Palliative care(Pall careと略すこともあり)
Palliation pathway
Comfort care
緩和ケアとか看取りとかのお話
派遣で日本の老人ホームで働いてた時
どう考えてもあと数日以内に危ないという人に
バイタルを測るかどうかというジレンマがあり
様々な理由でとても皮膚の脆い人だったから
血圧を頻回に測るのもかわいそうだし(あれっ
て結構痛いじゃないですか?私は大嫌い)
でも医師の指示もないのに何もしないのは何か
あった時に責任問題になるからとナース間で
話し合って結局最後までチェックしてました。
それ見て何するわけでもないんだけど一応いつ
危なくなってくるかの指標になるという観点
からナースというより介護士さんたちが測って
欲しいみたいな感じだった記憶。
ナースは慣れてるけど介護士さんたちはあまり
死に直面することは慣れてないし、看取りって
なった時にそこの施設はもう完全にナースに
お任せって感じで全然ケアに入って来なくなっ
ちゃったから私たちがかなりお願いしていつも
通りにやって〜って伝えたんですよね。
いつも通りにお部屋で過ごして食堂に行けたら
行って好きな物だけ食べてご希望があれば
普通は体力がなさそうだったら「今日は中止」
って言うところでも入浴してもらって、って。
日常の中で普通に逝けたら一番じゃない?
こっちに来てから「看取り」となったら無理に
バイタルを測らず「comfort obs」と言って
疼痛の有無
呼吸苦の有無
restlessnessもしくはagitationの有無
家族の訴えの有無
をチェックして対応していくというシステムが
理にかなっているなと思う。
酸素だってご希望があればつけたりするけど
看取りの状態になると意味がない。
痰が絡んでるから吸引…なんてそんな苦しい
ことはもちろんせず、死に逝く時にどうしても
痰というか呼吸器辺りでゴロゴロ音がするよう
になるのは自然なことなんですよと。
亡くなる時って急に今までの身体の機能が
パタっと閉じるわけではなく、徐々にあちこち
の機能が低下していって…
だから疼痛だってどこかの痛みももちろんだけ
ど、そういう状態になると身体全体がつらくて
不快になって落ち着かなくなるというか。
鎮痛剤や鎮静剤を使って少しでも楽にしてあげ
てというこの流れが私にはとても納得のいく
方法だなと、日本でも働いていた身としては
いつも自分ならこうして欲しいって願いながら
ケアをしております。
病院でも老人ホームでもご希望があれば家族が
付き添えるようにリクライニングチェアーとか
準備して夜も家族と一緒に過ごせる環境。
もちろん本当は住み慣れた自宅がいいだろう
から本人の状態とご家族によっては自宅で
看取りという流れになることもある。
もう意識がなくてもみんなが声をかけてたり
普通にいろんな家族の日常会話が聞こえてたり
するのって良いよねって思う。
悲しい場面だけど赤ちゃんとか小さな子がいて
笑い声が聞こえたり、日常の中っていうのが
いいなって。
いつか老人ホームで働いてた時にとっても素敵
な入居者さんが亡くなる場面で娘さんたちが
交代で付き添ってたけど
「ママはもう何の苦痛もない世界に行くのよ
だから何の心配もしないでオシャレして
楽しんでてね」
って呪文のように耳元でずっとお話していて
私もそれで泣かされました
そんな風に自分の両親も看取ってあげられたら
って思うけどこういうケースは本当にラッキー
なことで、最期がいつになるかなんて誰にも
予測つかないし、最期がいつも綺麗であるか
というのも保証はなし。
自宅で
病院で
施設で
それでもベッドの上で逝けたらラッキーなんだ
と思う。
最近看取りが続いて少し感傷的になってしまっ
て自分の想いを書いてみました。