こんにちはニコニコ
いつも温かな応援を頂いて、本当にありがとうございます。
とても嬉しく、励みになりますニコニコ飛び出すハート

こちらは鬼ノ城・温羅のお話の後編になりますニコニコ
温羅の伝承について、ひとつの考察をたてていきますにっこり


年末の旅から戻り、年始の慌ただしさも過ぎた頃、ふと鬼ノ城の王さまのことを思い出すことがありました。

の者に伝えて欲しい。わたしは、許しを――

なぜか気になって、その言葉の先を考えましたニコ


とても穏やかで柔らかな口調だったので、『許しを乞う、乞いたい』という哀願する感じの文章は合いません。

では、

許しをえる……?

王さまの口調を思い出しながら当てはめていくと、【許しを与える、与えたい】がぴったりと合う気がしました。

では、【あの者】って誰だろう?凝視

許しを与える(与えたい)】ということは、王さまは【"あの者"から何らかの被害を被ったことがある】ということ?

あっ!(。・о・。)!

そういえば、鬼ノ城で、"誰か落ち込んだような雰囲気の男の人の背中"の映像を見ていた驚き

王さまが言っている【あの者】は、あの落ち込んでいた人物??

そして、鬼ノ城で出逢った三つ編みの青年が、

あの者もまた騙されたのだ。あの者にも我らと同じく守るべきものがあった。だから利用された

とも言っていた。

そのときの青年の表情は、憤った感じでは全くなく、悲しげで相手の事情を慮るようなものだった。

つまり、王さまも青年も、その人物に対して恨みや怒りはほとんどない。
むしろ、哀れみに近い感情を抱いている?キョロキョロ
王さまにいたっては『許そう』とまで言っている。

ならば、【あの者】は相応の反省や謝罪をし続けていたのかもしれない。

(私は、誰に対して、王さまのあの言葉を伝えれば良いんだろう?)

そう考えると、なぜか無性に知りたくなって、自分で色々と調べてみることにニコニコ

白紙のノートを引っ張り出して、まずはスマホで調べた吉備津神社の縁起などを書き出してみます。

吉備津神社には温羅と吉備津彦の戦いについての伝承も残っています。

ざっくりした要約をすると――

昔、吉備の地には温羅という鬼がいた。温羅は一族とともに鬼ノ城に棲みついていた。
そして、吉備の人々に対して悪さばかりしていた。

『何とかしてくれ』と人々から頼まれ、温羅の蛮行を見かねた朝廷によって、吉備津彦に【温羅を討て】との命が下された。

吉備津彦は家来とともに吉備に赴き、温羅と激闘を繰り広げた。
(その戦いの遺跡として、吉備には鯉喰(こいくい)神社や血吸川などがある)

その激闘の末に、温羅は吉備津彦に討たれ、首をはねられた。
はねられた首は野ざらしにされたが、死してもなお、温羅の首は生きたように目を見開いたり唸り声を上げ続けた。

吉備津彦がその首を犬に喰わせたが、それでも唸り声はやまず、ついには首を吉備津神社の御釜殿の竈の下に埋めた。
ところが、竈の下に埋められてもなお、その首は10数年もの間、ずっと唸り声を上げ続けた。

そんなある日、吉備津彦の夢の中に温羅が現れた。温羅は「自分の妻の阿曽媛(あそひめ)に竈の火を炊かせよ。そうすれば、わたしはその竈にかけられた釜の音を通して、世の吉凶を占ってやろう」と告げた。

吉備津彦が夢で言われた通りにすると、ようやく温羅の唸り声は止み、吉備には平穏が取り戻された。


その後、吉備の地は吉備津彦によって統治されたとのこと。
そして、吉備津神社吉備津彦神社ともに主祭神として大吉備津彦命が祀られており、また配祀として吉備津彦の親族がずらりと祀られています。
(※この吉備津彦は第7代・孝霊天皇の皇子とされ、そのため皇族が配祀されています)

