札幌の観光名所のひとつとして
絶対外せないのが、こちら。
札幌市時計台。
ここは、北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として
クラーク博士の構想に基づき、明治11年に建設された建物で
当時は、時計塔などなく、屋根の上にあった小さな鐘楼が
授業の開始や終了の時刻を告げていたそうな。
完成式に出席した、当時の開拓長官の指示で塔時計の設置が決まるも
発注していた時計が、実際は大きすぎて鐘楼に設置出来ず
やむを得ず、完成間もない演武場に時計塔を作り直し
その時計と機械類が据え付けられた、という経緯があるらしい。
ふうむ・・・そうだったのかぁ。
その時から、札幌の住民たちは
毎正時、時を告げる澄んだ鐘の音の響きに正確な時刻を知る様になり
134年の時は過ぎるも
今日も明日も明後日も、農学校の大時計は
今までの歴史に加え、これからの歴史をも
街や時代の変遷と共に、刻んで行くことになるのだな
と思ってしまった。
さ、折角なので、中に入ってみましょうか。
北海道開拓の指導者を育成する目的で
明治9年に開校された札幌農学校。
それでも、建設・開校に至るまで
実にいろいろな曲折があったそうで
やはり、何か「新たなこと」を始めたり
既存の方法や伝統とは違うやり方をするものに対しては
すんなりいかない…というか
どこか変化を好まない、力あるものたちからの圧迫や攻撃が
執拗に向けられるものなのですねぃ。
ふ~む。。。
この建物の2階部分は、学生たちの兵式訓練や体育の授業
入学式や卒業式などを行う中央講堂として用いられていたスペース。
今では、夜間にコンサートなどが開かれているそうで
どこか教会の会堂を思わせる雰囲気に満ちていました。。。
根底にあるキリスト教精神が
そういう雰囲気を醸し出しているのかも…なんて
館内をササッと案内して下ったガイドさんが言っていたけど
どうなのかしら、ね。
同じフロアの片隅には
時計塔の中で動いているものと、同型の時計が展示してありました。
勿論、実際に稼動中~。
その時計を動かしているのが、この振り子。
「お手を触れないで下さい」との注意書きが記されています。
悪ふざけ、厳禁!よ。
時計塔の文字盤は、四方それぞれに取り付けてあるのに
ひとつの動力で、どうやって全ての針を動かし
鐘を鳴らしているのだろう…と、ちょいと考えてしまったけれど
そのしくみ、大したものです。
かつては「農学校の大時計」と呼ばれていたこの場所も
後に、農学校が移転し、札幌区(当時)が演武場を譲り受けた頃から
自ずと「時計台」と呼ばれるようになったそうで。
そして後年、この時計台を取り上げた歌も発表され
作者のこと、曲が誕生した時のエピソードなどを聞き
なかなか興味深いものを感じましたが
ここでは具体的なことは、割愛~ね。
ただ、後世に残るモノを世に生み出す人って
安定した生活の中にあって、満ち足りているわけでもなく
むしろ、多くの人々からの低評価・悪評価を受け
感情も思いもプライドも、丸ごと全てが落とされた中で
不思議な方法をもって与えられる…ことがあるのかしら
なんて、ふっと思ってしまいました。
この曲も、作者のひどい傷心から生まれた曲、だそうで
歌い手は、声楽家であった奥様。
その夫人の声域は「アルト」との記載があり
え~~~っ!?って思っちゃった。
だって、この楽譜をよ~く見ると
低い音は下のシだけれど、高い音は上のファですから
ソプラノとは言わないにしろ、アルトの音域じゃないでしょ、と。
思わず、ツッコミを入れたくなってしまいましたよ(笑)
(上のファ、なんて…。かつて一度だけ第九のソプラノに割り振られた時
アタシャ、高音が容易に出せないから、マジで死ぬかと思たデ)
そして、この建物の1階には
演武場建設の歴史、塔時計取付までの経緯
農学校の生徒の英語で記されたノートなど
当時の学習の様子などが展示されたスペースになっていて
