「こんにちわ。
私はお茶のポットです。
私は陶器(とうき)で出来ていますのよ。
注ぎ口は、細くて長くてすてきでしょう。
いつでしたか、どなたかがバレリーナのうでのようと、ほめてくださいましたわ。
とってのはばの広さは、どう思いまして?
何と申しましても、陶器は私のように上品(じょうひん)で、しかもおしゃれでなくては。
何しろ私は、一流(いちりゅう)の職人(しょくにん)さんが、それはそれはていねいに作ってくださいましたのよ」
お屋敷の台所で、お茶のポットはいつもじまんしていました。
でも聞かされるクリーム入れやさとう入れは、ほめるよりも、もっと別の事をよく言いました。
「ところで、ポットさんのフタはどうされました?」
その事を言われると、ポットはだまってしまいます。
フタは前に一度こわされてつぎはぎにされ、つぎ目があるのです。
「そうね。
誰でも悪いところに、目が行くものよね。
でも何と言われても、私はテーブルの上の女王よ。
だって、のどがかわいている人間を、助けてあげることが出来るんですもの。
この注ぎ口が、女王のしょうこよ。
クリーム入れもさとう入れも、言ってみれば家来じゃないの」
そんな、ある日の事。
食事の時に誰かがポットを持ちあげたひょうしに、床に落としてしまったのです。
ポットは床で音をたてて、コナゴナになってしまいました。
「それから私は、貧しい家の人にもらわれて行きましたの。
そこで土を入れられ、球根(きゅうこん)をうめられましたわ。
私は、うれしく思いました。
なぜって、球根は私の体の中でグングンと元気に育ち、芽(め)を出したのです。
そして朝をむかえるたびに大きくなり、ある朝、見事な花が咲きましたの。
花は、娘のようなもの。
まあ、お礼はもうしてくれませんでしたが、私は幸福でしたわ。
家の人たちは花を見て、その美しさをほめてくれました。
誰かを生かすために自分の命を使うって、うれしいことです。
そのとき初めて、そう思いました。
でも、家の人たちは『こんなきれいな花は、もっとすてきな植木ばちに植えた方がいいね』と、花を連れて行き、私を庭のすみに放り投げましたの。
でも、私をかわいそうなどと思わないでくださいね。
ええ、私には思い出が、たくさんあるのですから。
これだけは誰にもこわしたり、放り投げたり出来ませんのよ」
おしまい