ここまでで、1つ疑問が浮かびました。

(でも、なんで吉備津神社があるのに、わざわざ吉備津彦神社まで建てたんやろ?  しかも、こんな近距離に。吉備津彦は、そこまでして自分の権力を吉備の人達に見せつけたかったのかな凝視はてなマーク)

戦(いくさ)というものが日本国内で起きていた時代、たとえばA地域とB地域で争い、A地域が戦に勝利すると、敗けたB地域の人々が祀っていた神仏を、勝利者のA地域側が祀っていた神仏と入れ換える……ということも行われていました。
それまでB地域で祀っていたB神社が、A地域の人間達のものにされてしまったりもします。

吉備の地に元々あったのは【吉備津神社】だとされています。
だとすれば、この吉備津神社の御祭神や配祀神を、勝利した自分達(吉備津彦やその一族)に入れ換えるだけで、すでに十分にこの土地(=吉備)を制定した証(あかし)になるはずなのです驚き

また、吉備津彦が討ったのは温羅だとされています。
ならば、この温羅の棲み家であった鬼ノ城近辺に自身を祀る【吉備津彦神社】を建立した方が、よほど周辺住民達への"見せしめ"にもなるのでは?とも思いました。

さらに――

(え?   っていうか、なんで『温羅を討って来い』って言われただけなのに、この吉備津彦は吉備の領土をちゃっかり掌握しとるん?滝汗  吉備の地には、ちゃんと長(おさ)もおったよね?)

温羅の妻とされる阿曽媛(あそひめ)は、吉備の地の首領の娘だとされています。

その首領の一族が平安になった吉備の地を治めた――のではなく、吉備津彦が統治した。

ということは、朝廷側の命令によって滅ぼされたのは、温羅だけではなく吉備の土地にいた首領一族も……ということ?驚き
そうであれば、あの温羅の伝承の【吉備の人々のために温羅を討てと命じた】という部分には騙(かた)りがあることになります。

他にも気になるのは、鬼ノ城全体の異質な雰囲気
どこかキリスト教の聖堂を思わせるような空気感や、ずっと聞こえていた賛美歌は何を表しているのか?アセアセ

(いや、でもキリスト教は私の勘違いかも。だって、キリスト教が日本に入ってきたのって戦国時代とかだったよね? あのゾンビっぽい名前の人(※)が持ってきた……はず(・-・*))

※ゾンビじゃなくて、フランシスコ・ザビエルさんでしたニヤニヤ

次々に湧き出る疑問に、眉間に皺を寄せて「むむむアセアセ」と唸っていると、背中をパサパサ叩かれましたびっくり

おう、はなすけ。なぁにを険しい表情(かお)しとんねや~ウシシ

いつの間にか、隣に真っ白なお猿さん・おっちゃんが。
滋賀の日吉大社のご眷属さんで、たまにふらりと遊びに来ます。

手にいつも白と黒の榊っぽい枝を持っていて、それでよく頭や背中を優しく叩(はた)いてくれます。

おっちゃん! 久しぶり爆笑キラキラ! あのね、吉備にある鬼ノ城とかについて調べとるんニコニコ
ほぉ~ん。まぁた、神仏《ウエ》から何ぞ頼まれ事でもしたんかにやり
今回はご神仏は関係ないよ。鬼ノ城の王さまと約束した
おぉん? いや、神仏《ウエ》絡んどるやろえー?
絡んでないってばニコ
なんでや、あのやっかましい鳥来たんちゃうんかしょんぼり

