魂たちへの伝言【TOSHI】

魂たちへの伝言【TOSHI】

魂が望んでいる事は、緊張せずにリラックスして心穏やかに生きていく事だと感じます。そして本当の自分は愛そのもので在るという事に気づいてもらいたいのかと。




毎朝私は9時過ぎに目が覚める。



真冬の寒さのせいにして、しばらくは布団の中にくるまっている。



そうして30分ほど過ぎたのち、ようやく布団から抜け出す。



かつては寝起きにコーヒーを飲んでいたが今はやめた。



白湯をゆっくりと飲む。



徐々に肉体が目を覚ましていく。



そうして本を読み始める。



昨夜の続きだ。



昨夜とは夜中の2時頃を指す。



最幸の気分だ。



波動が高まるのを感じる。



著者と波動を合わせる。



いや、勝手に波長が合うと言った方が正確か。



私と波長が合わない本が手元に届く事はほぼ無い。



エネルギーとはそういうものだ。



目に見えないだけで。



それは人との出会いも同じだ。



自分と波長が合った人としか出会わない。



たとえどんなに嫌いな人であったとしても、目に見えないエネルギーレベルでは自分と調和しているものなのだ。





本を読んでいるうちに目が疲れてくる。



しおりを本に挟み、少し休憩する。



休憩がてら洗濯機を回す。



ついでに髭を剃る。



今日も悪くない。





北海道の冬は寒い。



だから外には出たくない。



私は明らかに「外界」の影響を受けている。



とは言え、雪かきをしなくては。



ここでストレスが発生する。



本の続きが気になるからだ。



読書を取るべきか、雪かきを取るべきか。



大抵の場合、読書を選択する。



ただし、思考の中では雪かきが気になっている。



読書に没頭していない自分に気づく。



やむなく雪かきの為に外へ出る。



雪かきの最中は何も考えない。



ただ雪かきだけに集中する。





適当に終えて家に入る。



再び読書を始めるが、洗濯が終わっている事に気づいてしまう。



少しの間はそれを無視するのだが、やはり気になってしまう。



仕方なく読書を中断し、洗濯物を干す。



その時は何も考えない。



ただ洗濯物を干す事だけに集中する。





ようやく読書に戻って来れた。



私の幸福が再び始まる瞬間だ。



しかしながら少しばかり腹が減ってきた事に気づく。



無視できない。



仕方なく味噌汁を一杯飲む。



少し落ち着く。



再び本のページを開く。





時計を見たら既に午後1時を回っている。



少し疲れた。



横になろう。



そうして本を持って布団に潜り込む。



暖かい…



そのまま寝てしまう。





目が覚めると既に夕方だ。



今日もほぼ終わりだ。



日の入りが少し長くなった。





こうして私は毎日何もしていない。



その代わり、「いま」を生きている。



「いま」を生きられるようになった。



かつて何社も経営しながら寝る間もなく生きていた私が嘘のようだ。



いや、あの時の私が嘘だったのだ。



いまの私が「本当」なのだ。



そう実感する。



私は「いま」を感じながら暮らせている。



平穏だ。





人は何の為に生まれてきたのだろうか?



何の為に生きているのだろうか?



不安や恐怖はいつ生まれたのだろうか?



幼い頃には無かったはずなのに。



いつから心が常識に支配されるようになったのだろうか?



いつから自分を誰かと比較するようになったのだろうか?



いつから心が不自由になったのだろうか?



いつから言い訳をするようになったのだろうか?



いつから理屈っぽくなったのだろうか?



いつからお金を求めるようになったのだろうか?



いつから「自分」を見失ってしまったのだろうか?




そして、



いつから「自分」を思い出すのだろうか?




併せてお読み頂きたい記事



併せてお読み頂きたい記事



併せてお読み頂きたい記事


いつしか我々は「頑張る」という事がいかに正しく、いかに尊く、いかに常識的であるかという事を思い込んでしまったようだ。



それゆえ、頑張れる人間は優秀で、頑張れない人間は優秀ではないと判断、評価された。



あなたはどちらの評価を下されただろうか?





