【シェリーの歴史6】西ゴート王国の興亡 | シェリーそそいで生ハムきって

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ベネンシアドールでコルタドールな在日コリアンのブログ

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ちょっとヲタな話で恐縮です。
「ルパン三世カリオストロの城(宮崎駿監督/79年東宝)」という名作アニメ映画があります。
冒頭、国営カジノを襲って首尾よく大金をせしめたルパンと次元でしたが、これが偽札であることに気付きます。この偽札こそ「ゴート札」。歴史の激動期に暗躍し、史上最も精巧な出来を誇る幻の偽札。
ルパン達はその謎を暴くべく、秘密を握るゲルマン系の独立小国家カリオストロ公国に潜入します。
もちろんフィクションなのですが、劇中重要な小道具として登場する山羊の指輪に刻まれているのはゴート文字です。モデルがゴート族だということは明らかですね。

西ローマ帝国と同盟し、ヴァンダル族を追い落としてイベリア半島南部を手にしたのが西ゴート族(Visigoth)です。
黒海沿岸ドニエプル川流域に住んでいたゲルマン部族でしたが、ヴァンダル族と同じく「ゲルマン民族の大移動」で西に移動、後にはイタリア半島に侵入、一時的にローマを包囲するほどの勢力に成長しました。
この時、西ローマ帝国皇帝より、イタリア半島から撤退する条件として、ガリア(現在のフランス)とヒスパニア(イベリア半島)の領有を認められたとされています。

415年に南ガリアのトロサ(現在のトゥールーズ)を首都と定め、西ゴート王国(Regnum Visigothorum)を建国。西ローマ帝国崩壊(476)に乗じて版図を拡大、ガリア中部からイベリア半島南部にまたがる大国に成長しました。

しかし、ガリアでは同じく新興のフランク王国と争いでほとんどの領地を喪失、王国の中心をヒスパニアに移すことを余儀なくされた後、イベリア半島を完全掌握します。
560年にトレド遷都。589年にはアウリス派キリスト教から改宗してカトリックの国となりました。
ゲルマン諸部族の中ではいち早くローマ化した彼らの生活に、ワインが浸透したのは想像に難くありません。

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西ゴート王国の統治は、ラテン系先住民との融和を図り、ゲルマン文化とローマ文化、それにキリスト教文化の融合を進めたものでしたが、王権は弱くイベリア半島時代の200年の間に26人の王が立つなど、王位争いの絶えない不安定なものでした。

8世紀初頭、王国はすでに滅亡前夜の様相を見せており、国民生活は疲弊、貴族階級は腐敗し権力抗争に明け暮れていました。事実上の最後の西ゴート王となったロデリックがクーデターによって王位を簒奪すると、それに異を唱える諸侯により王国は分裂してしまいます。

とにかく行いが悪く、まさにカリオストロ伯爵の如く、色と欲の王として知られていまして、彼自身の所業が王国の崩壊を招いたと伝えられています。

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ジブラルタル海峡の北アフリカ側にある王国の飛地領セウタ。
この地の総督ユリアヌスにはフロリンダという美しい娘がいました。
上流階級の子女の習いで、彼女が首都トレドに留学していた時のこと、彼女に目をつけたロデリック王は、セウタ総督の娘であることを知った上で凌辱、側女にしてしまいました。
これを知ったユリアヌスは激怒、復讐を果たすべく、当時勢力の伸長著しいウマイヤ朝イスラム帝国と手を結んだとか…真相は定かではありませんが、西ゴート王国の弱体化が有力諸侯の離反を招き、イスラム勢力の侵入を誘ったことは確かでしょう。

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時は711年、イスラム帝国北アフリカ総督ムーサの命令のもと、彼が右腕と頼む指揮官ターリク・ブン・ジアードが率いる七千の軍勢がジブラルタルを渡ります。
彼は上陸した山麓をジャバル・アウ・ターリク(アラビア語で「ターリクの岩」)と名付け、それがジブラルタルの名前の原型となりました。

ターリクの軍は援軍をえて一万二千ほどに強化されていましたが、迎え撃つ西ゴート王国は王ロデリック自らが出馬する十万以上の大軍でした。
両軍は、へレス地域の南の境、グアダレーテ川で会戦、圧倒的な大軍であり、地の利を持っているはずの西ゴート王国軍でしたが、すでに人心を失っていた王ロデリックのせいか、ターリクの軍の猛攻に耐えきれず、防戦一方、一週間と持たずに総崩れとなります。

乱戦の中、王ロデリックは部下に見捨てられ惨めな最期を遂げたと伝えられています。西ゴート王国は崩壊しました。

<つづく>