おっちゃんのいうやっかましい鳥=『キエェェェッ』と派手に鳴く不死鳥さんオカメインコ

不死鳥さん=マリアさま乙女のトキメキ
たしかに、ご神仏絡み……かも?煽り

(°Д°)アッ…
いまさらかい( ̄▽ ̄;)  ……ほんで、また今度は何を頼まれたん?
王さまの伝言を、誰かに伝えるニコ
その"誰か"て、目星はついとるんかイヒ
……自分の想像やと、たぶん吉備津彦神さま。吉備津彦神社に祀られてるほうのキョロキョロ
ほぉんにやり
でも、鬼ノ城の王さまと吉備津彦神さまとの間に何があったのかちゃんと調べんかったら、伝言しても意味ない気がするショボーン
ほぉかほっこり

おっちゃんが、にこにこ顔で私の背中や頭をパサパサ叩いてきます。

もぉすぐな、神仏《ウエ》が"助け舟"寄越してくれるで。"夢で聞いたこと"は大事にせぇやにやり
わかった。おっちゃん、ありがとう
わしも1つ教えたる。ええか、昔の人間は素直に言葉残さへんぞ。知られたらマズイこと消されたら困ることなら尚更や。書物(ほん)で調べもんするんもええけど、いつも言うように何でもかんでも鵜呑みにしたら、余計に答えを見失うでニヤ
自分の想像も入れて大丈夫かなニコ
はなすけ、得意やん。想像膨らまして物語を紡ぐん。まず自分が思うようにしてみたらええ。ほぉけど(=だけど)、想像ばっかりやとただのお前さんの夢物語や。残されとる史実(モン)を要点良く掴んで取り込んでやらなあかんにやり
じゃあ、史実では足らんところを、想像力でカバーしてみるニコニコ

肯定の代わりなのか、おっちゃんがまた榊の枝で私の後頭部をポンポン叩きます。

全国を巡って、神社仏閣などでこうして謎解きを出されたとき、ご神仏はもちろん、ご眷属さん達も答えは教えてくれません。
ただ、自分で調べているときに「アレコレ」とヒントを教えてくれることは多々あります(*´ω`*)

おっちゃんは特にお喋りが好きなので、めっちゃ教えてくれる(*´∀`*)

おっちゃん、いつもありがとうおねがい
わし、物知りやしな。ひよっこに教えてやらな、しゃーないやん(*σ´Д`*)』←そして照れ屋さん爆笑
はいはい、さんくす爆笑

※このあと、おっちゃんは座敷わらしの福ちゃんに『猿ー!おっさるー!ニコニコ』と叫ばれて追いかけ回されておりました笑い泣き笑い泣き




おっちゃんが来てから3日後、今度は夢の中に貴船神社の磐長姫さまと木花咲耶姫さまが現れました。

以前、こちらの神様方の小説を書いていたときにお世話になり、そこからずっとご縁が繋がっています。

貴船神社のこの姉妹神はとても仲が良さそうで、現れるときはいつも2柱(ふたり)一緒ですニコニコ

夢の中では、辺りは薄暗く、その中で私と向かい合わせに二柱の姫神さま達が座っていました。
磐長姫さまの膝の上では、チビ龍の瑠璃ちゃんが全力の甘えモードになっておりますひらめき
(瑠璃ちゃんは、磐長姫さまからお預かりしています赤薔薇)

そのときに、なぜか私は磐長姫さま達に鬼ノ城での話をしていました。

鬼ノ城の王様から誰かへの伝言を頼まれたということを話し終えたとき、

そろそろ起こしてやらなくては
え?  誰を起こすんですか?
そなたに言伝(ことづて)をした者を――だ
鬼ノ城に埋められてる王さま?
左様。起きて貰わねばならんのだ
いにしえの傷はすでに癒えた。これよりは表に出て、あの地を護っていかねばならぬのよ
お2人とも、あの王さまのことをご存知なんですか?
知らぬ存在(もの)ではない。だからこうして、そなたに話しておるのだけれど
……?σ( ̄^ ̄)?

