応三年の金山権現石祠を確認しました。境内には夥しい石仏石塔がありました。


権現の森先で、斜め左の青柳旧道に入り、突き当たりのT字路を左折し、先を右折、またT字路に突き当たり、ここを左折、宮川に架かる万年橋を渡り、HOTEL虹色のメルヘンの先を右折、次の一本目を右折してホテルを回り込み、右手段上にある稚児神社を確認、稚児神社先の右手段上にある大池の一里塚跡碑を確認しました。「一里塚江戸日本橋より四十九里」と刻んでいました。時計15:09:03


旧道はこの先で消失、来た道を元って清水橋バス停のところで国道20号線に合流し、国道20号線を進み、左手の道祖神、傍にある天保四年の常夜燈を確認しました。一里塚跡からの旧道はここに通じていたのです。


木舟交差点を過ぎたところの右手に地蔵尊を確認、木舟バス停を越えてSUZUKIの手前をUターンして坂を上り、左手斜面上にある正徳二年の馬頭観音、庚申塔、石倉大六天、道祖神などを確認、この先をヘアピン状にUターンし、御柱に囲まれた石塔を確認、坂を上り詰め、中央本線に架かる跨線橋を渡り、橋詰を左折しました。


中央本線に沿って進み、阿久川に架かる宮澤橋を渡り、斜め右に進み、のぞみ大橋の高架下をくぐり宮川に沿って進み、小早川橋を渡った先左手の名号碑と馬頭観音を確認、早川橋を渡って進み、宮川に沿う県道197号線払沢茅野線への突当りを左折、宮川からいったん右に離れ、中央本線ガードをくぐり、再び宮川に沿って進み、宮川坂室交差点で国道20号線に合流しました。宮川板室交差点右手にある秋葉山常夜燈、出羽三山碑、三十三夜塔そして多数の馬頭観音を確認しました。秋葉山常夜燈奥の急な石段を上り、二棟の石祠を確認しました。


国道20号線を進み、建倉橋を渡り、先の坂室交差点を右折したところにある酒室神社に参拝しました。酒造の守護神で酒解子之神を祀っています。本殿は文政八年。酒質境内の東隅に雨降り塚古墳があります。


坂室交差点から国道20号線をひたすら歩き、中央高速の高架茅野橋をくぐり、新田中バス停先を右に入ったところの右手にある男女双体道祖神を確認、すぐ先の左手細道に入ったところにある一里塚跡碑を確認しました。「一里塚 江戸日本橋より五十里」と刻んでいました。茅野の一里塚跡です。ちょっと見つけ辛いところにありました。気をつけて探さないと見逃してしまいますね。時計16:39:40


元に戻って宮川交差点の三叉路を直進、国道20号線から県道197号払沢茅野線に入り、左手にある三輪神社に参拝。宮川茅野、西茅野両区の産土神です。続いて向いにある細目(おかめ)神社にも参拝しました。天鈿女命(あまのうずめ)を祀っています。


三輪神社の裏側にある男女双体道祖神を確認、広場を挟んだ向かいにある木造土蔵造り三階建の宮川寒天蔵を確認しました。寒天蔵前の広場は名主を勤めた五味氏宅跡です。


広場の街道に面したところにある明治天皇茅野御小休跡碑、向かいの信州味噌の醸造販売元丸井伊藤商店を確認、すぐ先の食事処やまとから右に入って右手に曹洞宗宗湖寺をお参りしました。諏訪家の藩祖諏訪頼忠の菩提寺です。境内に明治天皇茅野御膳水碑がありました。宗湖寺の山門は旧諏訪藩家老の邸門を移築したものだそうです。


先に進んでヤシマ理容室を左に入ったところにある桧川葺の稲荷神社を確認、上川橋交差点を直進し、上川橋を渡り、茅野に入ると街道沿いに電柱がなくなりすっきりした景観になりました。


茅野駅前交差点にある諏訪神社上社の大鳥居を確認、大鳥居先の茅野駅西口交差点Y字路を左に進み、一本目を右折し、県道192号線を越えたところにある大年社に参拝しました。諏訪神社上社の末社です。


