【当事者】伝えることで生きやすい環境へ <発達障がい、二次障害> パニック障害、不安障害 | 宝塚市から全国へ★宝塚発達コミュニティ『花』 親と支援者の会、親の会、発達障害、発達凸凹、グレーゾーン、自閉症スペクトラム、ADHD

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2016年10月30日(日)

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めぐみですニコ

 

久々に私のお話です。
私にはADHD、パニック障害、不安障害があります。
娘は今6歳(年長)、息子は8歳(小2)です。

 

今日は、

・私のこれまでの経緯
・パニック発作、不安障害になるまで
・ADHDも要因?!二次障害と発覚
・コントロールしていく力を身に着ける
・自分のありのままを受け入れる
・自分の心地よい環境を手にいれる方法

をご紹介します。

 

見たくない方はスルーされても構いませんよ。
まずは、これまでの私の経緯から。

 

パニック障害、不安障害になるまで
①最初のSOS(ストレスが身体に現れる)

3年前の主人の単身赴任中、
娘(当時2~3歳)の発達の遅れが分かり、
漠然とした不安、将来に対する心配、
娘への不憫な気持ち、罪悪感、
もしかしたらという期待、目の前の現実、
一日中いろんな想いが交差し、頭が混乱しました。

 

その時期と同時に、
息子の小学校受験対応(その後、やめました)
慣れない車の運転、
努力すればきっと結果を出せるといった考えが
私も子どもたちも苦しめ、
いろんなストレスが重なった為、
身体がSOSを出し始めました。

 

・肩こり
・頭痛(元々ありましたが、毎日鎮痛剤)
・過呼吸発作、息苦しい
・光や音に対して敏感になった
・まぶしくて目があけられないなど

 

しかし、私は「パニック障害」とは
気づいていませんでした。

 

頭痛や過呼吸発作が起きても、鎮痛剤を飲み、
毎日の「しなければならない!」ことをこなし、
両親も近くにいないので、自分のことは置き去りに、
日々の子どもの対応に追われていました。

 

②運転中に意識を失い、救急車に

娘は一時保育&ファミリーサポートにお願いして、
息子を車に乗せ、ちょっと距離のあるお受験の塾へ。

 

元々、鉄欠乏性貧血のある私。

その日は、女の子の日、
その上頭痛を鎮痛剤でおさえながら運転してると、
夕日がまぶしく目があけてるのが辛くなり、
そうこうしてるうちに手足がしびれ、
意識が遠のいていきました。

 

運転してる!子供を乗せてる。
事故してはいけない!!

 

2つ先の信号の空き地に車を停めようと
思いましたが、遠のく意識の中でそこまで持たず、
思わず、歩道に車を乗りあげ、停車しました。

 

手足はしびれ、意識もはっきりせず、
頭も痛いし、自分では脳梗塞?!脳の病気かな。
もう終わりかな。と思いました。

 

手が震え、電話もかけることもできず、
思考がSTOPした状態の中でも、
幼稚園だった息子をなんとかしたいと
いう想いから、なんとか車を降り、
歩行者に「救急車を呼んでほしい」と
助けを求めました。

 

結局、息子と一緒に救急車で病院へ運ばれ、
その頃には少ししびれも落ち着いて、
脳の病気でなく、知らずのうちにストレスから
過度な呼吸をしていて、それがしびれの原因に
なったことを知りました。

 

③身体が一気に動かなくなる

その件以来、精神状態がコントロールが
きかない状態になりました。
パソコンがシャットダウンするように、
一気に動けない状態になりました。

 

常に不安と恐怖、神経が過敏な状態で、
寝ることもできず、頭の中も混乱し、
関係ない事柄やいろんなイメージが
次々に走馬灯のように浮かび、
その思考をとめることすらできない状態になりました。

今思うと頭の中が暴走している状態です。

 

殺人のニュースを見ただけで、
それが何度も頭の中でリピートしたり、
完全にコントロールを失っていました。

 

④心療内科に通院
いろんなお薬を試すも、
どうしても副作用が強くでてしまい、
なかなか自分に合うお薬と出会えませんでした。

 

両親があわてて故郷より助けにきてもらい、
数か月手伝ってくれました。

 

治りそうにない自分。
気持ちについてこない身体。
こんなに恐ろしいものだと思わなかったです。

 

⑤私も発達検査を受けることに?!

娘の発達の話から、私も発達検査を受けることに
娘は私と異なるタイプですが、
発達障がいのことを勉強していくにあたって、
ADHDが私にあてはまっていると医師に話したら、

検査を受けることもできるよ?と言われたので、

受けてみることにしました。

 

小さい頃から今にいたるまでの行動などの

チェックシートから、センター試験かというほどの

いろんな科目テスト。

そして視覚、聴覚などの記憶テストなどもありました。

 

⑥その結果は、「ADHD傾向あり」

IQは普通でしたが、ADHD傾向ありで、
得意不得意の凸凹がありました。

 

一見、動きがゆっくりな為、多動にはみられませんが、
頭の中は常に多動でした。
何も考えていないということが私にはなかったです。

 

独身時代や仕事では、それは行動力がある、
発想力があるとプラスに働いていました。

 

しかし、そのADHDが
パニック障害や不安障害の要因にもなってるとの
見解で、ADHDのお薬を飲むことになりました。

 

※ちなみにADHDは、その人の性格にもよりますが、

 パニック障害を併発する確率が高いそうです。

 