私が小首を傾げていると、それまで微笑んでいた磐長姫さまが、ふっと真顔になりました。

それで、そなたは竈の下はみたか
え?   温羅の首が埋まっているところ?  いえ、吉備津神社にはまだ伺ってないんです驚き
そうではない。あの場に首など埋まってはおらぬ
えっ?  でも、温羅の首が――
では、己(おの)が眼(まなこ)でみてごらん。何がみえるか

そう言って、磐長姫さまが小さい手鏡を取り出し、鏡面を私に向けました。
それをじっと眺めていると、鏡にうっすらと石の台座のようなものが映りました。

そこに意識を集中すると、床に寝かされた人間が5人ほどみえました。しかも、その中の4人ほどは、首から上が……ない驚き

「(竈の下には)人がいる……!ガーン」と叫ぼうとした途端、ハッと目が覚めました。

夢の中で見たことを忘れないうちに、枕元のノートに走り書きしました。

吉備津神社の竈の下には、複数の人間が埋められている――そんな光景がみえました。
(※個人的な見解なので、フィクションとして捉えてください真顔)

起き出して、自分の中に湧き上がってくるキーワードを全てスマホで検索しました。
それを基にして、家にある書籍で使えそうなものを探し、

その日の用事が終わったあとで図書館と本屋にも立ち寄って必要そうな資料を集め、

その夜に、自分なりの仮説を1つ立てました。
それは、以下のようなものです。

↓↓↓


昔、吉備の国にユダヤ系の民族がやって来ました。

ユダヤ系の民族は、百済など朝鮮半島を通って古代の日本各地にやって来ていたそうです。

温羅について、一説には百済の王が戦火を逃れて日本に亡命してきたというものがあります。
でも、私の中では温羅は朝鮮の人間というよりも、ユダヤ系の民族という見解のほうが強くあります。
それは、鬼ノ城で見た人達の外見的な特徴に拠ります。

そして、このユダヤ系の民族は、のちに【秦《はた》氏】と呼ばれた者たちであったように思います。

鬼ノ城で感じたキリスト教のような雰囲気がどうしても引っ掛かっていて調べたところ、

歴史民族学者の佐伯好郎という方が、古代に存在した秦氏の一部が景教を崇拝していたと仰っています。

景教は、原子キリスト教の流れをくむ東方キリスト教の1つ……なのだそうです。
(私も、この辺りはまだよく調べられてません驚き)

佐伯さんの説によると、【秦氏は弓月王国(=ユダヤ系民族)の末裔であり、その秦氏が古代日本に初期のキリスト教をもたらした

また、秦氏の拠点とされている京都・太秦《うずまさ》について、うづ="Ishu"すなわち"Jesus"(=イエス)を指す言葉であるとも書かれていました。

『うづ』という単語について、もし吉備の人達が『うづぁ、うば』と発声していたら、『温羅』という名前も、その『うづ』が訛ったもの、と考えることも出来ます。
(漢字は、そのまま当て字になります)

また、この秦氏は、自分達が住む場所には一族の目印として』を立てる慣習があったともいわれています。

鬼ノ城にも、『旗』がありましたキョロキョロ

また、この秦氏は『鷹』を神の鳥としていたそうなのですが、実は、温羅と吉備津彦との戦いの最中に『鷹』が出てくるのです。
(これは、たまたまかもしれません滝汗)

秦氏は鉱山技術や、鍛冶技術、機織り・酒造など幅広い技術や知識を持っていたといわれています。

磐長姫さまが『知らぬ存在(もの)ではない』と仰っていましたが、実は京都にある寺社のほとんどがこの秦氏によって建立されたともいわれています。

そのため、京都とも関わりのある渡来人を調べたところ、【秦氏】に行き当たり、そこから秦氏を調べたら、吉備にも通じるものがいくつも見つかりましたにっこり

前置きが長くなりましたが、何らかの理由で朝鮮半島を渡り、この吉備の地にやってきた秦氏の一族は、鬼ノ城のある山に根城を構え、そこから、土着の吉備の民族と深い交流を持って長く生活していたと考えます。

