魂たちへの伝言【TOSHI】

魂たちへの伝言【TOSHI】

本当の自分(魂・自分自神)への伝言を伝えます。




今回は少し「使命」というものについて書きたいと思いました。

 


 

なんか「使命」と聞くと「大したもの」のようなイメージがあります。

 

 

例えば、「この世の平和の為」とか「多くの人を救う」みたいな。

 

 

中にはそういう人も居るのかもしれませんが、少なくとも僕は違う。

 

 

特に最近はそう感じられるのです。

 

 

 

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少し前の僕は、やはり「大したもの」が使命だと思っていました。

 

 

僕はかれこれ26年間、カウンセラーやコーチ、自己啓発講座などの活動を続けてきましたが、それらを通じて少しでも人の役に立つ事が使命だと思ってきました。

 

 

ですが、昨年7月から急に喉の不調が現われ、まともに話す事も仕事も日常生活さえも出来なくなってしまった。

 

 

僕がずっと「使命」だと思い続けてきた事が何も出来なくなってしまったのです。

 

 

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僕はこの数ヶ月間、毎日欠かさず「内観」を続けています。

 

 

内観とは文字通り「自分の内面を観察する」という意味です。

 

 

この「自分の内面」の大半は「思考」となります。

 

 

もっと分かりやすく言えば、「信念」や「価値観」や「固定観念(思い込み)」などを観察するのです。

 

 

 

自分の内面にどんなものがあるのか?

 

 

そしてそれらが自分の人生や心身、人間関係などに対してどんな影響を与えている(与えてきた)のか?

 

 

 

そういった事を「考える」のではなく「感じ取る」のです。

 

 

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これまでも10年以上に渡り内観は行ってきた僕ですが、ここまで毎日欠かさずに行った事はありませんでした。

 

 

喉の不調が無ければ、こんなに丁寧に自分の内面を観察するような事は無かったかもしれません。

 

 

(仕事も出来ず、まともな日常生活も送れない為、やる事が無くて暇なのです・・・)

 

 

 

今回の内観を通じて多くの事が観えたり、時には映像が見えたり(恐らく幾つかの過去世の場面)、身体と対話できたり。

 

 

まさに財産です。

 

 

 

更には、まだ残っていた信念や価値観、固定観念が消え去っていった(手放された)事も大きいです。

 

 

それによって僕が「使命」だと思ってきた事も本当は「使命」ではなかったのだと気づけたので。

 

 

僕は別に人の役に立つなどといった「大した事」の為に生まれてきたのではなかったのだと。

 

 

それらはあくまでも僕の「エゴ」が作り出したものに過ぎず、僕の「魂」はそれらを望んでいた訳ではなかったのだという事に気づいたのです。

 

 

そうしたら自然と肩の力が抜けて楽になりました。

 

 

同時に、これまで抱いていた野心や野望も消えたのです。

 

 

目的も目標も無くなってしまいました。

 

 

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もしもあなたが「自分の使命が分からない」、「自分の使命に気づきたい」と思っているとしたなら、実は案外、大したものではないかもしれませんよ?

 

 

例えばの例ですが、

 

 

・肉体を持って生きる事を経験する事

 

・喜びや悲しみなど、数多くの感情を味わう事

 

・子供の成長をそばで見ている事

 

・美味しい料理を作って食べる事

 

・ドライブやゲームなど地球文明を楽しむ事

 

 

 

もう既にやっている事が「使命」かもしれませんしね。

 

 

「使命なんて大したもんじゃないかもしれない」

 

 

そうやって気軽に思っていた方がもしかしたら「使命」を生きられる、「使命」に気づけるかもしれません。

 

 

 

まあ、そもそも「ただ生きているだけ」で使命は果たされているんですけどね。

 

 

では、また。

 



魂たちへの伝言

ただ生きているだけで十分なんだ。



 

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遠く江ノ島を眺めながら、ある時は遠く伊豆半島を眺めながら、ただボケーっと釣竿を垂らしていた毎日。



