私は私の思考を通して、父親に哀愁を感じてきた。
どこか寂しげで、どこか哀しげで。
その感覚がどこから生まれているものなのか分からずに生きてきた。
でもようやく分かった。
私の中に哀愁があったのだ。
いや、私が哀愁だったのだ。
私がその波動を身に纏いながら生きてきた為に、それを父に投影してきたのだ。
私が哀愁だったのだ。
私が寂しさであり、哀しみであったのだ。
私はそれに気づかずに、その寂しさや哀しみに対して怒りを感じてきた。
無意識に。
自分自身に。
私は無意識の中で寂しさや哀しみである私自身に対して怒りを抱き続けてきたのだ。
情けない!
どうしようもない!
弱い!
克服しろ!
強くなれ!
などと。
私は私を責め続け、そうしていつしか罪悪感に苛まれていた。
罪悪感は罪悪感を呼ぶ。
何度も人生の中で味わった感情だ。
自分が出したエネルギーは確実に回収する羽目となる。
いつかの寂しさが、いつかの哀しみが、怒りや罪悪感を携えて、そうして私の心身を蝕んできたのだ。
ようやくその事実を素直に認める時が来た。
認めた途端に不思議と0歳だった頃の記憶が映像として現れた。
それは私が高熱で死にかけた時の病院での様子だった。
まあ、そんな事はどうでもいい話だが。
もしもあなたが男性ならば父親に対して、あなたが女性ならば母親に対して、ずっと抱き続けてきた思いや気持ち、感情を正確に認める事をお勧めしたいと思う。
有耶無耶にしてきた思いを逃げる事なく正確に。
そうすれば、波動も変わり、心身、そして人生も変わっていくと感じる。