そして、温羅というのは個人名ではなく、この一族全体を指していたのでは、と私は推測します。

吉備のムラの王権とは別に、温羅一族にも独自の階級があり、がいた。

吉備の首領の娘(=阿曽媛)と、温羅一族の王が夫婦になっていたのは、恐らくこの2つの集落が対等な立場の共存関係にあったから――とも考えられます。

もし、温羅一族か吉備の民族のどちらかが立場が上であれば、夫婦としてではなく隷属として召し抱えられていたと思います。

また、私の勝手な推測ですが、渡来してきて地域にしっかりと根付くまでには長い年月がかかったと思います。
2、30年ほどかけて、ゆっくりと吉備の地域に溶け込んでいったのであれば、温羅一族の王も1人ではなく、2代目、3代目といた可能性があります。

私が声を聞いた"王さま"はまだ30代ほどだったので、2代目または3代目であっただろうと仮定できます。
そして、初代の王も、王位こそ退いたもののまだ存命だった。

争いを好まず、穏やかな一族だったのかもしれません。

温羅一族は、吉備の人々に製鉄・鍛冶、また治水技術などを伝え、地域の発展に尽力してきた。
それと同時に、キリスト教(=当時は、恐らく景教)を信仰していた可能性があります。

鬼ノ城では賛美歌のような歌とともに、洞窟の中に祭壇が置かれ、そこにロウソクが灯されている映像もみていました。
そのため、それらの情報から、パッとキリスト教のようだと認識してしまったのですが、

調べてみると、ロウソクが日本で使われだしたのは奈良時代頃からだそうです滝汗
しかし、秦氏がその当時すでに"蝋"を扱う技術を持っていた可能性もあるらしいので何ともいえず真顔

そして、もし仮に温羅一族が景教を信仰していたとして、はたして吉備の土着の人々が同じように景教を崇拝していたか……といえば、それはなかったようにも思います。

それでも、珍しい神様を祀っているという認識は持たれていたと思います。
そして、温羅族の人達も何らかの布教活動をおこなっていた。

私個人の考えでは、もしかしたら大和朝廷が目をつけたのは、この布教活動の方だったのではないかとも思います。

当時の日本は、まだ仏教すらも入っておらず神道一色でした。
そんな中に、異教の神の存在を伝える集団がいる。

現在とは違い、政治基盤がまだ不安定で、些細なことにも強烈な不安を覚える朝廷は、気になるものは徹底的に排除しようとします。

これが、大和朝廷が温羅一族の討伐を決めた流れではないかと思います。

(しかし、この吉備の土地では製鉄も盛んに行われていた……ということもあり、その製鉄地域を強奪する目的で温羅を討伐せよ、と朝廷から命令がおりた可能性もあります。おそらく、こちらの説のほうが現実的だと思いますキョロキョロ)

そうして吉備に派遣された吉備津彦は、当初は、朝廷から『温羅という鬼(=渡来人)を討て』としか言われていなかったのかもしれません。

ところが、実際に吉備に着くと、そこでは土着の民族(=自国民)とともに共栄して暮らしている鬼(=渡来人)がいた。

当時の朝廷の討伐方法や吉備津彦の性格が明確に分からないので、ここは想像ですが、もしかしたら吉備津彦は当初は温羅一族の王と何らかの話し合いをしていたのではないかと思います。
(たとえば、休戦協定の取り決めなど)

鬼ノ城で出会った三つ編みの青年や王さまが『あの者』と呼んでいた人物が吉備津彦であったなら、恐らく武力による争い以外の関わりもあったように感じました。

けれども、話し合いでは決着がつかなかった。

吉備津彦の方が、朝廷側から圧力をかけられる形で武力行使に踏み切ったか、

もしくは、休戦協定を結んだと見せかけて油断させたところを、一気に襲って殲滅させようとした。
(九州の隼人族などは、こうした戦法で朝廷から殲滅させられていますショボーン)

