七つの教会への書信 【スミルナ : いのちの冠】 | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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【ヨハネの黙示録2章1節~29節】 vol. 2
(教会でいただいたメッセージプリントを抜粋・引用しながら綴っています)
 
 
スミルナ教会
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『また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。
 『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。
 
 「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。 
 ――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが
 実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。
 
 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。
 見よ。悪魔はあなたがたをためすために
 あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。
 あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。
 そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
 
 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
 勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』
                                 (黙示録2:8~11)
http://kaze-sora.com/sozai/line/li_rainbow1.gif 
 
「初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる」』 (2:8)
 
初めであり、終わりである方 左矢印 主が絶対者であり
死んで、また生きた方 左矢印 永遠のいのちをもたれる方であることが記されている。
 
エペソと並ぶほどの大都市であった、スミルナ。
ローマもスミルナを保護していたことから、ローマ帝国と親しい関係を結び
皇帝崇拝やローマの偶像を拝むことが、広く行われていた、という。
 
主はこうおっしゃった。 
『わたしは、あなたの苦しみと貧しさを知っている』 (2:9)
 
ギリシャ語原語では、この「苦しみ」 とは、圧迫に押しつぶされる、という意味。
そして、無一文、という意味の「貧しさ」。
 
当時のスミルナにおいては、イエス様に対する信仰により
皇帝崇拝や偶像崇拝を拒否してしまったら
ローマ帝国を背後に置いた圧倒的な力によって迫害されてしまう
という社会的な背景があった。
 
そうした苦しみの中にある、スミルナ教会。
彼らの財産も、迫害によって全て奪われる、という状況にあった。
 
イエス様を信じること・信じ続けることにおいての迫害は
まさに、命がけ…。
初代教会ならではの苦しみは、いつも「死」が身近にあり
それだけいつも全てが追いつめられていた、ということなんだね。
 
だからこそ、真実な絶対者である主に対する信仰が必要、ということも
凄くよくわかる。
 
 
『 しかしあなたがたは実際は富んでいる』 (2:9)
この世的にはなにもなくても、主にある信仰者は
神様の絶対的な主権の中、誰よりも祝福され、幸いな道を歩んでいる…って
全く、Amen!だと思うよ。
そして、このことばは、彼らにとって、どれほど大きな励ましとなったことか。
 
また、この教会も、どうやら、他の地域と同様に
ユダヤ人からの迫害もあったらしい。
異教徒たちからの、圧倒的な迫害、という
強い圧迫に押しつぶされそうになる中において
いわば、同じ創造主なる神様を口にする、身内のような者たちからの非難や罵りは
どれほど辛いものであったか、と思う。
 
自分たちこそ、真の神に仕えている者、という自負を持っていると
ある意味、常識では考えられないほど残酷なことも平気でするからねぇ。
 
ぶっちゃけ、私も信仰を持って日が浅い時
「クリスチャン」 と自称はすれど、一般の方々でさえしないであろうことを
平気でやってしまう人たちを、間近で見ることがあって
口では神様の愛を語りながらも、言ってることとやってることが
まるっきり違うジャン!って思ったことが、何度かあったし。
 
正しいのは、自分(たち)ではなく、主のみ。
時代や国が変わっても、そしてやり方は違えども
その手の迫害って、無くなることはないんだなぁって、しみじみ思ったよ。
 
でも、そんなことに負けるわけにはいかない。
 
 
『 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。・・・
  あなたがたは10日間の苦しみを受ける。
 死に至るまで忠実でありなさい。
 そうすれば、わたしはあなたのいのちの冠を与えよう。
 
 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。
 勝利を得る者は、決して第2の死によってそこなわれることはない』
                                (2:10、11)
「10日間」・・・。
試みの期間の象徴的な数字として旧約にも出てきていることから
実際の日数ということではなく、試みによる一定の苦しみの期間を表すみたいね。
 
外部からの圧倒的な圧迫に押しつぶされそうになり
更には、同胞と思っていた人たちから受け続ける、非難や罵り・・・。
そうした苦しみにあっても、最後まで信仰を持ち続ける者には
いのちの冠」 が与えられ、 第二の死によってそこなわれることはない
と、主は御言葉をもって約束して下さった。
 
信仰生活には、ある意味、戦いは付き物だけど
敵は、何とかして信じる者たちを神様から離そうと
あの手・この手で攻撃してくるからね。
 
勝利への鍵は、諦めないこと
以前、礼拝メッセージで、そう語られたのを聞いた。
見据えていくのは希望であって、それを離してしまったら
絶望しか残らない。
 
主にある人生、目に見える人の言動に惑わされることなく
真実な絶対者である主に対する信仰を握りしめ
 “ Victor's crown ” が与えられるその時まで
忠実なものでいられますように、と願ってしまう。
 
 
Victor's Crown  】