4月12日 京都府の民話☆成相観音(なりあいかんのん)☆ | ☆かおりキャンドル®☆CANDLE ARTIST☆手作りキャンドルのお花のお部屋☆ フラワーキャンドルアーティスト☆きょうちゃんのブログ☆

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蝋で花の芯から作り、花びら一枚一枚全て手作業でお花のキャンドルに仕上げていく工房での出来事を綴ったブログです(*^。^*)  

むかしむかし、丹後の国(たんごのくに→京都府)のある山寺で、一人の坊さんが修行をしていました。
 ここはとても雪の降る土地なので、山寺は深い雪に閉じ込められてしまいました。
 持ってきた食料はしだいに少なくなり、村におりて食料をもらおうと思っても、雪が深くて外に出る事もできません。
 しかたなく坊さんは、一心にお経をとなえていました。
 はじめのうちはがまんしていたのですが、何も食べないで十日もたつうちに、もう立ち上がる気力もなくなってしまいました。
 本堂のすみに座ったまま、とぎれとぎれに、お経をとなえるばかりです。
 春も近いというのに、この深い雪のせいで、ただ死を待つばかりです。
 そこで本堂の正面にある観音さまに、手をあわせてお願いしました。
「なむ観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。ただ一度、観音さまのお名前をとなえただけでも、いろいろとお願いをかなえてくださると聞いております。わたしは長い年月、観音さまをおがんでおりますのに、その観音さまの前で、もうすぐ飢え死にしようとしています。観音さま、わたしは高い位やお金をお願いしているのではございません。ただ食料を、・・・一日の命をつなぐだけの食料を、どうかおめぐみくださいませ」
 そう一心にお祈りしてから、ふと、むこうを見ました。
 すると本堂のすみのこわれているところから、外の雪景色が見えて、そこに何か横たわっている物が目にはいりました。
「おや、なんだろう?」
 坊さんは、はうようにして本堂を出ると、その横たわっている物のそばによってみました。
 それは、オオカミに食い殺されたシカでした。
(こんなところに、シカとは。・・・ありがたや。これこそ、観音さまからさずかった物だ)
 坊さんは最後の力をふりしぼるようにして、立ち上がりました。
 しかしふと心の中に、こんな考えが浮かんできました。
(自分は長い間、仏の道を修行してきた。仏の道につとめる者は、どんなことがあっても肉を食べてはいけないことになっている。もしこの教えを破れば、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちると聞いている。仏の道を修行している者が、たとえ飢え死にしようと、どうして肉を食べることができよう)
 坊さんはそう思って、一度は思いとどまりました。
 しかし、目の前にあるシカの肉を見て、どうしてもがまんが出来ません。
(ああ、もうどうなってもかまわない。たとえ死んだ後、どんな罰を受けようとも、このまま苦しみながら飢え死にするよりは、食べた方がましだ)
 そう決心すると、坊さんはシカの左右のももの肉を切り取り、なべに入れて煮ることにしました。
 そしてガツガツと、けもののようにその肉を食べたのです。
 その味は、いままで食べたどんなごちそうよりも、素晴らしいものでした。
 しかし食べ終えたとたん、坊さんは声をあげて泣き出しました。
 仏の道にそむいた事が、とても悲しかったのです。
 さて次の日、坊さんはお寺の方に近づいてくる足音と話し声に気づきました。
「このお寺にこもって修行していたお坊さんは、どうしておられるだろう?」
「雪に閉じ込められて、食べ物がなくなったのではないか?」
 それを聞いた坊さんは、急にあわてだしました。
(そうだ、シカを煮たなべを、隠さなくては・・・)
 そう思いましたが、あわてるばかりで、何をどうしていいのかわかりません。
 なべの中を見ると、食べ残した肉がそのままでした。
(これを見たら、村の人たちは何というだろう。『坊さんがシカの肉を煮て食べた』と、いいふらすにちがいない。修行している者にとって、こんなはずかしいことはない)
 坊さんは、ただうろうろするばかりです。
 そのうちに村の人たちが、本堂の中に入ってきました。
「おおっ、ご無事で何よりでした」
「今年の冬の寒さは、格別でしたな。このお山は、大変だったでしょう」
 村の人たちはそんなことを言いながら、荒れ果てた本堂の中をぐるりと見まわしました。
 そしてその中の一人が、すみにあったなべを見つけたのです。
 なべの中をのぞきこんだとたん、
「あっ、これは!」
と、大声でさけびました。
 みんなおどろいて、いっせいになべの中をのぞきました。
 なべの中には、シカの肉が・・・。
 いいえ、なべの中には、細かく切り刻んだ木が入っていたのでした。
 なべのまわりには、木を食い散らしたあとがあります。
「おお、いくら食べる物がないといっても、よくまあ、こんな木のきれはしを食べられたものだ」
「木を食べて、この冬を越されていたとは、なんとも、おいたわしいことよ」
 坊さんは村人の言葉を聞きながら、訳がわからずに呆然としていました。
 すると今度は、本堂の正面の方にいた人が大声をあげました。
「これは、もったいない事を!」
 村人たちが、いっせいに振り返るとどうでしょう。
 正面におかれた木で作った観音さまの像が、左右のもものところを、大きく削りとられているではありませんか。
「ひどいことをなさるお坊さんじゃ。これは、あんまりじゃ」
「木を食べるなら、柱でも食べたらよいのに。よりによって、大切なご本尊を食べるなんて」
 村人たちの言葉に、坊さんはご本尊を見あげました。
 たしかに村人たちのいう通り、観音さまの左右のももが、えぐりとられています。
 坊さんは思わず、ご本尊に手をあわせました。
(ああ、本堂の外に倒れていたシカは、本当は観音さまだったのだ。それも、このわたしを助けてくださるために。なむ観世音菩薩。ありがたや、ありがたや)
 坊さんは心をこめてお祈りをすると、村人たちに今までの話を語って聞かせました。
 すると聞いていた村人たちも、観音さまのありがたさに、思わず手を合わせました。
 語り終わった坊さんは、もう一度、観音さまの像にむかって、うやうやしく手を合わせると、
「おかげさまで、命も心も助かりました。これが最後の願いです。どうか元の姿に戻ってくださいませ」
と、心を込めてお祈りしました。
 すると不思議なことに、みんなの見ている前で観音さまのけずりとられたももが、きれいに元の姿に戻ったのです。
 この事があってから、この観音さまを成合(なりあい)観音というようになりました。
『成り合う』という言葉には、『完全に出来上がる』『願いが必ず叶う』という意味があるのです。
 そしてお寺の名前も、成合寺(成相寺)と呼ぶようになり、今でも多くの人が訪れているのです。

おしまい



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