法則の書き換え師・TOSHI

法則の書き換え師・TOSHI

「今まで当たり前だと思っていた事は、実は違う見方ができる」という視点の転換を、あなたの魂に刻み込みます。




『心』



それは本来、汚れる事など無い。



「私の心はいつの間にか汚れてしまった」と人は言うが、そんな事は無い。



『心』が汚れる事など無い。



ただほんの少し「思考(エゴ)」に侵されてしまっただけだ。



「恐怖」を愛してしまっただけだ。



「恐怖」の存在を認めてしまっただけだ。



ただそれだけだ。



あなたにも私にも『魂』が在る。



と言うよりも、あなたも私も『魂』だ。



それは『愛』であり、唯一の実在だ。



その他のものは全て変幻自在の「空想」であり、従って実在ではない。



何の為に生まれてきたのか?



何の為に生きているのか?



闇(思考)の中で模索した長い日々。



闇は所詮は闇でしかなく、そしてそれは実在しない。



ゆえに、闇の中で生きる意味を探しても無駄なのだ。



一生分かるはずが無い。



自分が『光』だったと思い出すまでは。



なぜ、誰かが傷んでいる時、誰かが悲しんでいる時、自分も心が痛むのだろう?



どうして他人事だと整理できないのだろう?



どうして赤の他人の無事や回復を願うのだろう?



あなたはどう思う?



あなたが『愛』だからでは?



何を「得る」かではなく、何を「与えられる」か。



祈りや願いでもいい。



それを『心』と呼ぶんじゃないのかな?



それは「思考」とは違うでしょう?



だから『心』が汚れる事など無いんだよ。



『心』はいつだって澄んでいる。



ただ、あなたも私も思考(恐怖)に忙しすぎて、「私の心は汚れてしまった」と思い込んでいるだけなのさ。



そんな『心』など実在しないのね。



あなたの『心』も私の『心』も、いつだって平和を求めているし、平和を願っている。



そうでしょ?




「思考」に支配されている人はとにかく騒がしい。



それは当然だ。



「恐怖」に支配されているのだから。



そりゃ、喚くわな…



じっとしていられないだろうし、おとなしくなんかしていられないだろう。



怖いのだから…




あれが実現しただの、叶っただの、


臨時収入が入っただの、


年収が増えただの、


スキルアップしただの、


恋人ができただの、


覚醒しただの、


だからどうしたというのか?



誰かにすごいねと褒められたいのか?



認めて欲しいのか?



そんなに自分に不足感を抱きながら生きているのか?



と、感じてしまうが、それらは本人の自由だ。



好きにすればいい。



肯定も否定もしない。



ただ…



本当に「意識」として在る人は、とても静かで穏やかだ。



一切の自己主張も自己顕示もない。



私は残りの人生、そういう在り方(存在)と接していたい。




今回の記事の内容にあなたが当てはまっていない事を願う。




自分の奥底に潜んでいる【自己無価値感】や【自己無力感】を補う為に、「人の役に立ちたい」、「人を助けたい」という欲求を持つ人が多い。



人の役に立てたり、人を助けられたりしたなら、「私は価値がある存在だ」、「私は無力ではなかった」と思えるからだ。



こういう人はカウンセラーやコーチング、自己啓発系、エステ、教師、介護士などの職業を選ぶ傾向にある。(あくまでも傾向である)