農学校時代は、研究室、講義室、動植物や鉱物の博物標本室として
使われていたそうです。
資料コーナーの隅には
座って書物を閲覧できるコーナーもあります。
農学校のアメリカ人教師による授業は
全て英語で行われていたそうで
生徒たちはその講義内容を、まずはノートに書き留め
寄宿舎に戻ってから、きちんと清書を行っていたのだとか。
農学校の規則として、1日4時間の自習が義務付けられていたらしく
自ずと、英語漬けにされたことで
初期の頃の学生たちが英語に強くなっていった、ということ
物凄く納得!!!ですね。
こちら、農学の講義の
新渡戸稲造のノート、だそうで。
筆記体の英文字も、書き添えられたイラストも
本当に美しいですね。
生徒たちが記したのは、教師たちが語る講義の口述筆記だったらしく
聴く力、聞き書きする力、要点をまとめる力…などなど
一気に鍛えられていったのですね。
そして教師たちは、生徒が清書したものを点検し
誤りがあったら直す、という方法を取っていたそうで。
こうした教育面の全ては、クラーク博士が定め
その内容は
『農業実習、自然科学、人文科学の広範囲にわたる
全人的な教育を行うとともに
聖書による人格教育を授業に取り込むなど特色のあるもの』だった
という説明を聞き
なるほど、それゆえ、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾といった人たちも
札幌バンドに名を連ねたんだなぁ~と
これまた、納得。
その背景には ”Covenant”( 制約・契約・約束)
というものがあったためかもしれませんね、と
館内ガイドさんが話してくれたけど
” Covenant of Believe in Jesus ” イエスを信ずる者の誓約。。。かぁ。
中国語と韓国語での説明文もあります。
タイトルだけなら、中国語は漢字の羅列でも
何となく、意味が解りますねぃ。
韓国語の太文字は「時計台のエピソード」
その下に「イエスを信じる者の誓約」と記されています。
(細かな説明分には何て書いてあるんだろ…)
誓約書には、1期生・2期生、合わせて31名の署名があり
どうやら、この書面には
「書き足し」が出来るようになっていたみたいで…。
この誓約書の日本語訳のものがありましたので
そちらを大きく載せておきます。
館内の説明文を読んだり
ガイドさんによる「実話」を聞いてしまうと
私もイエス様を信ずる者のひとりとして
正直、もや~っとする思いが湧いてしまってね。
いろいろと考えさせられました。
生徒の中には、在学期間中は仕方なし、と割り切って
この誓約書にサインはすれど
実際は、「ウチは禅宗だから」と公言し、ついに信仰を持つことなく…
というものも居たそうで。
でもね、むしろ、思想とスタイルだけを取り入れ
実はイエス様など信じておらぬ、という人たちよりも
よっぽど潔い感じがしたわ。
ま、ここから先のことはカテ違いなので、別の機会に。
札幌市時計台
普通に街中のビルの谷間にあることで
パンフレットなどに写っている雰囲気と相違があるため
「観光地の3大がっかり」のひとつとされている説もあるけれど
見た目はともかく
時計台のエピソードを辿って行くと
実に面白い事実がふんだんに織り込まれていて
とてもとても30分程度では立ち去れない観光地だな、と
今回、改めて思いました。
用事の隙間時間に訪れるには
あまりにも時間が足りませんでしたワ。
ココにいろいろ載っています。
ご興味のある方は、どうぞ💛
【札幌市時計台】
【札幌市時計台:ようこそSAPPORO】
http://www.welcome.city.sapporo.jp/find/history/clock_tower/
* おまけ *
時計台の1階フロアには
欧州にある鐘の音色が聞こえる装置があります。
ブリュッセルのカリオン、私も鐘楼に上ったけど
階段を登っている途中で、いきなりガンガン!鳴り出し
メッチャタマゲタ!のを思い出しました。