いったん旧道に戻り、左の坂を下ったところにある達屋酢蔵神社にもお参りしました。諏訪神社上社の末社です。達屋社は大工の神、酢蔵社は酒造の神で、横内の産土神です。


旧道に戻って進み、上原交差点で国道20号線に合流、すぐ先左にある上原八幡宮境内にある嘉永元年建立の秋葉山常夜燈や男女双体道祖神などを確認しました。上原八幡宮の向いにある上原五山八幡山極楽寺は上原五山で唯一残っているお寺です。


先に進み、右手JA信州諏訪生活部の手前にある原田通り標石、ENEOSを過ぎた右手にある鍛冶小路の標石を確認、そのまま国道20号線を横断して坂を下ったところにある葛井神社を確認しました。諏訪神社の末社です。葛井神社境内には葛井の神池があり、棲む魚は全て片目だそうで、諏訪七不思議の一つだそうです。


街道の右手、茅野市消防團ちの分團第一部屯所にある塔所小路標石と男女双体道祖神を確認、右折して小路に入り、山方向に進み、JR中央本線六区小路踏切を横断したところに上原城諏訪氏館跡、さらに向いの山道を上ると上原城跡なのですが、日も暮れてきたので、寄らずに進み、上原北交差点の十字路を過ぎたところの左手にある上ノ御社宮神を参拝しました。諏訪大社の神長官守屋家の守護神です。境内にある天然記念物土橋祝殿大欅之跡碑を確認しました。

上原頼岳寺交差点の変則十字路左手に番匠川通り標石を見て国道20号線をそのまま進み、左手の奥に下ノ御社宮神の先を右折、分岐点にある甲州街道渋沢小路標石を確認、先に進んで中央本線ガードをくぐり、坂を上り、大きく左に曲がり、大門追分のT字路突き当たにある道標「右江戸道」、「右江戸道 左山浦道」、常夜燈に「右東京迄 左大門道」を確認しました。

大門追分から旧道を進んだ右手にある小さな甲州道中標石、さらに進んで右手奥にある姫宮神社、その先右手にある常夜燈を確認しました。四面に秋葉山、白雲山、象頭山、日本之総神と刻んでしました。

その先右手に火燈公園がありました。御柱年の盆に火燈場で、諏訪大社への鳥居火を灯して、奉納する神事が行われるところです。

公園先の右手にある頼重院参道口の上原城主諏訪頼重公廟所碑を確認。曹洞宗で諏訪頼重の菩提寺です。信玄の側室、諏訪御料人は頼重の娘です。


街道に戻り、左手に神戸公民館、右手に神戸温泉を見て進み、先の右手奥にある秋葉大権現常夜燈と道祖神を確認、左手にある小さな神の木神社を参拝しました。ほとんど日が落ちて来ました。

街道を進んで左手にある一里塚跡碑を確認しました。四賀神戸の一里塚跡。日本橋から五十一里目です。時計18:50:20


その先、食糧品店の椛屋の手前左、火入れの部分が木製の常夜燈を確認して進み、桝形状にクランクした十字路中央にある秋葉山常夜燈と道標「左江戸みち 左大明神江」を確認しました。霧ヶ峰入口交差点から右の方向に桑原城跡が見えました。


霧ヶ峰交差点先の右手に足長神社の参道口にある木造常夜燈を確認しました。足長神社は上桑原村の産土神で拝殿は天保十三年、舞屋(神楽殿)は文久二年。


街道を進み下道に合流しました。細久保分岐です。分岐点にある林家記恩碑を確認しました。

その先、武津公民館にある男女双体道祖神、傍らにある秋葉山石塔を確認し、堀内石材工業の前で国道20号線に合流しました。赤羽分岐です。


この時点ですっかり日が落ちて暗くなっていました。本日の目標地点上諏訪宿まではあと少しだったのですが、ポイントがほとんど見えなくなった状態で歩いてもあまり意味がないので、ここで終了することにしました。時計19:38:12


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http://twilog.org/hanagamankaida/date-140614