そもそも「頑張る」とは何か?



その意味と本質は何か?



あなたは立ち止まってよく考えた事はあるだろうか?



もしもあなたがよく考えた事があるのならば、少なくともあなたはもう頑張ってはいないだろう。





「頑張って遊びます!」という人間がこの世に居るだろうか?



もし居るとしたら、その人間はかなりの変態だ。



または、心底から遊びたくない人間だ。





「頑張って働きます!」という人間は多い。



なぜ働く事において頑張らなければならないのか?



勘の良いあなたならもうお分かりだろう。



それは「働きたくない」からである。



自分が心底から求めていない事、望んでいない事に対しては「頑張る」しかないのである。



私の大好物は寿司だ。



私はこれまで一度も「頑張って寿司を食べます!」などと言った事は無い。



人は自分が心底から求めていない事や望んでいない事に対して「頑張る」という表現を用いる。




では、なぜ、そこまでして頑張ろうとするのだろうか?




怖いからである。




人からなんて思われるだろうか?


人から情けない奴だと思われるのではないだろうか?


人からだらしない奴だと思われるのではないだろうか?


人から非常識な奴だと思われるのではないだろうか?




とにかく他人の目が怖いのだ。



他人からの評価が怖いのだ。




頑張る人間、頑張ろうとする人間のほとんどは、このように「他者評価」を気にしている。



更に言うならば、低い他者評価を受け、惨めになる自分の姿が怖いのだ。



だから嫌でも頑張るしかない。



「頑張る」という選択肢しかないのである。





仮にあなたが頑張った結果、あなたの望み通りのものが手に入ったとしよう。



あなたは一瞬の満足感、一瞬の安心感、一瞬の優越感などを感じる。



だがしかし、果たして翌日からずっと毎日寝て暮らせるだろうか?



そんな訳にはいかないだろう。



なぜなら、あなたは「他者評価」を恐れているからだ。



ずっと寝て暮らしていたら、それこそ何と思われるか…



恐ろしい…



だから再びあなたは頑張る。



その繰り返しだ。



そのうち心身が疲れ果てる。



心身の限界を迎える。



精神が先か、肉体が先か…





あなたが「頑張る」必要がある事のほとんどは、あなたが心底から求めていない事、望んでいない事である。



もしくは、「他者評価」を下げない為に(上げる為に)行っている事である。



そしてそれらの背景には必ず「怖れ」がある。



「怖れ」がある以上、頑張って何かを得られたとしても「怖れ」は消えない。



むしろ、「怖れ」が更なる「怖れ」を生み出す。



自分が出したエネルギーが自分に返ってくるだけだからだ。




なんて虚しい人生、生き方だろうか。



あなたが努力しながら生きてきたとして、私はあなたを馬鹿になどしていない。



なぜなら、かつての私も努力家だったから。



人一倍努力をしてきた自負がある。



という事は、人一倍「他者評価」を怖れてきたという事だ。



そして、自分が心底から求めていない事をやってきたという事だ。



ああ、なんてバカバカしい生き方だったのだろう。



これらにようやく気づけた時から、私は頑張らなくなった。



心が求める事しかしなくなった。



すると、魂が求める事が少しずつ分かるようになった。



何の為に生まれてきたのか、何の為に生きていくのかが少しずつ分かるようになったのだ。



それらに沿って生きる事を「自然体」と呼ぶ。



「頑張る」のは「不自然」なのだ。




「私はこんなに頑張っている!(頑張ってきた!)」とは、一体誰に対するアピールなのだろうか?




