ヨハネの黙示録が、始まった♪ | かめのしっぽ☆'s ふらっと ふらいと ~旅ときどき日常~

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今日の礼拝から始まった、ヨハネの黙示録 の講解メッセージ。
個人的には、長期に渡って続いてきた
福音書スパイラルキラキラ に、一旦、区切りがつき
新しいことが始まった…という感じかな。
 
勿論、「福音書」 は恵みの宝庫
何度学んでも、新しい発見と感動があり、恵みは尽きることがない。
何しろ、神様のことばであるイエス様の御言葉が
いっぱい記されているからね。
 
特にヨハネの福音書は、1年半という時間をかけて
じっくりじっくり御言葉が、丁寧に解き明かされてきたけれど
毎回、一度のメッセージで語られる内容が、あまりにも盛り沢山!
 
それは、パウロの書簡のいくつかを学んだ時もそうだったし
今回の黙示録も、また然り…。
 
教会で与えられた霊的糧をしっかり咀嚼するためにも
その感動を一過性のものにすることなく
いただいたメッセージプリントを元に
注がれた恵みを、日々、しっかりと味わっていきたいな、って思う。
 


 
【 ヨハネの黙示録 1章1節~20節 】 vol.1
(教会でいただいたメッセージプリントを抜粋・引用しながら綴っています)
 
http://kaze-sora.com/sozai/line/li_rainbow1.gif 
イエス・キリストの黙示。
これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため
神がキリストにお与えになったものである。
そしてキリストは、その御使いを遣わして、これをしもべヨハネにお告げになった。
 
ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし、すなわち、彼の見たすべての事をあかしした。
 
この預言のことばを朗読する者と
それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。
時が近づいているからである。(黙示録1:1~3)
『 イエス・キリストの黙示。
 これは、すぐに起こるはずの事をそのしもべたちに示すため
 神がキリストにお与えになったものである。
 そしてキリストは、その御使いを遣わして
  これをしもべヨハネにお告げになった』 (1:1)
 
預言には、啓示黙示がある。
啓示は、主からの警告。
  従わないなら災い、従うなら祝福というように
  人間側の対応によって変えられる未来について語られる場合が多い。
黙示は、既に決定している未来についての預言。
 人間側の対応で、それを変えることは出来ない。
 
その黙示が神様⇒イエス・キリスト⇒御使い⇒ヨハネに伝えられた。
 
 
『 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかし
  すなわち、彼の見たすべての事をあかしした』 (1:2)
 
著者は、使徒ヨハネという説が有力。
(アジアの7つの教会宛となっている黙示録。
各教会に共通して認められる権威を持っている者は
使徒ヨハネ以外に考えられない、という大きな理由があるから、だそうで)
 
 
この預言のことばを朗読する者と
 それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。
 時が近づいているからである』 (1:3)
 
初代教会に、多くの迫害があった時期。
主は、必ず起こるはずになっている未来について
迫害に勝利する者が受けるはずの栄光を語られ
多くの信徒たちが、迫害に勝利するようにされた。
したがって、この預言のことばを聞く者は幸いである、と記されている。
                                  
 
正直、ゴスペルを歌うことがただただ楽しくて
当時、練習会場となっていた 「教会」には、ホントに足繁く通っていた。
 
その集まりにおいて、信仰を強要されることはなかったけれど
それでも、なんとな~く言葉の端々に
「イエス様を信じなければ、死んだら地獄に行くのですよ。
裁きの神は存在しています。
ですから、まだ神様を知らない方は、早くイエス様を信じて下さい」
なんてコトが、よく出て来たっけなぁ~と思い出した。
 
でもね。・・・そんなこと、言われても
ぶっちゃけ、まだ信じていない者にとっては、意味がよくわからない。
そして、何度もそんなことを言われると
かえって、ムッとする思いになるんだよね。
動かせない事実、であっても。
 
少なくとも、私は自分の経験上、そうだったな、と思う。
何しろ、「教会」 に行く目的が、ゴスペルの練習、だもの。
 
だから、言葉だけで信じさせようとしたり
口先だけの告白で洗礼を受けても、意味はない、って思った。
聖霊様がはたらいて下さらなければ
霊ではなく、肉 (頭)で理解しようとしてしまうから。
 
そして、救われた後も、何故か福音書ではなく
その教会では、どういうわけか、最初に黙示録を学ぶことになったんだよね。
「イエス様は救い主であると同時に
死とハデス (死後、未信者の霊が一時的にいるところ) カギを持っているお方」
と言われ、地獄というところのおどろおどろしさをも、とくと語られたんだっけ。
 
なので、黙示録というと、コワイ書物というイメージがあったけれど
いやいや、なんのなんの。
実際は、救いに与り、イエス様を信じている者たちにとっては
豊かな励ましが書かれているもので
深い霊的事実が、「教会」 を通して語られている、ということを
今の教会に移って来てから、学びを通して知った。
 
黙示録は、まだ成就していない。
それでも、「時が近づいている」 ことは、事実なのだろう。
 
かつては、私も滅びに至る者のひとりであったゆえ
神の黙示が、ただただ、恐ろしく思えたが
罪の赦しと、そこからの解放がもたらした恵みは
それまでの生き方と価値観を180度ひっくり返す力があることを
身をもって知ることとなった。
 
この世に生きながら
天の御国のことを foretaste 出来る特権、感謝なことだと思うよ、ホント
 
 
* おまけ *
 
今日もまた、威勢よく気温が上がり
最高気温は前日に続き、また38度!!!
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あくまでも、計測しているのは
・ 日光が直接当たらないところ
・ 風通しがいい場所
・ 地上から1.2~1.5mのところ
だから、実際の生活の中で感じている温度は
場所によっては、もっと高いんじゃないかなぁ~って思うのよ。
 
ウチの室内なんて、エアコンが効いていない部屋は
室温42度だったもの
 
・・・もう、怖くてね。翌日の気温予想が見られませんっ あせる
 
そんな中、礼拝からの帰り道
近くの公園で見つけたシロツメクサたち。
直射日光が降りしきり、熱風吹きすさぶ中にあって
よく枯れもせず咲いているな、と感心したよ。
キミたちは、エライ!!
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