むかしむかし、杵築(きつき)の臥牛城(がぎゅうじょう)に、松平英親(まつだいらひでちか)という名の殿さまがいました。
この殿さまは何年かおきに、足曳山(あしびきさん)の両子寺(ふたごでら)にお参りするのをならわしにしていました。
その頃になると、行列の通る村は掃除をしたりして、それは大変な騒ぎです。
さて、その当日の事。
「さがれ、さがれ」
と、殿さまの行列の先払いの声が聞こえると、村人たちはみんな額を地面にすりつけておじぎをしました。
そのうちに行列はだんだん近づいてきて、村人たちのすぐそばまでやって来ました。
と、その時、
「おっかあー」
と、一人の幼い子どもが道に飛び出して来たのです。
ちょうど道の向こう側で、おじぎをしている母親の姿を見つけたのです。
それに気づいた母親が、顔を上げて子どもの方に目をやったとたん、
「無礼者めっ!」
と、先払いの侍が、あっという間にその場で子どもを斬り殺してしまったのです。
やがて行列が通りすぎると、母親は狂ったように子どもを抱きかかえて泣きくずれました。
可哀想に目の前で子どもを殺された母親は、その日から毎日泣き暮らして、とうとう泣きながら死んでしまったのです。
そしてそれからというもの、夜になると決まって、蜷尻(になじり)の川ぞいの岩かげから、子どもの泣き声が聞こえるようになったのです。
そしてその泣き声にまじって、
♪ねんねん、ねんねこやあ
と、母親のあやす声までが、悲しげに聞こえるのです。
村人たちはその声がする岩を、『蜷尻(になじり)のねんねん石』と呼ぶようになりました。
今でもこの石は、朝来川(あさくがわ)のそばの蜷尻(になじり)に残っているそうです。