そして、その戦いの中で、温羅一族の王さまは深手を負い、鬼ノ城に運ばれてそこで亡くなった。

私が鬼ノ城で見た光景の一つは、その亡くなった王様(首もあった)を埋葬している場面だったかもしれない。

……とすると、その王様の遺骸は、首をはねられずに鬼ノ城のある山のどこかに埋葬されていることになりますびっくり

伝承では、温羅の首が晒されたとされているので、もしかしたら存命だった前王も殺害されて、その首がさらされたのかもしれません。
(もしくは、王の兄弟など、王族の者の首=温羅の首と解釈された可能性もあります)

また、首がさらされたり、首が犬に喰われたりしたあとも温羅は唸ることを止めなかったとあります。これは、温羅一族の戦士と吉備の民族が共闘して、吉備津彦側に徹底抗戦し続けたことを暗喩しているような気がします。

さらに、そのあとで唸ることを止めない温羅の首を吉備津神社の御釜殿の竈の下に埋めたとあります。
私は、このときに吉備民族の首領達が殺害されたのではないかと思います。
温羅一族の王に嫁いだ阿曽媛の親族など少なくとも5人ほどが殺されて、その亡骸は竈の下に埋められた。

もともとその当時にすでに吉備津神社に御釜殿があったのか、もしくは首領たちの鎮魂のために新たに御釜殿が建てられたのかは不明ですが、

首領達の亡骸を埋める場所は、なぜか石碑や岩ではなくの下。

大和朝廷のやり方では、抵抗する豪族・民族らを制圧したときには、屠ったその族長らの遺骸の上に大きな石や岩を置いて石神(しゃくじん)として祀る……というものがあります。
(再び蘇ってこないようにと呪をこめた)

ではなぜ、この首領達の亡骸に関してはなんだろう?と思って調べてみたのですが、もしかしたら製鉄と関係があったのかもしれませんキョロキョロ
(もしくは、当初は朝廷側が岩などを置いていたが、後世の人々が岩を竈に置き換えた……という可能性もあります)

そして、この吉備の首領達を殺害したのは吉備津彦ではなかった……かもしれないとも思います。
(吉備津彦という名を与えられたとされる人物について、この吉備地域の制圧に際しては2人の皇子(兄弟)が赴いた…という説があります驚き)

ここも私の想像なのですが、吉備津彦自身(2人の皇子が関わっていた場合は、そのうちのどちらか1人)はここまでの争いは望んでいなかった。
鬼ノ城でみたあの俯いた背中が吉備津彦のものであったならば、彼はおそらく悪逆無道な振る舞いをする好戦的な人物ではなかった気がします。

温羅一族の王を葬れば、そこで任務も終わると思っていた。
しかし、現実には土着の吉備の人々をも大勢巻き込んで、戦いは次第に熾烈さを増していった。

伝承では、温羅の首が竈の下に埋められても数年ほどは唸り声が止まなかったとありますが、これも反抗勢力がまだあちこちに燻っていたのだと思います。

そして、朝廷側はこれら全てを殲滅する気だったのかもしれません。

その朝廷の動きを抑えるために、吉備津彦はあることを言います。

それが、【夢の中に温羅が出てきて、"自分の妻の阿曽媛に竈の火を炊かせよ。その釜の音で、世の吉凶を占ってやる"と申した】という進言です。

この当時、日本には【怨霊信仰】というものがありました。
これは、"不遇な死に目にあった者は祟りを引き起こす"という考え方です。
だから、怨霊となりうるものは丁重に祀って供養しなければならない

もしも、吉備津彦の進言が怨霊信仰に起因したものであるならば、温羅達が屠られた背景には騙し討ちなどの正攻法ではない戦い方があった可能性も高いです。

この"怨霊信仰"は、平安時代になると【御霊(ごりょう)信仰】へと変化して、怨霊慰撫のために御霊会(ごりょうえ)放生会(ほうじょうえ)などが全国各地で催されるようになっていきます。

