〈薄い根拠でテキトーに語ってしまういつものシリーズ

私が神社をチョコチョコ巡るようになったのは最近のことですが、今更ながら神社について殆ど何も知らないことを痛感しています。

神社には大勢の人が神頼みにお参りしています。

新年になれば初詣、入学時期には合格祈願にと、時期によって、溢れんばかりの参拝客でごった返します。

縁結びや、名高い神社などは年がら年中、大勢の人です。

これらの人々の全てが神様の存在を信じ、願いが叶えられると信じ切っているとは到底思えませんし、殆どの人は縁起や祭神にもそれほど興味がないように見えます。

みんな「理屈はどうあれ有り難いもんは有り難いのだ~」「とにかくお参りしてお願いするのだ~」という勢いでお参りしている気さえします。(どちらかというと私はその一人です。)

勢いでお参りしているにしては、みんな先に何があるわけでもないのに(いや、神さまがいらっしゃる!)長い列に並び惜しげもなくお賽銭したり。賽銭箱に千円札や稀に万札までが入ってるのを見かけます。

これはどういうことでしょう。私など百円も勿体なくて十円玉以下を探すありさまなのに←ただのケチ

まあ、キリスト教徒でもないのにクリスマスで騒いだりしますからね、私たちは。

しかし、それとは違う何かが神社にはあるような気がします。

一方、お正月、入学などの時期や縁結びなどに関わらず、神社を巡っている人達がいます。

その雰囲気がすきだったり、今流行りのパワースポット巡りだったり、御朱印集めだったり、動機や目的はさまざまです。

もちろん学術的な興味を持って巡っている人もいます。

私は最近、旧街道歩きを始めたのですが、旧道沿いには多くの神社があります。それも地域密着型で氏子さんが支えているような小さな神社が多いのです。

旧道沿いということで言えば、その数はお寺の数を圧倒的に上回っています。これだけ数あるのには伊達や酔狂ではないそれなりの何かがあるはずです。

お稲荷さん、八幡さま、天神さん、神明社など全国チェーン店のように津津うらうらに展開している神社もあれば、その地域だけに集中しているローカル店のようなところやそこに一つしかない単独店のような神社もあります。

全国チェーン店なら、アガリのなんぼかが本店に集まったり、本店からの指示が絶対だったりしますが、神社の場合、どのような結びつきになっているのか、どうやって維持管理しているのか、資金管理がどうなっているのか、名前が同じで御祭神が同じでも完全独立採算性になっているのか、その仕組みなど何も知りません。

八幡さまなど、分霊、勧請などによって全国津々浦々に行き渡っているのだと思いますが、この理屈もよくわかりません。

同じ神さまを分霊してお祀りしているのであれば、同じ格、御利益の筈だと思うのですが、どうやらそうでもないようで、同じ神さまでも、有名で大きな立派な社殿のところを人は有り難たがり、群がっています。同じ神さまでも明らかに扱いが違います。

これがどういうことなのか、全く理解できていません。(そりゃいくら理屈言っても立派な社殿のほうを有り難たがりますわな、普通。)

お祀りされている御祭神は、大抵、古事記に出てくる神さまやその子孫で、下ってくると皇族系、豪族系、賢臣系などに分類できるようですが、天照大神、素戔嗚尊、大物主命、応仁天皇、菅原道真などのメジャーどころはすぐわかっても、ナンチャラの命、カンチャラの神など、当て字満載の漢字で表されている多くの神さままで到底覚え切れません。

聖書の冒頭で、ナンチャラの父はカンチャラ…と神の系譜が続くところで読むのを挫折するのと似たような状況です。

私は神社のことを体系的に学んだことは全くありません。「神社の基本」のような軽めの本を買ってきてはサラッと読んでツンドク状態です。

この手の本は、だいたい似たような内容が書かれていますが、隅から隅まで読んだ本は一冊もありません。

大抵、冒頭から中ほどのあたりに神様の系譜や古事記や日本書紀での神さまの話が掲載されていて、いつもそのあたりで読むのを挫折してしまいます。

とにかく神社についてはわからないことだらけです。

そんなわけで、こういったつまらん疑問を、薄い根拠をもとに、テキトー、いい加減に考えて自己解決していくという、世にもバカバカしいシリーズを不定期で書いていこうと思います。

大学などで、宗教学、歴史学、民族学、神道など(ほかにどんな学問があるのか知らんけどね)を真面目に勉強している(してた)人は読まないほうがいいと思います。

所詮、オッチャンがテキトーにほざいているだけのアホな内容なので、腹が立つか、馬鹿馬鹿しくなるかどっちかです。あしからず。