直近の記事



母親の温かな体温に包まれ、母親の体臭を嗅ぎながら、母親の微かな子守唄に抱かれる…



幼な子にとっては至福の瞬間であり、そして、何にも勝る安心である。



だがしかし、いつしか、いつの間にか、「それ」を失った…



気づけばもう、そんな瞬間を味わう事は無かった…



まるで、これからは自分一人の力だけで生きていかねばならないように、そう思えた。そう感じた。




そうしていつしか「何でも」やるようになった。



反抗したり、タバコを吸い始めたり、暴力を振るったり、猛勉強したり、良い子になったり、学級委員になったり、万引きしたり、いじめたり、引きこもったり…



人はね、寂しくなったら「何でも」やるんだよ。思いつくままにさ。



そう…




心の底から笑えなくなるのね。



それは大人になってからも同じなんだよね。



あなたは心の底から笑えているのかな?



どうかな?



そうならいいね。





自分の母親に対して正確に覚えている事は実に少ない。少なすぎる。



愛されていなかった、可愛がられていなかった、そばに居なかった…



それは事実かもしれないし、事実ではないかもしれない。



今さら確かめようもない。



確かめる必要も無い…




ただ、安心させて欲しいんだ、今も。



まだずっと。



安心させて欲しいんだ。



温かな羊水に包まれて、安らかに過ごしていられた胎内…



母親の声や心音…



あの頃の安心感が何処か忘れられなくて、まだそれを求めているんだよ。



思考(記憶)で生きるとは、そういう事なんだ。



忘れられない何かの影響をまだ受けながら生きるという事なんだ。




直近の記事



直近の記事



直近の記事



★期間限定・数量限定にて66%OFFにて提供させて頂いております(インスピレーションに従った形です)。

※魂レベルで調和した人だけが入手される事となります。

【自分自神】テキスト


靴下は文句を言わない。



不平不満も言わないし、怒りも表す事はない。



足の裏から出る汗や臭いを吸い込んでいるにもかかわらず。



やがて擦り減って穴が開いたら捨てられる。



それでも恨みは抱かない。





あなたは僕が言っている事をアホくさく思っているだろうか?



もしそうだとしたなら、あなたにとっての靴下とは「単なる物質」に過ぎないという事になる。



だけど僕にとっての靴下とは「単なる物質」ではない。



そこには「意識」が在る。



僕ら人間と同じようにね。



靴下にも「意識」が在る。





だから僕はこないだ買った毛玉取り機で丁寧に靴下の毛玉を取った。



おとなしく喜んでいたよ。



気持ち良さそうだった。



まるで温泉に浸かっているかのようにね。

なぜ、人生がうまくいかないのだろう?



なぜ、人間関係や親子関係、夫婦関係がうまくいかないのだろう?



なぜ、経済的にうまくいかないのだろう?



なぜ、手に入れたものを失ってしまうのだろう?



なぜ?なぜ?なぜ?






それらの理由をどんなに分析、解析したところで真の答えになど辿り着けない。




それらの理由は「思考」を超えたところにあるからだ。




人は誰しも「悲しみ」を抱えている。



それは今世だけに限らず。



悲しみの記憶を持っている。



そして、その「悲しみの記憶」が人生に大きな影響を及ぼしているのである。




従って、あなたがすべき事は、人生がうまくいかない理由を探し当てる事ではない。



「悲しみの理由」である。




こう言われて、あなたが素直な人であるならば、あなたは「悲しみの理由」を思考を使って探し始める。



思考を超えたところにあると言ったのにも関わらず…



結局のところ、「悲しみの理由」など見つからない。



それを見つけようと必死になったところで人生を棒に振るだけだ。



そのうちあなたの今世は終わる。





あなたは今、これを読みながらフラストレーションが溜まってきているだろうか?



イライラし始めているだろうか?



早く答えを!


早く結論を!


と、求めているだろうか?




ハッキリ言っておくが、せっかちな人間、短気な人間、効率を重視する人間などには決して到達できない。



何故なら、早く答えや結論を手に入れようとするからだ。



手に入るものに真理は無いんだよ。



真理は既に在るのだからね。




詳細はこちら

★インスピレーションに基づき、春分の日の前日まで大特価(66%OFF)にてご提供させて頂きます。

※ただし、数量限定となります。


ご購入ページはこちら




併せてお読み頂きたい記事