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2 どこまでも一緒に考えよう、しかし自分の頭で考えよう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 青山繁晴
おはようございます。
Brandonです。
この言葉も、青山さんは事ある度に出てくる言葉
最終的には、”自分の頭で考える”、自分で判断する
これは本当に大切
そこが無いが故に、他人に責任を転嫁するのでしょう。
私が現在、複数関わっている集まり(町内、職場、コミュニティー、公共団体・・・)で、一部の人達は所属している集まりの多数の意見や主張を鵜呑みにして、それを事実として思い込んでいるケースをよく見かけます。
私達一人一人の判断は、関わる環境に大きく左右されます。大衆心理(集団心理)ですね。
何かに依存する傾向のある人は、特に環境に左右され、第三者から見るとそういった人は優柔不断な人として映ります。
”自分の頭で考える”上で大切なことは、色んな人(環境)に接した上で、何故その人はそうした考えに至るのかを、自分なりの解釈を積み重ねないと意味がないと私は思います。
(その為のは、自分の軸を定めないと行けませんがね)
現在、私はいろんな集まりやコミュニティーで感じることは、目指す方向性にまとまりのあることは、組織として当然で、そうでなくては行けないと思いますが、物事に対する考えが全く同じ(金太郎飴状態)ということに疑問を感じることが少なくないです。
誤解を招くかも知れませんが、私は過去に数多くの、新興宗教の集会に誘われて断ることなく、それなりに関わった時期がありました。1、2の団体を除き大抵は”ここが唯一で絶対だ”と最終的に主張してきます。
それと同じようなことを、関わるビジネスやプライベートな集まりでも感じます。
大きな視点では、日本国民もそうなのかも知れません。海外で生活した経験のある日本人の方と話すと日本の良くも悪くも異質さ(諸外国を標準として)を感じます。
そんな日本の今の環境で、今後将来IT,AI,ブロックチェーンで激変する社会環境に対して、私達が判断する事は果たして、”自分の頭”で考えていることになるんだろうか?とも思います。
生活環境を変えるという事は、実生活においては難しいでしょうが、私達が現在関わっている人や組織、コミュニティー外に関心を持つ。目の前の事柄を、周囲の人達の考えや情報を一つの材料として捉えて、関わる環境の範囲を少しづづでも広げていく努力は必要でしょう。
そうした事により”自分の頭で考える”世の中で唯一無二の私自身として、生き甲斐も感じられるのだと思います。