心の中の声はこうだ。



「くだらねえ世の中や社会だ」



だがこの男には何の力も無い。



ただ不平不満や文句、批判を繰り返しているだけの人間だ。



そう。

どこにでも居る人間だ。





数年後、そんなくだらねえ男は夜な夜な新宿歌舞伎町に居た。



業界では有名な会計事務所に就職し、接待を受けたり接待したり。



そんな日々を送るようになっていた。



作り笑いを繰り返しながら、社会のルールや雰囲気に呑み込まれていた。



あれは確か銀座の高級クラブだったかと思うが、この男はカラオケで尾崎豊を熱唱した。



当然ながら数分後にママからお叱りを受けた。



「ここは歌う所じゃないのよ、若者よ」



それならばカラオケなんか置くなよ!と言いたいところだったが、ママが放つオーラに気押されて言えなかった。



やがて会計事務所を退職し、いろいろな会社を起業する人生となった。



こんな人生になるとは思ってもみなかった。



楽しい事もある反面、どこか違和感も感じていた。



「何の為に働いているのか?」


「これでいいのか?」




男はある日決めた。



複数の会社を辞めた。



一から一人でやり直した。



上手くいくと踏んでいたが、そうはいかなかった。



生まれたばかりの子供も居た。



なのに、あと1ヶ月で破産するところまで追い込まれた。



新横浜の夕陽が辛く見えた。



心底から孤独を感じた。



なんとか自分を奮い立たせようと、車の中で爆音で音楽を聴いた。



そして奇跡的に仕事が入り出し、男はいつしか「先生」と呼ばれるようになっていた。



男は完全に有頂天になっていた。



どこへ行っても「先生」なのだから。



しかしそんな暮らしもそう長くは続かないものだ。



「先生」業よりも報酬が高い事業に誘われて、アッサリと辞めた事が運の尽きであった。



男は金で動いてしまった。



そして見事に裏切られ無職になった。



男は幼子と共に故郷へ逃げ帰ったのだった。



東日本大震災が起こる2ヶ月前の事だった。







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何かを獲得したり、何かを実現したりなど、人生が「足し算」によって上手くいったり、あるいは「足し算」によって満足できる時期というものがある。



ただしそれらはあくまでも「表向き」の成功や満足に過ぎないのだが…




やがてその「表向き」に気づいた人から順に、「足し算」をする生き方を変えていくようになる。



どう変えていくのか?



これまでとは真逆の「引き算」をし始めるのである。



この「引き算」とは、これまで重要だと考えてきた事(価値観・信念)を手放していくという事に他ならない。



つまり、「執着」を手放すという事である。



これは実践した者にしか分からない領域である。



その軽さ、その安心感、その穏やかさ、その自然さなど…




人の生き方が「足し算」から「引き算」に移行する時期や年齢は様々である。



また、その要因やきっかけも様々である。



ただ一つ言える事は、「引き算」で生きていく準備が整った者にしか現れないという事である。



つまり、まだまだ「足し算」の人生を味わう必要のある者には現れないのだ。



もちろん全員がそうであるとも限らない。



「足し算」の生き方がもう必要なくなっているにもかかわらず、それに気づいていない者も多い。(その場合はいわゆる強制終了や強制リセットなどが起こる)




ほとんどの人が「足し算」の生き方に慣れてきた為、「引き算」の生き方に順応するのは困難である。



なぜなら、何かを得たり実現すれば幸せになれる、安心できると思い込んできたからだ。(そう教育されてきた)



しかしながら冷静に自らの人生を振り返ってみれば自明だろう。



本当に幸せになれたのか?


本当に安心できたのか?



