むかし、江戸の町はずれで、一人の男が泣いていました。
そこへちょうど、名奉行で有名な大岡越前が通りかかったのです。
「これ、大の男が、一体何を泣いているのだ?」
越前が声をかけると、男は顔を上げて答えました。
「はい、わたしは油売りでございますが、今日の売り上げ金の二百文をカゴの中に入れて、石の上で一休みしておりました。
ところがいつの間にか、いねむりをしてしまいました。
そして目覚めた時には、売り上げ金がすっかり消えていたのでございます」
そう言って油売りは、油の付いた手で顔をこすりながら、また泣き出しました。
その話をじっと聞いていた越前は、自分の手ぬぐいを油売りに差し出して言いました。
「ここで出会ったのも何かの縁だ。一つ、わたしが調べてあげよう。だから泣きやんで、油だらけの手と顔を拭きなさい」
「はい、ありがとうございます。お客さまにも、よくおつりが油で汚れていると叱られています」
「そうか。まあ、油で汚れたおつりをもらっても、気持ちの良い物ではないからな。して、一休みしていて売り上げ金を盗られた石と言うのは、その石か?」
「はい、この石でございます」
すると越前は、腕組みをしたまましばらく考えていましたが、やがて男に言いました。
「では、売り上げ金を盗んだのは、この石に違いない。よし、さっそくこの石を裁きにかけよう」
越前は、おつきの者に重い石を奉行所まで運ばせると、今から石泥棒の裁きを始めると町中にふれ回ったのです。
すると町の人たちは、珍しい裁きを見ようと、ぞくぞくと集まってきました。
「しかし大岡さまは、本当に石を裁くのだろうか?」
「もしかすると、働きすぎて頭が変になったのでは?」
間もなく、石の裁判が始まりました。
越前は、石に向かって言いました。
「そこの石よ、お前が油売りの金を盗んだであろう。正直に答えなさい」
しかし石が、返事をするわけがありません。
「どうした? 正直に白状して金を返せば、今回だけは大目に見てやるぞ」
もちろん、石は何も言いません。
「どうして何も言わない! この越前を馬鹿にするのか!」
越前が石に向かって真面目に取り調べをするので、その様子を見ていた見物人たちは、あきれかえってくすくすくと笑いました。
すると越前は、見物人たちに怖い顔で言いました。
「裁き中に笑うとは何事だ! いま笑った者たちは、罰として三日間ろうやに入れる!」
それを聞いて、見物人たちはびっくりです。
「何とぞ、お許し下さい。今後は絶対に笑ったりしません」
それを聞いた越前は、見物人たちに言いました。
「よし、それでは今回だけは許す事にしよう。しかしその代わり、罰金として一人十二文ずつ納めるのだ」
そして越前は、大きなうつわに水をいっぱい入れて持って来るように命じました。
「さあ、このうつわの中に、罰金を投げ込むがよい。投げ込んだ者から順に、帰ってもよいぞ」
見物人たちは罰金を入れる為に並ぶと、一人ずつ、そのうつわの中にお金を投げ入れたのでした。
すると五人目の男が、お金を入れた時の事です。
水の上に、ギラギラと油が浮き上がったのです。
それを見て、越前が叫びました。
「この男が泥棒だ! すぐに捕まえろ!」
五人目の男はあわてて逃げようとしましたが、すぐに役人に捕まってしまいました。
そして役人が捕まえた男を調べると、ふところから油の付いたお金がたくさん出てきました。
数えてみると、油の付いたお金は、うちわに入れた分を合わせて、ちょうど二百文ありました。
越前は、油売りの男のから盗んだお金なら、必ず油が付いていると考えてこの作戦を思いついたのです。
取り調べると、五人目の男は寝ている油売りから売り上げ金を盗んだことを白状しました。
越前は油の付いた二百文を油売りに返すと、言いました。
「油売りよ。盗まれた金は、これで全部戻ったな。もう悲しむ事はないぞ。それから、泥棒を見つける協力をしてくれた石に礼を言うのじゃぞ」
「はい。ありがとうございます」
油売りは越前と石に何度も頭を下げて、帰って行きました。
「うむ。これにて、一件落着!」
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