今回リブログさせて頂く内容は、人によって反応は様々かもしれない。咄嗟に考えないように、右上の☓ボタンで閉じてしまう方もいれば、逆にじっくりと考え込み過ぎてしまう方もいるかもしれない。
これは、アニマルウェルフェア(動物の福祉主義)とアニマルライツ(動物の権利主義)という部分を含んでいると私は思っていて、ご自分の中で腑に落ちる地点は人それぞれなので、それで良いと思うのだ。
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こういう記事のリブログなので、折角なので私自身の話をご紹介させて頂こうかな
私の出身は農学部系の学部で、大学卒業後は、魚の小売業の会社に就職しました。配属されたのはデパートの中に入った店舗だったので、街のスーパーよりも多くの魚種やアイテム数を扱っていました。
私は「鮮魚係」という、主に魚をトレイに詰めて陳列する仕事内容だったのですが、市場から納品されるもので「生きている伊勢海老」「生きている車エビ」は毎日入荷があった。
”活け物”というのは、前日に売っていたものは翌日には弱ってしまうので、〆て捌いて、刺身にして販売する。
私は、この生きている状態の伊勢海老や車エビを〆る作業を毎日していた。読者の皆さんが普通においしいと言って食べているエビフライや、高級旅館なんかで出てくる伊勢海老の刺身は、当然だが元々はピチピチと生きていたものだ。
生きている状態の車エビの頭を折って、そのまま背ワタを抜き、水洗いする…これは「人様にお金を出して食べてもらう物」という認識を常識的な感覚に出来なければ、躊躇してしまう事かもしれない。
生き物とはいっても、産業動物(牛・豚・鳥など)ではなく生鮮魚類ではあるのだが、私はこうした仕事をした経験があるので、生きているものを〆るという感覚が身に付いている。
「命」というものに対して不慣れな方やセンシティブ(敏感)過ぎる方…生の魚が触れない、生の肉が触れない、極端だと生き物全般に触れられない、そういう方だって世の中には沢山いる。エビフライやエビの天ぷらやステーキやフライドチキンが元々は命と言われても、全くピンと来ないという方は、むしろ多数派とすら私は思う。
動物の世界は弱肉強食、捕食される側(病気やケガで弱ったもの・虚弱体質なもの・幼いもの・賢くないもの・逃げきれなかったもの)はその命を差し出すという、ある種公平でありながら、絶対的で、非情で、シンプルな世界だ。
でもそうやって私達人間を含めた動物の生態系は回っている。
現代において、生態系の頂点に立つのは人間だから「エビフライが命と言われてもよく分からない、だから?」という感覚は、異常でも何でも無くて普通だと思う。
ただ、私達がどんなに強大な存在であっても
同じ様に生きている者の命を理由なく奪う事は
一体何様なのかと冷静に振り返ってみる。
何割の人間にそれが出来るかどうか?
このようにふと考えてみる事が出来るかどうか。
命に対して何にも感じる事ができないというのは…心が
乾いている/気づく余裕が無い/麻痺してる/感覚的に蓋されている
ある意味でそうした人は「不幸」な心理状態だったり、そういう事を意識しない育ち方をしてしまったのではなかろうか…と思えてしまう。
食べる以上に不要に殺するのも人間だけ…
食べ物を残さないという感覚は真っ当だ。
「全ての生きとし生けるものに…アーメン」
キリスト教で食事前に祈るのはこういう事?
命に敬意を払う事
例えば、犬を目下な存在/過剰に庇護する存在…こうした認識を無意識に持ってしまうことは、動物の存在へ敬意を持つ事からは離れている気がします。
言う事を聞かない?懐かない?吠える?咬みつく?
犬(相手)の事を知ろうとする事が、敬意を払うという事ではないか。折角の機会ですので、胸に手を当てて、あまり思い詰め過ぎない程度に考えてみるのも良いと思いましたので、ご紹介しました。
ではこのへんでー。
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