右の手・神の義の中に存在するもの | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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【 ヨハネの黙示録 1章1節~20節 】 vol.4
(教会でいただいたメッセージプリントを抜粋・引用しながら綴っています)
 
ヨハネが主の日に、心を主に向けていると
後から、ラッパの音のような大きな声を聞き
振り向くと、7つの燭台の真中に、イエス様が立っておられた・・・。
 
 『それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。
  しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。
  「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり
  生きている者である。
  わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。
  また、死とハデスとのかぎを持っている』 (1:17.18)
 
ヨハネはその御姿を見たとき、死人のようになったのは
命がけで福音を伝えている人物であっても
主の御前においては、単なる罪人に過ぎないからであった。
 
ニンゲン、世に生かされいる以上
肉体も感情も、肉の命が尽きるまで、持っているからね。
 
ヨハネは、イエス様の右の手によって起された。
『わたしの義の右の手で、あなたを守る』 (イザヤ41:10)
と記されている通り、右の手とは、神の義を表すもの。
人は、神の義により、主の愛によって救われる。。。
 
まさに、死人のようになっていたヨハネが
右の手:神の義・主の御愛によって起された姿そのものが
人間の救いを思わせるものがあるね。
 
そしてイエス様は、まさに完全なお方(最初であり・最後であり)であり
すべてを貫かれ、いつまでも生きておられ
この世ばかりではなく、死後の世界をも支配されているお方である、ということ
更には、死と、さばきを受けるまでの世界であるハデスとのかぎも
持っておられるお方である、ということを明かされた。
 
 
『 わたしの右の手の中に見えた7つの星と、7つの金の燭台について
その秘められた意味を言えば
7つの星は7つの教会の御使いたち、7つの燭台は7つの教会である』
                                    (1:20)
イエス様の右の手の中にあることが明らかとなった
7つの教会の御使いたちと、7つの教会。
右の手、つまり、神の義の中に教会と、その御使いたちが存在している
ということ。
 
・・・ココね。何気に読み過ごしてしまいそうだけど
この事実、凄い!って思わない???
 
イエス様の救いに与った者たちは
主の御手の中、ということ、教会では凄くよく耳にするけれど
概念ではなく、不動・不変の事実として深く、わかった!よ、私。
 
教会と、御使いたちの間には、実に密接な関係がある。
この世における神の義の現れは、教会以外にはない。
神様の義は、教会を誕生させ、御使いたちを遣わして教会を守り
教会を通してその義を明らかにしておられる。
 
教会の存在は、人間の知恵や考えをはるかに超えている。。。 
なるほどな、と思う。
教会は、イエス様の右の手、つまり、神の義の中にある。
そしてすべての教会には、御使いが遣わされている。
 
そこにはもはや、世のものなど通用する余地などないんだね。
この世においては、人の目に見える存在として「教会」はあるけれど
その実体は、天の御国の価値基準の中にあるのだからね。
 
ゆえに、どんなに人の目に、そして世的に良いと思われるものを
持ち込もうとしても、それは無理・・・というより
次元が違うから、持ち込めないものなんだ、と
黙示録のこの箇所からも、はっきり見せられた。
 
やはり、黙示録は、今ある教会に
ダイレクトに語られているものなんだね。
 
救いに与った私たちも、イエス様の右の手の中からもれないように
そして教会も、そこに属する者たちも
御使いに委ねなければならない、ということ、心から、Amen!キラキラ
 
 
【 Seek ye first the kingdom of God 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
* ごめんなさいぃ~あせる この書庫の関連記事、公開にするのを忘れていましたぁ。