もしもこの自問自答に対する答えが「はい」ならば、しばらくは「足し算」の生き方が必要なのかもしれない。



それはそれで必要なのだ。



ただ答えが「いいえ」であるとしたならば、そろそろ「引き算」への移行期を迎えているのかもしれない。



それはとても勇気がいる。



覚悟もいる。



これまでの生き方と真逆なのだから。



それはまるで未知の世界だ。



思考(エゴ)にとって未知ほど怖いものは無い。



だから多くの人は分かっていても既知の世界に留まろうとするのだ。



それはそれで人の自由だ。

(全ての人に自由意思が与えられている)



だがもしも「引き算」の生き方に移行できたならば、それがあなたならば、あなたは真の意味で精神的幸福感、精神的安心感、精神的自由を味わう事になるだろう。



そのような「仕組み」になっているのだから。



では。




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2026年になったらしい。



僕は子供の頃から正月というものが嫌いだった。



その理由は知らないが…



さて、少しだけ僕の大晦日の体験を。






早朝5時台に激しい嘔気の発作で目が覚めた。(ブログを読んで下さっている方は知っているだろうけど、僕は昨年7月からこの発作に苦しみ続けている)



数時間して嘔気は治ったのだが、今度は激しい悪寒に襲われ始めた。



40度以上の発熱だった。



更には激しい腹痛が…



「何かに当たったのか?」と思った。



だが思い当たる節も無い。

(食中毒になった事があるが、こんなもんじゃない)



あまりにも寒く布団にくるまったが眠れない。



布団を何重にもかけたが寒気は変わらない。



熱も下がらない。



ようやく38度台まで下がったのは19時半頃だった。



ちょうど紅白歌合戦が始まった頃だったのでテレビをつけたところ、今度は上半身全体に激しい神経痛が現れた。



以前、30代の頃に苦しんだ事のある神経痛だが、今回のものは痛みの度合いが半端ない。



床をのたうちまわった。



本当にもうダメかと思った。



約3時間もそれが続き、気づけば23時半だった。



まともに紅白も見れなかった。



何とかゆく年くる年だけは見れた。



年が明けた。



早朝から寝込んで、高熱と悪寒で一睡も出来ず、何も食べず、夜は強烈な神経痛に苦しんだ大晦日となった。



しかし予定は未定とはよく言ったものだ。



大晦日は少し贅沢な食事と熱燗でも呑もうと考えていたのだが、何一つ飲み食い出来ず…



年が明けてから真夜中に熱燗を少し呑んだ。(当然ながらあまり進まなかった)



食べたのは小さな湯豆腐を3つだけ。

(まるで修行僧のようだ)



高熱と神経痛の名残りで全身が痛かった。

(それは翌日も続いた)



夜中には熱が平熱まで下がっていた。



もう悪寒も無かった。



何時まで起きていたのかは覚えていないが、夜中に死んだ母親が家の中を横切ったのは覚えている。



まだ地球に存在していたのかと思った。

(3年以上経ったのに)



それとも正月にだけ地球に来れるのだろうか?(笑)




まあ、そんな話はどうでもいい訳で、思い返せば今から約6年ほど前から「異変」は始まっていたのである。



急に大好きだった日本酒が全く飲めなくなったり、両手足の痺れが始まったり(精密検査の結果は異常なし)、インスピレーションが始まったり…



意識が変わる時、多くの場合、身体に異変や不調が現れるらしい。



エネルギーが変換される事によって起きる現象だ。



要するに、これまでのエネルギー(周波数)とは異なる為、身体が新しい周波数に合わせる為に調整しているのだ。



その期間は人によって異なる。



僕の場合だと、まだ両手足の痺れがあるし(6年)、喉の詰まりもある(6ヶ月)。



もちろん本当の病気の場合もあるだろうから、気になる場合は念の為に病院で検査を受ける事をお勧めする。



その結果、異常なしであるのならば、意識の変容が起きている可能性がある。



そしてその場合、肉体的には苦しい。



今日の僕は胃痛が…

(胃痛などほとんど経験した事が無い)



でも無理矢理に薬を飲んで治めようとするのではなく、メッセージを聴くような意識を持つ。



たとえ声が聴こえなくても、何らかの形でメッセージは現れる。



今回の僕の場合だと、メッセージは3つ。



①1日1食にしなさい。

(特に正午までは何も食べるな)