そして、この時代、誰よりも"怨霊という目に見えないもの"を恐れていたのは朝廷でした。

吉備津彦は皇子であったので、朝廷側に進言出来るほどの地位にいた。

その立場を利用して、吉備津彦がある物語を作ります。
それが、吉備津神社に伝わる温羅の首のお話です。

温羅は死してもなお唸り声を上げる奇怪な存在であり、これ以上、争いを続ければ温羅の怨念は朝廷に向くぞ――と、そうした脅しを含ませていたようにも思います。

また、吉備津彦は神社の神事を通して、争いで亡くなった人々を弔い、吉備の人々を守ろうとした姿がみられます。

それが鳴釜神事です。

鳴釜神事は現在も行われており、申し込めばどなたでも受けられるそうです。

私はこの神事を動画で見ていたのですが、釜の音が鳴るのを聞いて、ふと「ああ、これは鐘を模してるのかもしれない」と思いました。

釜のなる音が、どこか鐘の音にも聞こえます。

鐘といえば、温羅一族の王さまが山の中に埋葬されるとき、泣きながら鐘をついている人の姿がありました。

これもまだ調べられていないのですが、景教や温羅一族の慣習で【人が亡くなったときに鐘をつく】というものがもしもあったとすれば、吉備津神社では神事のたびに供養の鐘が鳴らされていると考えることもできます。

この竈の下に埋まっているのが、もしも夢で見たように複数の人間で、それが吉備の民族の首領達であったなら――

吉備津彦は、この犠牲になった吉備と温羅一族の人々のために、一人でも多くの人が弔いの鐘を鳴らしてくれるようにと、【(吉備津神社の御釜殿にある)釜を鳴らせば吉凶が占える】と言ったのかもしれませんニコ

さらには、現代でもこの鳴釜神事に奉仕する年配の女性を【阿曽女(あぞめ)】と呼ぶそうです。
温羅の王様が大切に想っていた阿曽媛(あそひめ)の里である阿曽郷に住む女性が代々、この阿曽女として仕えるのだそうですびっくり

また、鳴釜神事の釜は、傷んだり壊れたりした際には、その釜の交換に阿曽の郷にいる鋳物師が従事するとも伝えられています。

阿曽の一族は、こうして古代から脈々と鳴釜神事を通して慰霊をおこなっています。

そしてまた、この吉備津神社には、吉備の首領達が眠っている
そのことを知っている吉備津彦は、いかなる外圧からもこの神社を守れるように、自らを祭神としたのかなとも思います。

自身が祭神となれば、朝廷もそれ以上余計な詮索はしない。
そして、この【吉備津神社吉備津彦神社にしなかったのは、吉備の人々に対して、ここに祀られているのは本当はあなた達の先祖なんだよ】と密かに伝える目的があったのかなとも思いました。

だから、あえて祭神は同じようにして別の場に【吉備津彦神社】を建てた。
これは、吉備の人々への配慮があったからかなとも思いました。
(でも、吉備津彦神社の創建にご本人が関わってなければ、ただの勘違いなのですが滝汗 )

吉備津神社・吉備津彦神社ともに創建は【不明】となっていましたので、この辺りは自分の想像で語っております真顔

※追記で、実はこの記事は、2023年に小説投稿サイトで綴っていたエッセイの記事を基に書いています。 
2023年時点では、両神社の創建は不明とする情報しか得られていませんでした。
ところがどっこい、最近になって吉備津彦神社に関しては、大化の改新後に吉備国が備前・備中・備後の3つに分割された際に吉備津神社の分社として備前に建てられたという情報が得られました。 (それでも、創建当初は吉備姫という土着の神を祀っていたそうです😳)                    そうした事情から、私が書いていた最初の意見は信ぴょう性がかなり低いです驚き    
すみません、勘違いどころじゃございませんでした魂が抜ける
 (反省して学び直せ、自分物申す)


