【10】 悲しみがあるからこそ愛が生まれる | 生きづらさからの解放☆TOSHI

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あなたが精神的に自由な状態で生きていられる為に、共にそれを観ていきたいと思います。


    

悲しみがあるからこそ愛が生まれる


根本的に人というものは悲しみを感じながら、あるいは、悲しみを背負いながら生きているものだと感じています。


これは決して悲観論などではなく現実です。


ですから、自らの悲しみに対して目を背けない事が大切だと思います。




多くの場合、その悲しみは子供の頃に感じます。

親が分かってくれない
親が話を聴いてくれない
親が認めてくれない
親が褒めてくれない

そして外の世界では、
同級生からいじめられる
同級生から無視される
同級生から馬鹿にされる

僕たちは本当にあらゆる事で傷ついてきたのではないでしょうか?

どう感じますか?



その傷、その痛みを無視しない事です。

その傷、その痛みから逃れようとしない事です。

その傷、その痛みを無かった事にしようとしない事です。

それが全ての『始まり』なのです。



『始まり』は『終わり』に繋がります。

『始まり』と『終わり』は同じなのです。

思考においては、その2つは両極に位置するものですが…

本当はそうではないのです。

『始まり』は『終わり』なのです。



決して哲学的な事を話しているのではありません。

ただ、人はその悲しみの中から何を見出すのか、その悲しみの中から何に気づくのか。

それについて話をしているのです。

気づけば悲しみは終わるのです。

そしてその瞬間から愛が生まれるのです。



これは理論でも屁理屈でも無いのです。

また、単なる知識でもありません。

これは僕の体験から得たものであり、僕はそれを英知と呼んでいます。

人は自らの体験なしに語る事など出来ないのです。

むしろ、語ってはいけない。



人は自らの悲しみの記憶から何とかして逃れようと試みます。

それが更なる苦痛を生みます。

人は自らの悲しみの記憶を何とかして抑えつけようとします。

それが更なる苦痛を生みます。

人は自らの悲しみの記憶を何とかして解消しようとします。

それが更なる苦痛を生みます。

悲しみに対して、逃避、抑圧、解決…
いかなる手段を講じたとしても悲しみは終わらないのです。

悲しみは堂々と正面から受け止めなければならない。

自らの心の傷をきちんと見なければならない。

どんな風に傷んでいるのかを。
傷口の様子を。
傷口の変遷を。

人は痛みに弱いので、それを見ようとはしない。

だから、傷口が疼いたままなのです。

もはや化膿状態なのです。



どうして人は体の傷に対しては処置しようとするのに、心の傷に対しては処置しようとしないのでしょう?

心の傷から血が流れていないからですか?

果たして本当にそうなのでしょうか?

人は心の傷を無視しながら生きていけるものなのでしょうか?

何とか生きていけるのかもしれませんが、それは本来の姿としてではないのではないでしょうか?

どう感じますか?



悲しみを受け容れるとは、頭で理解する事ではありません。

あの時の痛みにはこんな意味があったんだ、と適当に意味付けする事ではないのです。

それは単なる逃避であり、悲しみの受容ではないのです。

もしもあなたが何らかの苦しみの最中に居る場合、その苦しみから逃げない事です。

その苦しみを抑えつけない事です。

その苦しみを解決しようとしない事です。

そうではなくて、その苦しみを深く味わってみて下さい。

ただ淡々と。

そうする事によって、ようやく『生』に対する意識が目覚めてくるのです。

『生きているだけで良かった』という真理に目覚めるのです。

それが【愛】です。

では、また。



有り難い事に本を書かせて頂ける事になりました。

つくづく人生とは人様のお陰で成り立っているものだと再認識した次第です。

全身全霊、魂を込めて書き上げようと思っています。