②身体を冷やさず温めなさい。


③水分の取り過ぎに注意しなさい。




こういった内容が何らかの形で伝わってくる。



だからこれらに従って生きていく。



少し前のブログでも書いたけど、身体とは対話できる。



本当に心から身体と向き合い、敬意を持って耳を傾ければいい。



地道に続けてみる事だ。



やがて通じる。




さて、長くなった。



最後に重要な事を伝えておきたい。



あなたがこのブログを読んだのなら、あなたにも3つの内容が伝えられているという事だ。



①1日1食

②身体を冷やさず温める

③水分の取り過ぎに注意



ワンネス。



あなたは私で、私はあなた。



是非、参考にしてみて欲しい。



では。




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ワンポイントレッスン


意識変容(アセンション)において、身体だけは今までと同じという事はあり得ない。



今年もあと僅かとなりましたね。



とは言え、時空が存在しないという感覚のもとに暮らしていれば、今日も明日も明後日も何も変わらない訳ですが…




「個人としての私」にとりましては、今年は大いなる気づきを得られました。



体調不良に伴い、半年間まともに働けなくなり、働けないどころか日常生活すらままならない状態で過ごしていました。



声が出せる事、話ができる事、外出できる事、体力がある事など、これまでは当たり前だと思ってきた事が出来なくなってしまい、内観の毎日でした。



肉体に何が起きているのか?



これは何のメッセージなのか?



思考と意識の隔たりがあるのか?





思考が働けば内観は上手くいきません。



でも思考が止まれば気づきが得られます。



私の場合は長年やってきたので、ある程度は思考を止める事が出来ます。



とは言っても、思考の動きをコントロールしている訳でもありません。



それは「勝手に動かなくなる」という感覚です。






人は無意識のうちに何かを背負いながら生きています。



そしてその重さに気づいているようで気づいていません。



違和感こそあるものの、その正体には辿り着いていません。



だから何とか無理して頑張って生きていくのです。



そしてやがて力尽きた場合、心身が病むのです。



それは限界サインです。



素晴らしきメカニズムです。





私のこの半年間の苦しみは、魂が求めているものとの隔たりによって生じていたのだと今では理解しています。



分かりやすく言うならば、宇宙の価値観と地球の価値観は違うという事です。



これは頭では理解できない次元です。



各人が体感しなければなりません。



私は半年間引きこもり状態になって体感しました。



もちろん毎日の内観を通じて。






私は今年、初めて本を出しました。



タイトルは忘れましたが(笑)、確か、「本当の自分を探す旅」だったかと思います(笑)



今ではそのタイトルを気に入っていません。



なぜなら、本当の自分を「探す」という事などあり得ない事に気づいてしまったからです。



それはもう「ここ」に存在していて、何処かにあるのではないのです。


タイトルさえ忘れてる(笑)




世の中は大変なスピリチュアルブームになっています。



これが一過性で終わらず、継続する事を願います。



人間は目に見える物質性に執着し、それを得れば幸せになれると思い込みながら生きている。



だがしかし、そんな訳は無い。



目に見えるどんなものを得たところで真の幸せなど感じる事は出来ない。

(試しにやってみるといい)



幸福と至福の違いに気づけたならば、もう物質性に執着する生き方はあり得ない。





過去世、そしてそこから派生する幼少期。



そして固定観念。



エゴという名の自分。



恐怖を恐れ、恐怖を回避し、恐怖から逃避する生き方。



あるいは恐怖と闘う生き方。



さて、何が「私」なのだろうか?



どれが「私」なのだろうか?



あなたには理解できているでしょうか?





この半年間、動けなくなって、「私」の奥深くに毎日入り込んでみて。



やがて「探す自分」というものが幻想だと気づき、【探究】を手放して。



そうしたら全てがどうでもよくなって。



本当にどうでもよくなって。



それは絶望ではなく【絶対的信頼】によるものです。



これからの人生(出来事)を全て委ねて託す。



決して抵抗しない。



もちろん執着もしない。





覚醒とか悟りとかアセンションとか、名前はどうでもいいのですが、そういったものは誰にでも起きます。



山籠りしたり修行したりしなくても。



だからそういった現象や体験を特別視しない事です。



大したものではないのです。



そして何よりも、意識変容が起こった人ならば、必ずこう思うでしょう。



覚醒とか悟りなどは元々無い。



とね。



ただ本来の自分に戻っただけですからね。