職業に就かなくても、お節介な存在となりやすい。



要は、「私の存在価値を証明したい」のだ。



自分の存在価値が無いと思っているからこそ、存在価値を証明しようとするのだ。



だが本人は全くこの事に気づいてはいない。



クライアントやらに「あなたのお陰で助かりました」などと言われた暁には舞い上がる。



「私は凄いのだ!」と。



それはまるで薬物中毒のように脳内に快感が広がる。



やめられない。



止まらない。



まるでカッパえびせんだ。




こうして自分の存在価値の証明の為に「人助け」が中毒となる。



本当に助けが必要なのは「自分自身」だという事には全く気づかずに。



自分が無意識のうちに出しているエネルギー(周波数)と調和した人間が寄ってくる。



例えば自分が異性に依存してきた過去があるとしよう。



すると過去の自分と同じような人間が寄ってきて「助けて下さい」と言う。



内心こう思う。



「私はこの人の事がよく分かる」と。



そして饒舌に話を展開する。



相手も「私の事を深く理解してくれている」と思う。



こうして関係性が成立する。



異性に依存していた事を【過去の話】にしているという事実に気づかずに他者を助けようとしている。



その事に全く気づいていない。



「私はもう異性には依存していない人間になったのだ」と思い込んでいる為。



当の本人は、自分の心が癒やされていないという事に全く気づいていないのである。



こうして「人助け中毒」は続いていく。



実際には何の人助けにもなっていないにも関わらず。



無知とは本当に恐ろしいものである。




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あなたの世界はあなたの心の投影である。



【自分の世界=心の投影】



これが全てである。



私が何を伝えているのか分からないという人の為に少し解説を付け加えたい。




「世界」と「心」について。




まず、「世界」とは「あなたが認識する全てのもの」の事である。



今日職場で同僚から嫌味を言われて腹が立った。


これも「あなたの世界」だ。



今日夫が私に誕生日プレゼントをくれて嬉しかった。


これも「あなたの世界」だ。



今日は何もやる気が起きなくてずっと寝ていた。


これも「あなたの世界」だ。




どんな「世界」であろうがあなたが認識したものである。



逆に言えば、あなたが認識していないのならば、そこに「世界」は無い。




さてもう一つ。


「心」について。


こちらの方が重要である。




「心」というものを真っ二つにあえて分けるならば、「恐怖」か「愛」のいずれかとなる。




もう少し分かりやすく表現するならば、【恐怖=思考】であり、【愛=意識】である。



あなたの「心」が、【恐怖=思考】の状態なのか、あるいは、【愛=意識】の状態なのか?



そういう事になる。



そして多くの人々は【恐怖=思考】の状態にある。



それが良い悪いという事ではない。



どちらであってもあなたの自由なのだから。



誰もあなたを評価する事など出来ない。



唯一あなたを評価できるのは「あなた」だけだ。



ただし「評価」と言っても、「私はダメな人間だ」とか「私はよく頑張っている」などという思考上の評価ではない。



そんな評価など要らない。



むしろ邪魔なだけである。



私が話している「評価」とは、



「私は幸せか?」


「私の心は平穏か?」



というものに対する評価である。



そしてこの評価に対して決して誤解してはならないポイントがある。



それは、



無条件かどうか?



ここである。



「私は家族が居るから幸せだ」


「最近は何も問題が起きないから平穏だ」



これらは「条件付き」であり無条件とは呼ばない。



「◯◯だから」が無い状態、それでも幸福感や平穏に包まれている状態の事を【無条件】と呼ぶのである。




私が知り得る限り、多くの人の心は【恐怖=思考】の状態である。



そしてそれが【自分の世界】に投影されている。



もしもあなたもそうだとしたら、あなたは何か起きるたびに何とかしようとする。



あるいは、何か起きる前に何とかしようとするだろう。



なぜならあなたは【怖い】からだ。



「何とかしようとする=恐怖からの逃避】


である事にあなたは気づいていない。



気づいている人ならば、既に起きた出来事(自分の心の投影)に対して何とかしようと焦らない。



「何もするな」と言っているのではない。



「恐怖から逃れる為の選択をしている事に気づいていない」という事を話している。



あなたの「心」があなたの「世界」なのだから、現れた現象(世界)に対して右往左往しても意味が無いのである。



それよりもあなたの「心」が【恐怖=思考】なのか【愛=意識】なのかをまずは確かめる事だ。(もちろん前者だろうが)



確かめるだけでも大きく変わる。



何故なら、【私の思考(=恐怖)によって、この出来事が起きたのだ】という事実に気づけるからだ。



これだけでも大きい。



何故なら【他人や運などのせいにしなくなる】からである。



全ては【自己責任】だったという事実に気づけるからである。



まずはここが意識変容の入り口ではないかと感じている。





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今回の記事はスピリチュアルな探究を続けてきた人に対して書きたい。



自分とは何か?



何の為に生まれてきたのか?



何の為に生きているのか?



そういった疑問に対して探究してきた人、あるいは、その答えを探し続けてきた人に対して書く。




例えば、瞑想とか内観とか何でもいい。



何か「気づき」を得たとする。



「私は◯◯に気づいた」と。



ここで「気づいた事に満足してしまう」人がいる。



気づいて満足して終わり。



「ああ、私はまた一歩覚醒に近づいた」と。



果たしてこの繰り返しにおいて、人が覚醒する事はあるのだろうか?



あなたはどう思う?



「気づき」とは、あくまでも覚醒への入り口、第一歩に過ぎず、そこからその「気づき」をどう活かすのか。



どう日々の暮らしの中で実践していくのか。



それこそが肝心なのではないだろうか?



そうでないと、せっかくの「気づき」も宝の持ち腐れとなるだけだ。




スピリチュアルな探究の一つの段階においては、この「気づき」を得る事が大切であろう。



そして「気づき」を実践する。



実際に確かめて腑に落とす。



すると理解が深まる。



意識は徐々に変容していく。



それを体感する。




この繰り返しの中で、ある日、ある時、新たなる「気づき」を得る。



それが「私」だ。



「自分」ではなく、「私」だ。



これまでは「自分が◯◯に気づいている」と認識していたのだが、そうではなく、「私が気づきだったのだ」



【気づき=私】



この時から全てが180度変わる。



そんな感覚になる。



外の世界との境界線が無くなり、曖昧となる。



これを「ワンネス」と言うのだろう。



もはや、「私」が全ての中に溶け込んだような感覚に陥る。



そしてその感覚が続く。



たとえその感覚が落ち着いたとしても、それでもその感覚は忘れない。



もう「あの頃」には戻れなくなるのだ。



「恐怖」や「悲しみ」を愛していた頃の自分には戻れない。



「幸福」や「平穏」を愛する「私」が現れるのだ。



それが「本当の自分」だ。





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