黙約のメス 本城雅人 新潮社 2021年10月





 

 

「脳死」。この言葉に日本人は何を感じているのでしょうか。仮に本人が臓器提供を意思表示しても、心臓が止まるまで家族が延命治療を望むケースの多い日本では、脳死が死であるという考え方になかなかなじめず、「治る可能性があるかもしれないのに、それを捨てて他の人に臓器を移植することは、患者本人を見殺しにする」という考えにとらわれているのかもしれません。そもそも銃社会である米国に比べて脳死ドナーの出る数も少なく、さらにキリスト教圏とは死生観も異なります。こういう背景で、問われる生体肝移植か脳死肝移植かという選択――。そのどちらを選ぶべきかという「日本人の死生観」を問う内容に加え、研修医が医療ミスの責任をとらされる医療界の現実や、看護師たちの怒り、病院に蔓延る権力闘争、法案成立にしがみつく厚労技官の様、病院経営に隠されたお金の流れと海外や政治家との癒着など、現代日本の医療界の問題点に切り込む内容になっています。



外科医・鬼塚鋭臣は、ブラックジャックか、切り裂きジャックか?
鬼塚鋭臣を取り巻く人たち、研修医、看護師、外科部長、ジャーナリスト、病院長、厚生労働省医系技官、病院経営者、移植コーディネーターの立場の人たちの話から、鬼塚がどんな人物なのかを浮き彫りにする。
    


  生体肝移植か脳死肝移植か?
    日本では、脳死によるドナーが少ないため、脳死肝移植より、  生体肝移植の方が多い。
 しかし、提供者のことでいろいろな問題があることを知った。
     

  医療の問題、医療経営にいたるまで、いろいろ考えさせられる内容だ。


<メスを入れれば、患者の体は、もう二度と元のきれいな体に戻ることはできません。>
すべて読み終えてから、プロローグを読み返すと、その意味が理解でき、切ない気持ちになった。


患者に真摯に向き合っている医療従事者がいることを私たちは忘れてはならないと思う。


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