むかしむかし、お坊さんたちの間に、『めいしんの法』という術がありました。
これは災難からどうしても逃れられないときに、一生に一度だけ使うことが出来る大事な術です。
ある寺の近くに、橋本正左衛門(はしもとしょうざえもん)という、珍しい物好きの男がいました。
そこで、めいしんの法の話を聞くと、
(それは是非とも、習いたいものじゃ。それにはまず、和尚と仲よくなろう)
と、いつも寺へ行っては、夜話(よばなし)などをしていました。
和尚さんも大変な話し好きだったので、話がはずむと、正左衛門(しょうざえもん)を寺に泊める事もありました。
そして正左衛門は、何度も何度も、
「和尚さま。めいしんの法というのを、わたしに教えてくだされ」
と、たのみました。
すると和尚さんは、
「それは、たやすい事です。だが、お前さまの心がもう少し定まってから、ご伝授(でんじゅ)いたそう」
と、いつまでたっても教えてくれないのです。
(心が定まるとは、どういうことだ?)
正左衛門しきりに考えましたが、何の事かわかりません。
さて、この寺には、小さな頃からつとめていた小坊主がいました。
この小坊主も、めいしんの法が知りたくてたまりません。
もし正左衛門に先を越されてはくやしいと、しきりと和尚さんのごきげんをとっては、
「和尚さま。どうぞ、めいしんの法をお教えくださりませ」
と、頼み続けていました。
そして和尚さんの身のまわりの世話や、仏具(ぶつぐ)の磨き、寺の掃除から使い走りと、とにかく懸命につくすのです。
和尚も、あんまり小僧がつくすので、
「それほど一心に願うのなら、教えてあげねばな。だが正左衛門どのも、あれほど願っておる。お前にだけ教えたと聞けば、さぞ、うらみに思うであろう。だから決して、だれにもいうではないぞ」
と、強く念をおして、めいしんの法の呪文を教えてやったのです。
さて、ある冬の夜、正左衛門は今日も寺に泊まっていました。
夜がふけるにつれて、雪が屋根にも木にも道の上にも降り積もりました。
和尚さんたちがねむっていると、突然庭先で、
カキーン!
と、金属を刀で切るような、ぶきみな音が響きました。
「何事だ!」
和尚さんと正左衛門が部屋の外へ飛び出すと、縁側に干している和尚さんの着物が洗濯竿もろとも、刀でスパッと切られたように、まっぷたつに裂けて落ちています。
そして縁側の端には、両手で頭をかかえた小僧がうずくまっていて、
「どうぞ、お許しください。和尚さん、どうぞ、お許しください」
と、泣くような声で、しきりにあやまっています。
事情を聞いてみると、小僧は夜中におしっこで起きて、薄暗い縁側を歩いていましたが、ひょいと庭先を見てびっくり。
なんとそこには、暗闇の中に大入道が立っていて、今にも小僧に襲いかかって来そうだったのです。
そこで小僧は、
「よしっ。今こそ、めいしんの法を使う時だ」
と、習ったばかりの呪文を唱えました。
すると大入道は、ものすごい音と一緒に消えさったのです。
けれど、大入道と見えたのは、入れ忘れた和尚さんの着物だったのです。
小僧は和尚さんにひどくしかられて、泣きながら部屋へ帰っていきました。
その後ろ姿を見送って、和尚さんは正左衛門に言いました。
「正左衛門どの。あなたは愚僧(ぐそう)が法をおしむと思われたかもしれぬが、心が定まらぬうちに教えても、このありさまじゃ。あの小僧は幼い頃から、こ の寺に奉公(ほうこう)し、あまりにも熱心ゆえ、まだ心もとなしとは思いましたが、法を教えてやりました。どうぞ、おうらみなきよう」
この事があってから、正左衛門は寺へ来ても、めいしんの法を教えてくれとは言いませんでした。
そして、人に会うと、
「法というものは、不思議なものよ。ただ唱えごとをしたばかりで、さおと布とが、まっぷたつに裂けるとは。いやはや、あのときは、心底ぞっとしたわ」
と、語ったそうです。