⑦群発頭痛発生
ADHDのお薬のせいか、毎日続く頭痛のせいか、
群発頭痛へと変わっていきました。

通常は働き盛りの男性がなると言われている頭痛で、
目の奥がひどく痛み、陣痛並みの痛さが30分~1時間続きます。
目を取ってしまいたいほどの痛みで、一日何度かおきました。

モルヒネで痛みをとるしかないと言われました。

 

病院を転院することにし、ADHDのお薬を中止。
1ヶ月半ほど続いた群発頭痛はある日なくなりました。

 

⑧不安障害、パニック障害再発
一度怖い想いをすると身体は覚えています。
予期不安と、朝起きた時から鳥肌が立ち、
バンジージャンプをするような恐怖と不安が一日中続きました。

気持ちと身体が全く別のものになってしまいました。
副作用がありながらも、お薬を飲みなんとか生きている状態。

 

⑨合うお薬との出会い、

 コントロールする力を身に付ける
インターネットなどで調べ、
ようやく自分に合うお薬が見つかりました。


多少は眠くなる副作用はあるけど、

それで緊張感だけでなく、睡眠障害、肩こり、頭痛、夜間頻尿、
いろんなことが解消されました。

 

そして、自分のパターンが分かってくるにつれ、
薬を使い、コントロールできるようになり、
生活をなんとか送れるようになりました。

 

⑩パニック障害と上手につきあう生活
今も、疲れやすく、閉所空間、電車や乗り物、

人の多いところ、聴覚過敏が残っています。

 

パニック障害になった方は分かると思いますが、
強い発作が出ると頭が真っ白、思考がストップし、至って元気だったはずが、ある瞬間一気に恐怖や不安感に包まれ、コントロールできない状態になります。

 

発作が起きると死ぬほどの恐怖で、死んでしまった方が楽になれるのではと思うほどです。

 

今は頓服のお薬で事前に防いだり、緩和したり、どういうことが今苦手なのか、苦しくなるのかが見えてきたので、ひどい発作が起きる前にコントロールはできるようになってきました。

 

⑪治らないの??

 治らなくてもいいかという考えに。
完治を願い、色々試しました。
ただ私の場合は根本にADHDがあるために、
思考が多動であるため、通常の人よりなりやすい、
重症化しやすい傾向があるようです。

 

今は治そうと焦るよりも、
完璧主義者で頑張りすぎてしまう私に
神様があたえてくれた休憩だと思っています。

 

⑫自分を許す、ありのままを受け入れる
できない自分を許すことから始めました。
そして、こんな状況でも自分にできること、
人の役にたてることを探しました。

 

ありのままの自分を受け入れること。

できることを認めてあげること。
まさしく娘を育てるために必要なことと同じです。

 

⑬ADHDやパニック障害のカミングアウト
どうしても生活に支障があるので、
今の自分の状況をSNSや知人にカミングアウトしました。

 

離れていく人、距離を置く人、様々です。

 

でも、そんな時に寄り添ってくれる人、
歩幅を合わせてくれる人、無理せず楽しめる時だけでも

一緒に楽しもうといってくれる人。

 

今はそんな素敵な人ばかりが周りにいます。

 

元気そうに見えてたいろんな人も、実は私もねーと
メッセージを送ってくださったり、励ましてくださったり、
とても温かい心に触れることができました。

 

発達障がいも同じですが、
自分が何が苦手で、どういうことならできる、こういうことはできない、手伝ってほしいを周りに伝えておくだけで、他の人もどういう風に接したらよいのか分かると思います。

 

何も言わず、気づいて、察してでは、
伝わらないし、サポートしてもらうこともできません。

 

より自分らしくあるために、
自分が無理せず、能力を発揮できる環境にするために
「伝えることの大切さ」そして「離れていくものに執着しない」
ことも大切に思います。

 

おかげさまで、私に色々不便があるにも関わらず、

「めぐみさんのできる時でよいから。」

と、お仕事も優しいクライアントさまたちに恵まれ、

ボランティアで、花のWeb支援もさせて頂いています。

 

ついつい、過集中をして、

ジェット機のように仕事をこなす私に

「今日はもう休んでください!」

と止めてくださるクライアントさま(笑)

ありがたいです。

 

親が子供のありのままを受け入れ、
子ども自身もそのままでよいことを知り、自信が持てたら、
人の評価なんて気にする必要はありません。

 

常に優先順位を考えること。

 

あなたにとって、何が一番大切か。

まずは基盤を固めていないといけません。
余裕ができたら次のステップに進みましょう。

 

自分がこの世を去る時、
結局、一番大切なのは自分が幸せだったかどうか。

いろんな困難や不便さはあっても、幸せには比例しません。

 

まず自分を愛し、認めてくれる人を大切にし、
生きていくことが大切なんだと気づかされました。

 

人の評価の為に努力を惜しまない。
●●せねばならない!●●してはだめだ!
みんなと同じように、もしくはそれ以上しなければ!


そんな価値観だった私を覆してくれた娘とわたしの病気。

ある意味、人生観を変えるよい機会だったと思います。

 

 

当事者の意見として、またもしお役にたてるのであれば、

今後のお子さんの参考にして頂けると幸いです。

 

とっても長い文章を読んで頂きまして、
ありがとうございます。

 

花ピンクめぐみ花ピンク

 

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