今から四百年ほどむかし。
あるボロ寺に、天極秀道(てんごくしゅうどう)というお坊さんが住んでいました。
本当にボロ寺で、屋根は傾き、くずれた土塀(どべい)の穴から中が丸見えでした。
それでも秀道はまったく気にせず、迷い込んだ一匹のネコとのんびり暮らしていました。
ある年の春、秀道は寺の緑側(えんがわ)に座って、ひざの上のネコの頭をなでながら何気なく言いました。
「『ネコの子ほども、役立たず』、という言葉があるが、お前もそろそろ役に立つネコになってはどうじゃ?」
そのとたん、ネコはひざからピョンと飛び降りて、
「ニャーオ」
と、鳴きました。
「おや、怒ったのかい? あははははは。気にするな。今のは冗談じゃ。お前は今のまま、役立たずでけっこう」
秀道はふたたびネコをひざに抱き上げて、一日中ネコと一緒にひなたぼっこをしました。
それから数日後、表の方からにぎやかなウマのひづめの音が聞こえてきました。
「おや? 客かな?」
秀道が庭(にわ)に出てみると、七、八人の狩装束(かりしょうぞく→狩りの時の服装)をつけた侍(さむらい)が、次々とウマをおりて境内(けいだい)に入ってきました。
「何か、ご用かな?」
秀道が声をかけると、その中の主人らしい侍がていねいに頭を下げて言いました。
「わしは、彦根(ひこね→滋賀県)城主の井伊直孝(いいなおたか)と申す。
この地方を新しく将軍さまから拝領(はいりょう→主人からいただくこと)することになったので、遠乗りのついでに土地を見に来た。
そしてたまたま寺の前を通りかかると、ネコがわしに手招きをする。
そこでつい、立ちよったのじゃ」
「それはそれは。
こんな破れ寺(やぶれでら→荒れ果てた寺)に、よく立ち寄ってくださいました。
わたしはこの寺の住職で、天極秀道と申します。
ごらんの通りの貧乏暮らしで何もさしあげるものはございませんが、せめてお茶なりともいっぷくしてください」
秀道は一行(いっこう)を居間(いま)に案内して、お茶の用意を始めました。
すると急に空がくもりだし、はげしい雷鳴(らいめい)とともに滝のような雨が降ってきたのです。
この寺に立ち寄らなければ、今頃はずぶぬれになっていたところです。
直孝(なおたか)は、とても喜んで、
「助かった。あのネコに招かれたおかげで、運よく雨やどりが出来た。これも何かの巡り合わせであろう」
と、言いました。
「おそれいります。役立たずのネコにしては、上出来でした。どうぞ雨があがりますまで、ゆっくりしていってください」
城主だというのに、とても親しみやすい直孝の態度に秀道はすっかり感心して、心からもてなしました。
直孝の方も、貧乏寺の住職とは思えない秀道の人柄(ひとがら)にほれこみました。
やがて雨もあがり、直孝の一行は晴れ晴れとした気分で寺を出ていきました。
一行を見送った秀道は、すぐにネコを抱きあげて頭をなでました。
「人助けをするとは、大したやつ。おかげでわしも、久しぶりに立派なお方と話すことが出来たぞ」
「ニャー」
ネコはうれしそうに、秀道の胸に顔をうめました。
この事がきっかけで、直孝はちょくちょくこの寺をたずねるようになりました。
そしてその度に、秀道は直孝に仏の道について語って聞かせました。
そのすぐれた秀道の知識に、直孝はとても感心して、
「これぞ、まことの高僧(こうそう)である」
と、この寺を井伊家の菩提寺(ぼだいじ→一家の先祖を代だいをまつってある寺)としたのです。
こうして今までは荒れるにまかせていた寺は、井伊家によって改築(かいちく)され、各地から次々と修行僧も集まり寺は栄えていきました。
さて、あのネコは寺が立派になって間もなく死んでしまいました。
秀道はネコのために石碑(せきひ→はかいしのこと)を建てて、命日には必ず訪れたそうです。
そして直孝もネコの事が忘れられず、秀道に言いました。
「あのネコは、観音菩薩(かんのんぼさつ)の化身(けしん→仏が、人間や動物の姿に変身したもの)にちがいない。
わしはネコに招かれたおかげでそなたに会い、仏の道のすばらしさを学び、寺を復興(ふっこう)させる喜びまで与えてもらった。
どうだろうか、あのネコを招き観音として本堂のそばにまつってあげては」
「はい。ネコにとっても、わたしにとっても、この上なくありがたいお言葉です」
この話しがたちまち広まり、『幸運を招くネコ』として、お寺にお参りに来る人がますます増えたということです。
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