はじめまして。
未来創造カウンセラーのHanです。こちらのブログへようこそお越しくださいました。

過去や自分に納得していない部分があるとなかなかポジティブな部分へ意識が向きませんよね。自分の気持ちを無視していては本当の意味で発展的な未来は創れないと思うのです。
だから私は、無理矢理にポジティブな気持ちに促すようなカウンセリングは行っていません。 なぜなら、人は、過去や自分への未完了な思いが片付くと、自然に自分自身の力で新たな未来を創造し始めるからです。

それに気づいて以来、私は、●●式ヒーリング、●●カウンセリングといった技法にはこだわらず、徹底的に過去の思いや執着をすっきりさせることについてだけ技術を高めてきました。
あなただけのカスタムメイドセッションで、あなたのモヤモヤエネルギーをすっきりクリアにするお手伝いをさせていただきます。
このブログは、皆様が疑問に思うことや発展の参考になると思う出来事やケーススタディなどを「リアル」にまとめています。

自分に当てはまる・当てはまらない、好き・嫌い、共感できる・できないなどあるかもしれませんが、「自分の役に立ちそう!」と思う記事を選んでお読みいただき、その記事があなたの未来創造のための小さなきっかけになれば本当に嬉しく思います。


今日の訃報には本当にぽっかりと、と言うかちょっと呆然としてしまって、
他に書こうと思っていたことがたくさんあったのに文章にまとめられそうにないので、
何とか水木しげる大先生について書こうと思います。



御年93歳、ですので普通なら大往生。
でも、水木大先生は100歳まで生きるって仰ってたし、
きっとまだまだやりたいことはあったと思うので、
早すぎる!って言うのが正直な感想でした。


もちろん子供の頃、野沢さんヴァージョンの鬼太郎をテレビで見ていましたし、
妖怪の存在もよーく知っていました(色々視えていましたしね)。
でも ”水木しげる” という存在についてここまで興味を持ったのは、
17,8年前に、水木先生がマレーシアに妖怪探検に行く!というご本を読んだのが切っ掛け。
たまたまその前にマレーシアに旅行に行っていた事と、
マレーシアに妖怪っているの?!という興味で、単行本を買ったのがその始まり。

ただ絵だけを見て、あーこういう感覚分かるー程度だった、
妖怪絵についてもどんどん興味が湧いて、
対談集や、京極夏彦さんとの妖怪についてのご本、冒険本など、
先生の漫画を、と言うよりは妖怪やエッセイなどを主に読んできました。

一番惹かれた、そして救われたのは。
私はまだまだこういう世界に身を置こうとは考えていなかった時期、
自分の存在価値が見いだせず、”出る杭は打たれる” で何度も打たれて、
それがもう嫌で何とか ”普通” の枠に入ろうともがいていた時期。

大先生のエッセイなどで書かれていたのは、

自分にはそれが普通の事だとしても、周りとは全く違かった。
でもだからと言ってそれを周りに合わせようとは全く思わなかった。
” という事。

あまりに寝るのが好きで、寝るのが好きすぎて、小学校に上がるのを一年遅らせたとか、
お子さん達を遅刻しないように起こそうとする奥様と、好きなだけ寝させろ!と喧嘩になるとか、興味の無い事には全く反応を示さないからバカだと思われていたけど、別にどうでもよかったとか、自分がおかしいと思った事はいくら上官の命令でも聞かなかった、とか。

何とか周りに合わせて攻撃されないよう力を入れて踏ん張っていた私にとって、
人生の大大大先輩のこの姿勢は、本当に新鮮でした。
難しい理論により導かれて、とかじゃなくて、単純に自分が幸せでいる事に自分が無理をする必要はない、という事。

そして ”色々なものを視たり感じたりする私” も、自分にとって普通なら、それが普通だって事。
その事で苛められ、私と言う存在自体を否定されたと思っていた私にとって、
福音のように感じられたのです。


