私を愛する、すべてのすべてであるお方 | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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Yahooブログから引越して来た、かめのしっぽ☆です。

大好きな飛行機や旅のこと
飼い猫や家族ネタも盛り込んだ記事を、日々、綴ってまいります。
読んで大笑いしていただけたら、幸いです。

余談ですが・・・。
教会の集まりで、いつも使っている部屋のエアコンが壊れまして
扉を開けた途端、ぶぉ~!っと熱風が吹き出してきましたあせる
 
礼拝を前に、「ミストサウナ」のタダ利用のごとく
大汗かいてしまいました。はひ~~~
 
四万十には負けたものの
埼玉の夏も半端なくお暑ぅございますのよ。
 
 
さて、ヨハネの黙示録、続きをば。。。
 

 
【 ヨハネの黙示録 1章1節~20節 】 vol.2
(教会でいただいたメッセージプリントを抜粋・引用しながら綴っています)
 
 
私たちを愛しておられる 「主」 って
一体、どれほどのお方なのだろう~!!!って思う。
 
父なる神     『常にいまし、昔いまし、後に来られる方』(1:4)
御霊(聖霊様)  『七つの御霊』(1:4) 原語では「七つの霊」
イエス様      ①『忠実な証人』 (1:5)
              イエス様こそ、父なる神様の御言葉を忠実に証される方
             ②『最初によみがえられた方』(1:5)
              イエス様は、信じる者たちが同じく復活するように
              最初に復活された方
             ③『地上の王たちの支配者』(1:5)
              イエス様は、地上においても
              あらゆる権力の上に立つ主権を持っておられる
 
日々の祈り、教会での祈り、個人の祈り、心を合わせてみんなで祈る祈り
そして、黙示録を記したヨハネを通してさえも
その三位一体なる神様からの恵みと平安が祈られているんだなぁ、と
黙示録の「あいさつ」部分を読みながら、大きく深い響きを感じた。
 
勿論、私には原語を読み解く能力はないけれど
牧師先生の解説によると
『イエス・キリストは私たちを愛して
その血によって私たちを罪から解き放ち』(1:5)
の「愛して」は現在分詞 左矢印 英語で言う ing 形の、~している (能動的)
「解き放ち」は不定過去分詞 左矢印 ○○するために~された (受動的)
ということになり、この一文の意味を考えただけでも
もしかしたら、記事を1本書けるかも・・・!なんて思っちゃった。
 
黙示録は、書簡の形で、現在のトルコ半島にある
アジヤの七つの教会に宛てられたもの。
「7」という数字は完全数だから
勿論、そこの教会だけに宛てた…というのではなく
全世界の全ての教会に宛てたメッセージ、と解釈できるそうな。
 
『時が近づいている』と3節には記され
あれから2000年ほど過ぎてはいるけれど
まだ、書かれていることはすべておこってはいない。
 
決して時が遅れている、というのではなく
『主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです』(Ⅱペテロ3:8)
という理由がありそうだけど
確かに、読み手・聴き手においては、書物を読んだ瞬間が、今だもんね。
 
初代教会に宛てたパウロの書簡とはまた違って
黙示録は、現在の、今の状況において語られているもの、ということ
・・・なるほどなぁ~と思う。
 
イエス様が「愛して」おられるのも、時代や国や限定された教会に限らず
昔も今も、そしてこれからも、時や国境を越えて
能動的に、まさにご自身によって愛しておられる、ということなのだし
 
神様との関係回復をなし得るために、私たちを罪から「解き放ち」
「救い」を与えられた、ということ
私たち自身が、自分の意思でイエス様を信じたことにより
受動的になされた、まさに大きな奇跡は想像以上のものがあるものね。
 
 
そしてイエス様は、私たちを王国とし』(1:5)
信じ・救われたものたちを「祭司」として、神の国を構成しておられる。
 
このことも、イエス様を信じ、本物の救いに与った者たちは
「この世において、とりなしの祈りをし、主を証しし
ひとりでも多くの者たちを救いに導く」、ということ
確かに、以前のメッセージでも語られたけど
神様の御心を行う、ということそのものだ。
 
 
『見よ、彼が、雲に乗って来られる』(1:7)
その日。。。
確かにやってくる日。
 
まさに私たち、イエス様を信じた者たちにとっては待ち焦がれた日。
しかし、『彼を突き刺した者たち』(1:7)
イエス様を十字架につけた者たちが、その代表であり
その後に続く、信じない者たち、最後までイエス様を信じなかった者たちは
嘆き悲しんでさばきを受けなければならない。
 
黙示、だからね。
まさに理屈じゃないんだなぁ、と思う。
 
 
『神である主、常にいまし、昔いまし、後に来られる方
万物の支配者がこう言われる。
「わたしはアルファであり、オメガである」』(1:8)
 
最後の一文は、クリスチャン以外の方にも
割と、馴染みのある言葉ではないかな、って思う。
 
Α・Ωといえば、ギリシャ文字の最初・最後。
セットで用いれば、全て・永遠という意味になるそうな。
そういえば、後者の呼び名を持つ
世界的に有名なスイスの高級腕時計会社があったわネ。
 
アルファであり、オメガである・・・。
まさに究極的な存在である神様をあらわす言葉。
最初であり、終わりであり、すべてのすべてであるお方を表す。
 
私たちを愛し続け、イエス様を信じた者たちを罪から解き放たれるお方
それが、私(たち)の愛する主。
 
「その日」には、喜びを持って
主よ、愛しています!と言いながら
世における家族や肉親、大切な友人・知人
そしてひとりでも多くの方々と共に
天の御国に迎え入れられたいものだと願ってしまう。
 
 
【You are my All in All 】