タイトル通りです。
辛いけど記録に残そうと思います。
急性骨髄性白血病の闘病中、肺炎が原因で2016年11月20日朝に死亡確認。
2016年5月8日入院。
体調がずっと悪く貧血もひどかった、と母が話していた。
それでもわたしの学校での宿泊研修のためにギリギリまで大丈夫だと言って子供の面倒を見てくれていた。
この時点で別の病気で通院時の血液検査にて「白血球の数値が低い」と医師から言われていたそう。
入院した翌々日だったかな。医師から母が急性骨髄性白血病だと説明を受ける。
この病院には白血病の治療に対応してないそうで他の病院に転院することになるとのこと。
ひとつは現在入院してる病院から徒歩10分程の場所でお家からも徒歩圏内。
ひとつは市内だが遠く、地元駅前のバス停から1時間2本な上に40分近くかかる。
どちらも受け入れがいっぱいいっぱいだったが、遠い方の病院がなんとか入れてくださった。
辛いけど記録に残そうと思います。
急性骨髄性白血病の闘病中、肺炎が原因で2016年11月20日朝に死亡確認。
2016年5月8日入院。
体調がずっと悪く貧血もひどかった、と母が話していた。
それでもわたしの学校での宿泊研修のためにギリギリまで大丈夫だと言って子供の面倒を見てくれていた。
この時点で別の病気で通院時の血液検査にて「白血球の数値が低い」と医師から言われていたそう。
入院した翌々日だったかな。医師から母が急性骨髄性白血病だと説明を受ける。
この病院には白血病の治療に対応してないそうで他の病院に転院することになるとのこと。
ひとつは現在入院してる病院から徒歩10分程の場所でお家からも徒歩圏内。
ひとつは市内だが遠く、地元駅前のバス停から1時間2本な上に40分近くかかる。
どちらも受け入れがいっぱいいっぱいだったが、遠い方の病院がなんとか入れてくださった。
自宅から徒歩圏内に総合病院があったからこんなにも離れた病院で不安だった。
しかも当時1歳の子供+看護学校。。
母と休学についても話したが、遠方にいる親戚たちが実習時などはこちらで子供を預かるとまで言って下さっていたらしく頑張ることを決意。
お迎え+子供の世話のため平日は基本的にお見舞いには行けず土日のみ。
子供は病室に入れないので看護師さんに荷物を手渡してもらい帰るだけ。
たまに看護師さんが子供を短時間見てくれてわたしが病室まで入れることもあった。
看護師さんの心遣いに感謝。
あとは平日の授業が早く終わったときもお見舞いへ。
そのときは子供は保育園なので病室まで行けた。
たまに母と電話もしてたけど体調が悪くそれも週に1回ほど。
母は副作用が強く出ていて、食事はまともに取れず高カロリーの点滴をずっとしてた。
アイスクリームを一口食べただけでも吐いていた。
お水は少しずつなら吐かずに摂取できていた。
化学療法開始後しばらくして緩和ケアチームがつく程、常に副作用が出ていた。
それは化学療法を行う1週間だけでなく、ずっと続いていた。
母は入院した5月から亡くなる11月までまともにごはんを食べることはできなかった。
一時退院して自宅に戻ると気分も良くなるのか若干食べられるようにはなっていた。
それでもオクラを切ったものとか、ほんの少しの素麺とか。
食べた後は嘔吐。
食べることができないせいで余計に胃が食べ物を受け付けなくなり、食べようと頑張っても吐いていた。
続きます