温羅一族の王さまは、もしかしたら吉備津彦達がこうして自分の一族や吉備の人々を慰霊するためにも尽力したことを天の国から見ていたのかもしれません。

そして、後世の人々が長きにわたって供養し、祈ってくれていたことで、怨念などもしっかりと浄化されている。
だから、鬼ノ城のある山で、みんなの御霊が精霊となって今でも穏やかに過ごせている。

そして、王さまは吉備津彦に【許しを与える・与えたい】と伝えたがっている。

こうして吉備のことを調べていて、ふと、旅行の時に渋滞にはまったことを思い出しました。
「あ、ちゃんと調べてから来なさいってことだったんだなびっくりハッ」と、そのときに腑に落ちて理解しました。

半分は想像に頼りましたが、こうして自分なりに吉備についての考察を出したので、これを踏まえて、もう一度吉備路に伺って来ようと思います(*´ω`*)

まずは吉備津神社からニコニコ
こちらには、きっと温羅とともに生きていた土着の人々がいる気がします。

そして、吉備津彦神社にも伺って、そちらに祀られている吉備津彦神様には「温羅(一族)の王さまから伝言です!」と言葉を伝えてみる。

違ったら、『いや、知らんししょんぼり』って返されるだけかなと思いますが、

もし、届けるべき言葉なら、ちゃんと受け取って頂けるようにお伝えしてこようと思います。

その言葉が届いたら、あとはご神仏達が力添えをくれて、鬼ノ城に眠る温羅の王様(の御魂)も地中からひょっこり出てこれる……ような気がしますキョロキョロ

そして、再び鬼ノ城にも。
あの日、ずっとそばで話してくれていた三つ編みの青年は、もしかしたら温羅族の神官さんだったのでは……と個人的に思っていますニコニコ
鏡を首飾りのようにして身につけていたので、おそらく神職のような立ち位置にいた御方だったのかもしれません。

この神官さんの言葉は理解出来ないのに、王様の言葉は通訳なしでも理解出来たのが謎ですが魂が抜ける

でも、もう一度鬼ノ城にも伺って神官さんらしき青年にも『色々と教えてくださって、ありがとうございました』と伝えてきたいと思いますハート

ここまでが、自分にできること。
あとは、ご神仏の世界のことなのでノータッチです知らんぷりピンク音符

これから先は、目覚めた温羅の王さまと吉備津彦神さまで力を合わせてこの土地を護っていかれるのだと思います。

今はもう、昔のように理不尽な理由で一族もろともに命を奪われることもなくなりました。
血で血を洗うような壮絶な古代の時代を生きた"神様たち"にとっても、平穏に過ごせる時代になったのです。

今でも、鬼ノ城で聴いた"鬼の歌声"が耳元を掠めることがあります。
ただただ穏やかで、静謐で柔らかな歌声が願うのはきっと安寧に包まれた世の中なのだろうと思います。

直接、神社の神前で手を合わせる行為とは違いますが、こうして神様として祀られるものが生きた時代や、その想いに触れることも大切な祈りになると私は感じていますニコニコ

神社仏閣では祈願をするだけでなく、ときにこうして人から祈ってもらうことで救われるご神仏もいるということを心の隅に留め置いて頂けましたら幸いですニコニコ気づき

それでは、稀に見るへっぽこ考察でしたのに、ここまでご覧くださって本当にありがとうございますえーんキラキラ
読み終えられた後には、どうぞ肩を回したりして首周りの凝りをポキポキとほぐしてくださいませウインク

夏日かと思いきや、日中も肌寒い日が続いています。
みなさまも、気温差に気をつけながらお身体ご自愛なさって日々お過ごしくださいヽ(*'▽'*)ノ

今日も、心ぽかぽか暖かな優しい一日でありますようにニコニコピンクハート
(もう夕方だけど……笑い泣き)