こんにちは
「ピアノ脱力ライグラフメソッド」「清水英恵ピアノ教室」の清水英恵です。
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます
今回から数回に分けて、私の自己紹介を書きたいと思います。第一回目は、幼少期〜中学時代までです
●人見知りが激しかった幼少期
2人兄妹で2つ上に兄がいて、末っ子の妹として東京に生まれる
母もピアノ講師で、母がよくピアノを弾いていたので、気付いたらピアノを始めていた🎹
幼稚園の頃は父の仕事の都合で北海道の札幌に住んでいて、そこで桐朋学園大学音楽部門附属子供のための音楽教室の札幌分室に通い始める。
母は普段優しいが、ピアノに対しては厳しくいつも隣に座って私のピアノの練習に付き合っていた
人見知りが激しく、外ではあまり話せない子だったが、家では末っ子気質満載で、よく威張っていたらしいでも、ピアノの時だけは母に何も言うことができなかった
自由人だった兄もピアノを習ったが、母との練習が嫌で嫌でしょうがなくて、半年で辞めてしまった
●病気がちだった小学生時代
小1の秋に東京に戻ってくる。小学校では最初全く学校で話せない、おとなしい子だったらしい。東京での小1、小2の担任の先生がとても厳しくというか体罰をするような先生で、
(その先生の行動はのちに雑誌に掲載される程問題になり、学校を退職させられた。)
その影響もあったのか、先生の言う事が絶対で、それは全部ちゃんとやらなければいけない!と日々緊張していたように思う。
ピアノでも同じで、先生の言う事、母との練習をちゃんとやらなければと思っていた
その影響からか、小3で大病を患う
急性型肝炎になり、数カ月間入院し、ほぼ1年間学校にも行けなかった。かなりの倦怠感があったのを今でも覚えている。それでも、大病だとはっきりするまで、ダルくてもあまり続けてレッスンを休まないで無理していたようだった。
小4からはだいぶ元気になり、その時の担任の先生も明るく素敵な先生で、人見知りしながらもやっと楽しく学校に通い出した
小学校高学年頃から、ピアノに対して、というより母に対して?反抗心が生まれてきて、みんなピアノの練習してないのに、なんで私はこんなに練習しなきゃいけないの?と思うようになっていった。
たぶん今までそれを全く出せないで、いい子ちゃんでいなきゃ、ちゃんとしなきゃと思っていたのかもしれない。やっと母に、ピアノに対して言いたい事が言えるようになってきた。
●部活に明け暮れた中学時代
中学時代は部活に入る事に憧れていたが、ピアノの練習時間が減るからと、先生と母に反対される
でも、私はどうしても部活に入りたく、先生と母の反対を押し切って、父がずっと続けている剣道をやる事にした
剣道部では副部長を努め、剣道初段も取り、楽しく活動していた。ピアノはというと、、練習時間は減ったし母ともよくバトルしていたが、それなりにはこなしていた。
合唱祭の伴奏もいつもしていて、その時期はクラスが私を中心に、優勝目指そう!と団結して頼りにもされ、それはとても嬉しかったし楽しかった!
中3になり、進路を決める時期になり、私は音楽が好きだし、ピアノは練習は好きではないけどピアノを弾くのは好きだし、やっぱり桐朋学園大学附属の高校を目指そうと決意する
〜次回、音楽高校時代に続く