大先生の言葉はどれもこれも、現実に、ご自分の体験に裏打ちされていて、
本当に納得できる言葉ばかりでした。

戦地に送られる船から、たくさんもらったお守りを全部捨てた。
こんなにあったら神様が喧嘩するから。
” →これ、真実です

色んな仕事をやったけど、どれも続かない。漫画を描くことだけは情熱を持って続けられた。お金にならないけど、とにかく描いた。成功したいとかそう言う事ではなくただ書き続けた
→鬼太郎の成功に至るまでの長年の困窮生活については奥様である布枝さんの著書『ゲゲゲの女房』などでもお馴染みですが、自分のやることを疑わず、ただ信じてコツコツやれば成功のタイミングを掴むことが出来るって、数日前私ブログで書いたばかりでした・・・

”戦争物を描いている時、必ず感じるのは怒りです。戦友たちはみんな生きたかった。
生きたかったのに死んだ。だから戦地から引き揚げた後どんなに辛くても、ひもじくても、死にたい、とは思わなかった”
 →戦争で亡くなった人のうち、どれくらいの方々が寿命だったでしょうか。どんな国でも、どんな思想でも、罪のない人が寿命を全うできない事の正当な理由なんてないと思います。


たくさんありすぎて書ききれませんが、
何といっても水木大先生の最大の功労点は、
形は見えないけど、でも ”いる” のが分かる存在に形を与えた事
、これに尽きると思います。

水木大先生が完全な先人というわけではありませんが、
日本人が妖怪を信じていなくても、妖怪ってものがキャラクターにせよ、
なんにせよ、存在しているのを認識していない人口の方が少ないであろう国になれたのは
完全に水木大先生のお陰です。

人は自分に理解できない存在を恐れます。
そして隔離したり無視したり認めない事で、”ない” 事にしようとします。
それはどこの国でも、どこの時代でもあったこと。

水木大先生は、その理解出来ない見えない存在を、
ユーモラスな形や、ネーミングを与える事で、皆が存在があると思える様にして下さいました。
そして、見えない理解の出来ない存在を ”いる” と思う事に対する恐れも取り除いてくれたように思います。

先生の書かれた妖怪絵は、マレーシアやメキシコ、様々な”妖怪民度の高そうな”国に
持っていって現地の人に見せると、
あーーーこれは~だね♪、この妖怪はここでは~と呼ばれている、等と、
日本固有のものと言うよりは、世界共有の存在として認識されていました。


水木しげる大先生には、本当に感謝してもしきれない思いでいっぱいですが(一ファンとして勝手にですが)、
その水木大先生をずっと支えてこられた奥様である布枝さんにも同じだけ感謝の気持ちを捧げたいと思います。
傍から見ている限りでは凄い先生で面白い人、であったでしょうが、
実際に生活を共にするパートナーという点ではご夫婦にしか分からない様々な苦労があったであろうことは、著書などを読んだだけでも痛いほど感じました。
そして悲しいお顔で病院から戻られたのをニュースで拝見して、
まだまだ長生きされると思っていた矢先の事だったのでしょう、それは想像に難くなく、冒頭の 『まだ早いよ!』という気持ちが湧いてきてしまったのです。


先生は晩年(と言うのは早すぎますし悔しい気がしますが)、
きっとあちらの世界とこちらの世界の境目などでウロウロされていたのかなーって思います。
あちらの世界は思いのほか近くにあったりしますし、
きっと戦友のお声なども聞こえていたんでしょう。

ちょっとお出かけになられてあちらの世界で、今まで行けなかったところに行ってみたり、
知己の方々や戦友たちとまたお会いになったり。
4次元の世界では3次元で出来なかった事を、
色々面白がられて(ほほーー!って言いながら)好きなだけやられていると思います人差し指
あーーなんかそれ、思いっきり想像できますむひひ

訃報にたいして、ただ悲しがったりショックでいるのではなく、
たくさんの勝手に水木大先生に育てられた一人として、
大先生の残された素晴らしいものを無くさないようにしていきたいと思います!

これをお読み頂いている皆様の中に、著書をまだ読んだ事の無いと言う方がいらっしゃいましたら、是非お手に取ってほしいと思います。
”妖怪の父” はブレない人生のエキスパートでもありました。
多くの方に、その素晴らしさをこれからでも知って頂きたいと思いますpnish


合掌祈る



★実際にセッションを受けてみようか、迷われている方の参考になりましたら幸いです。ご質問があれば直接メールか、差支えなければコメントを投稿下さい。極個人的な事以外はブログ内で回答させて頂く場合がございます。笑