むかしむかし、須坂(すさか)に、一人の若者がいました。
毎日朝早くから田畑に出ては、こつこつ働いていたものの、暮らしはいっこうに楽にはなりません。
あるとき、若者は知り合いのつてで都にのぼりました。
そして、公家(くげ)のお屋敷で働くことになったのです。
若者は相変わらずまじめに働くので仲間からも好かれて、半年もたつ頃には、主人からも一目置かれるようになりました。
ところでこの屋敷には、小夜姫(さよひめ)という主人の娘がいました。
若者はひと目でこの姫を好きになり、姫の方もまじめで正直な若者に、次第に心をひかれるようになりました。
そのうちにとうとう、二人は固く将来を誓い合う仲になったのです。
ところがこのことを知った主人は、かんかんに怒りました。
「大事な一人娘を、使用人ごときにやるわけにはいかん!」
そしてとうとう若者は、ひまを出されてしまったのです。
一方、姫はそれ以来、毎日泣いて暮らすようになりました。
一人で部屋に閉じこもって、ご飯も食べません。
ただ若者を思って、泣いてばかりでした。
そんなある日のこと、姫はとうとう家を出て行きました。
そして若者のいる、須坂へと向かいました。
そのとき、十三人のお供が姫に従いました。
それから何日も何日も歩きつづけた末、やっとのことで姫は須坂にたどり着き若者と再会したのです。
二人の気持ちを知った若者の母は、どうにかして二人を一緒にさせてやりたいと思いながらも、しょせん身分の違う者同士と、一緒になるのを許してやらなかったのです。
姫は今さら家にも戻れず、この里のはずれでひっそりと暮らすようになりました。
そして毎日つらい思いで日を過ごすうち、やがて姫は病気になり、お供の者たちの看病もむなしく、とうとう死んでしまったのです。
姫が死んだとなると、従ってきた供の者たちも互いにのどを突き合って、果ててしまいました。
姫の霊は、相森神社(あいのもりじんじゃ)にまつられました。
また、十三人のお供が葬られた墓は、『十三塚』と呼ばれて、今でも浄念寺の境内にひっそりと残されているそうです。