叡智の共有【TOSHI】

叡智の共有【TOSHI】

意識(本当の自分)の探究や、それにまつわる様々な実体験から得られたもの、インスピレーションから得られたものなどを共有できるといいです。




2026年になったらしい。



僕は子供の頃から正月というものが嫌いだった。



その理由は知らないが…



さて、少しだけ僕の大晦日の体験を。






早朝5時台に激しい嘔気の発作で目が覚めた。(ブログを読んで下さっている方は知っているだろうけど、僕は昨年7月からこの発作に苦しみ続けている)



数時間して嘔気は治ったのだが、今度は激しい悪寒に襲われ始めた。



40度以上の発熱だった。



更には激しい腹痛が…



「何かに当たったのか?」と思った。



だが思い当たる節も無い。

(食中毒になった事があるが、こんなもんじゃない)



あまりにも寒く布団にくるまったが眠れない。



布団を何重にもかけたが寒気は変わらない。



熱も下がらない。



ようやく38度台まで下がったのは19時半頃だった。



ちょうど紅白歌合戦が始まった頃だったのでテレビをつけたところ、今度は上半身全体に激しい神経痛が現れた。



以前、30代の頃に苦しんだ事のある神経痛だが、今回のものは痛みの度合いが半端ない。



床をのたうちまわった。



本当にもうダメかと思った。



約3時間もそれが続き、気づけば23時半だった。



まともに紅白も見れなかった。



何とかゆく年くる年だけは見れた。



年が明けた。



早朝から寝込んで、高熱と悪寒で一睡も出来ず、何も食べず、夜は強烈な神経痛に苦しんだ大晦日となった。



しかし予定は未定とはよく言ったものだ。



大晦日は少し贅沢な食事と熱燗でも呑もうと考えていたのだが、何一つ飲み食い出来ず…



年が明けてから真夜中に熱燗を少し呑んだ。(当然ながらあまり進まなかった)



食べたのは小さな湯豆腐を3つだけ。

(まるで修行僧のようだ)



高熱と神経痛の名残りで全身が痛かった。

(それは翌日も続いた)



夜中には熱が平熱まで下がっていた。



もう悪寒も無かった。



何時まで起きていたのかは覚えていないが、夜中に死んだ母親が家の中を横切ったのは覚えている。



まだ地球に存在していたのかと思った。

(3年以上経ったのに)



それとも正月にだけ地球に来れるのだろうか?(笑)




まあ、そんな話はどうでもいい訳で、思い返せば今から約6年ほど前から「異変」は始まっていたのである。



急に大好きだった日本酒が全く飲めなくなったり、両手足の痺れが始まったり(精密検査の結果は異常なし)、インスピレーションが始まったり…



意識が変わる時、多くの場合、身体に異変や不調が現れるらしい。



エネルギーが変換される事によって起きる現象だ。



要するに、これまでのエネルギー(周波数)とは異なる為、身体が新しい周波数に合わせる為に調整しているのだ。



その期間は人によって異なる。



僕の場合だと、まだ両手足の痺れがあるし(6年)、喉の詰まりもある(6ヶ月)。



もちろん本当の病気の場合もあるだろうから、気になる場合は念の為に病院で検査を受ける事をお勧めする。



その結果、異常なしであるのならば、意識の変容が起きている可能性がある。



そしてその場合、肉体的には苦しい。



今日の僕は胃痛が…

(胃痛などほとんど経験した事が無い)



でも無理矢理に薬を飲んで治めようとするのではなく、メッセージを聴くような意識を持つ。



たとえ声が聴こえなくても、何らかの形でメッセージは現れる。



今回の僕の場合だと、メッセージは3つ。



①1日1食にしなさい。

(特に正午までは何も食べるな)


②身体を冷やさず温めなさい。


③水分の取り過ぎに注意しなさい。




こういった内容が何らかの形で伝わってくる。



だからこれらに従って生きていく。



少し前のブログでも書いたけど、身体とは対話できる。



本当に心から身体と向き合い、敬意を持って耳を傾ければいい。



地道に続けてみる事だ。



やがて通じる。




さて、長くなった。



最後に重要な事を伝えておきたい。



あなたがこのブログを読んだのなら、あなたにも3つの内容が伝えられているという事だ。



①1日1食

②身体を冷やさず温める

③水分の取り過ぎに注意



ワンネス。



あなたは私で、私はあなた。



是非、参考にしてみて欲しい。



では。







併せてお読み頂きたい記事


今年もあと僅かとなりましたね。



とは言え、時空が存在しないという感覚のもとに暮らしていれば、今日も明日も明後日も何も変わらない訳ですが…




「個人としての私」にとりましては、今年は大いなる気づきを得られました。



体調不良に伴い、半年間まともに働けなくなり、働けないどころか日常生活すらままならない状態で過ごしていました。



声が出せる事、話ができる事、外出できる事、体力がある事など、これまでは当たり前だと思ってきた事が出来なくなってしまい、内観の毎日でした。



肉体に何が起きているのか?



これは何のメッセージなのか?



思考と意識の隔たりがあるのか?





