浅はかすぎる鉱物採集① | はなくちめがねの脱若年性認知症ブログ

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自身の性格の悪さから若年性認知症のような状態になってしまったところから、脱却するために綴るブログ

大先生から、自分の認知症をなんとかするための新しい課題をいただいた。

それは以前から、先生と教室の一部のメンバーが行っていた
鉱物採集というものだった。

私も、そにうち何度かだけ参加させていただいたことはあったのだが
一人で行くことはなかった。

あまりにも大先生が出してくださったシンプルな課題をやらないで
仲間のアドバイスも聞き入れることがなかったため
最終手段としての鉱物採集なのだと思う。

課題が出る前にカズちゃんから何度も
鉱物採集するのに誘ってもらっていたが
なんだかんだ理由をつけて断ってしまっていた。

課題はいたってシンプルで
指定された場所の指定された鉱物を採集してくるというもにだったが
実際に自分が一人でやってみるまで、正直ナメてしまっていた…

それは以前参加させてもらった時に
非常に珍しいとされている鉱物が重くて背負うのが大変なほど
みんなが発見して採集させてもらったり(自分自身は一つだけだった)

カズちゃんに同行した時も、綺麗な鉱物がいくつか採集することができた
という印象だけが残っていたからだと思う。

それと、一番大きいのは自分の性格の問題だ。
自分はやりもしないの、全く根拠のない自信があって
やればできると思っている節が常にあるのだ…

実際、大先生やメンバーは膨大な時間と労力を費やすだけでなく
様々な要因から分析し、その鉱物がある場所をピンポイントで特定し
そこをめがけて採集に向かっていたのだ。
そんな全てお膳立てされた状態で参加させてもらっているのに
その労力や気遣いを考えることなく
ただただ楽しく参加させてもらい、その後も考えることをしなかった。

それは自分の考えをはるかに超えていて
実際にはそれがどれほど大変なことかは未だ理解できていないのだと思う。

自分自身で動くことで
自分の浅はかな考えでは到底及ばないことが少しづつ明らかになってきた。

大先生から課題を出していただいてから1週間は
実際にその場に行くことなく
とにかく場所を絞り込もうとネットで調べたり
図書館や、博物館、研究施設などで資料を集めた。

この行動も、場所さえわかれば見つけられると
自分の能力を過信している現れだと指摘してもらって
はじめてそのことに気づかせてもらっている。
自分自身では自分の考えていることすらわからないのだ。

しかもそこには楽して見つけようという意識が強く働いて
とにかく人を頼ろうと、近道してみつけようとしていた。

そに中で、博物館で知り合った地学の先生から情報を得ようとしたり
目当ての鉱物やその場所に関する記述をしている人にも
メールで直接コンタクトを取るなどして
表面的にはいろいろな情報が集まってきて
これさえあれば見つかるに違いないとタカをくくっていたのだった。