思考が働けば内観は上手くいきません。



でも思考が止まれば気づきが得られます。



私の場合は長年やってきたので、ある程度は思考を止める事が出来ます。



とは言っても、思考の動きをコントロールしている訳でもありません。



それは「勝手に動かなくなる」という感覚です。






人は無意識のうちに何かを背負いながら生きています。



そしてその重さに気づいているようで気づいていません。



違和感こそあるものの、その正体には辿り着いていません。



だから何とか無理して頑張って生きていくのです。



そしてやがて力尽きた場合、心身が病むのです。



それは限界サインです。



素晴らしきメカニズムです。





私のこの半年間の苦しみは、魂が求めているものとの隔たりによって生じていたのだと今では理解しています。



分かりやすく言うならば、宇宙の価値観と地球の価値観は違うという事です。



これは頭では理解できない次元です。



各人が体感しなければなりません。



私は半年間引きこもり状態になって体感しました。



もちろん毎日の内観を通じて。






私は今年、初めて本を出しました。



タイトルは忘れましたが(笑)、確か、「本当の自分を探す旅」だったかと思います(笑)



今ではそのタイトルを気に入っていません。



なぜなら、本当の自分を「探す」という事などあり得ない事に気づいてしまったからです。



それはもう「ここ」に存在していて、何処かにあるのではないのです。


タイトルさえ忘れてる(笑)




世の中は大変なスピリチュアルブームになっています。



これが一過性で終わらず、継続する事を願います。



人間は目に見える物質性に執着し、それを得れば幸せになれると思い込みながら生きている。



だがしかし、そんな訳は無い。



目に見えるどんなものを得たところで真の幸せなど感じる事は出来ない。

(試しにやってみるといい)



幸福と至福の違いに気づけたならば、もう物質性に執着する生き方はあり得ない。





過去世、そしてそこから派生する幼少期。



そして固定観念。



エゴという名の自分。



恐怖を恐れ、恐怖を回避し、恐怖から逃避する生き方。



あるいは恐怖と闘う生き方。



さて、何が「私」なのだろうか?



どれが「私」なのだろうか?



あなたには理解できているでしょうか?





この半年間、動けなくなって、「私」の奥深くに毎日入り込んでみて。



やがて「探す自分」というものが幻想だと気づき、【探究】を手放して。



そうしたら全てがどうでもよくなって。



本当にどうでもよくなって。



それは絶望ではなく【絶対的信頼】によるものです。



これからの人生(出来事)を全て委ねて託す。



決して抵抗しない。



もちろん執着もしない。





覚醒とか悟りとかアセンションとか、名前はどうでもいいのですが、そういったものは誰にでも起きます。



山籠りしたり修行したりしなくても。



だからそういった現象や体験を特別視しない事です。



大したものではないのです。



そして何よりも、意識変容が起こった人ならば、必ずこう思うでしょう。



覚醒とか悟りなどは元々無い。



とね。



ただ本来の自分に戻っただけですからね。





前回の続き。


前回の記事



私は野心の塊であった。



人からの誘いに乗り、僅か1年半で就職できた仕事を辞め、起業した。



25歳だった。



何も知らない、何の特技も無い私が起業の道へ入り込んだのだった。



更に翌年にも2社立ち上げた。



よく分からないまま、私はいつの間にか3社の経営に携わっていたのである。



とにかく働いた記憶がある。



朝7時に出社し、夜中の2時まで働いた。



年間の休みは3日のみ。



それを8年半続けた。



今ならば死んでいるだろう。



あの頃は若かった。



幸いにして事業はうまくいったが、私の心は満たされなかった。



「このままでは天下は取れない」と。



この間、私は二度の離婚をした。



家庭など一切顧みず、ひたすら天下を取る為にビジネスに没頭した。



私は狂っていたのだ。



今だから分かる。





自分自神

「狼前夜」と記した一冊のノートがあった。



これは私が大学を卒業し、初めての就職が決まり、まさに初出勤の前夜から書き始めたノートだ。



私はその夜、緊張や身震いの為に一睡も出来なかった。



口では偉そうな事を散々述べてきた私であったが、その中身は空っぽであり、何の特技も能力も無かった。



それなのに面接では「天下を取る!」と豪語したのだ。



あなたには分かるだろうか?


私の緊張ぶりが。



私は何も持たない人物にも関わらず、明日から活躍しなければならないのだから。



そう思い込んでいた。



徹夜で出勤した私は、早速打ちのめされた事を覚えている。



切手の貼り方が分からなかったのだ。



これには参った。



天下を取ろうとする男が封筒に切手をきちんと貼れなかったのだから。



天下が霞んで見えた。



遠くに行ってしまったような感覚に陥った。



その日の晩、「狼前夜」にはこう書き記した。



「俺は狼どころか子羊だった…」と。



この日以来、私は人から舐められないように生きた。



いかに緊張し、いかに警戒し、いかに凝り固まって生きてきたのか、あなたには分かるだろうか?



まだ23歳。



始まったばかりだったのに。




自分自神

人は得てして「狭い領域」の中で暮らしてしまう。



自分が知っている範囲内、自分が経験した範囲内、そして、自分が「安全だ」と認識している範囲内で。



それゆえ、新しい人生、新しい経験はやって来ない。



繰り返される似たような体験。



同じような過ちや罪悪感、後悔。



自分と接した人たちに対する怒りや嫉妬心。



何度同じ事を味わえば済むのだろう?



気づかなければ死ぬまで続く。



哀れな人生だな…







これまでの自分、これまでの思考、これまでの常識、これまでの価値観、これまでの信念を蹴り飛ばす勇気はあるか?



全てを無にする勇気はあるか?



そして新しい自分、新しい人生を歩み出す勇気はあるか?



もしもそれがあるのならば、そして、その為に気づきを得る助けみたいなものが必要ならば、おいで。



そうでなければ来ないで。



本当にあなたが必要とするならば、その覚悟があるならば、僕はきっとあなたの役に立てる。



でもそうでなければ来ないで。




【自分自神】




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