小さい頃、一人っ子ではないが
一人遊びは得意だった
とりわけ好きだったのは
空をひたすら眺めること
゛遊び゛じゃないか(笑)

今日は雲が早く流れるな
雲の上に乗れるのかな
乗ってみたい

そんなことを思っていた

゛雲の上にのってみたい゛は
完全にドラえもんの影響である

今も空を眺める遊びは健在だ
可能ならば見続けながら歩きたい


今日も夜空を眺める
胸があつくなる
涙がなぜか込み上げてくる
そしてふと思った

私は空の何に惹かれて眺めているのかと


゛何に?゛なんて知る必要もないこと
だけどふと湧いた疑問だ


景色としての美しさか
エネルギーか
太陽か?月か?星か?


そうだ
空も、夜空の方が好きだった
そしてじっと見つめるその先は


星だ!



私が思う空のメインどころは
太陽や月
太陽は活力みたいなパワーを
月は癒やしのエネルギーを
与えてくれるように感じている

だけど、星て何かを周りに与える
という印象がない
どちらかというと地味
でもキラッと輝いている


太陽のような人や
月のような人がいて
でも私はそういうタイプじゃない
私は人にパーッと何かを与えること
などできない
とてもちっぽけで無力だ

だけど
小さい自分でも
主役じゃなくても
ちっぽけでも
大きな特技とかなくても
人生あきらめないぞ!
と不屈の精神で立ち上がる

地味めだけどキラッと輝く星と
自分自身を重ねているのかもしれない


私が大切にしているものが
なんだったか
忘れていたものを一つ
思い出せそうな予感


最近また意識してやり始めた
お金を使うときに

自分にとって一番を選択する
ということ

最初は小さく気軽にできるものから
例えばいつも飲んでいるコーヒー
スーパーで買う肉とかお菓子など

コンビニの安めのカフェラテも
美味しいけれど
ほんとはスタバのが飲みたい!
ならばスタバにいこう

肉も米国→国産→銘柄がついてる
という風にランクアップアップ

ポイントは「自分のためだけに使う」
自分のことには使えないけど
人のためなら使える
という人が多いので



この一番を選択するってのは
けっこう勇気がいる
マインドがごちゃごちゃと騒ぎ出す
数百円の違いなのに、払えるのに
ほんとに笑けてしまう
だけどこの小さなことが
すごく大切らしい


積み重ねるごとに
自分の中に
自分自身にとって一番を選択した
ということが刻まれる
実証していることにもなる


真面目にやっていて
気がついたことがある
それは
一番を選択できたとき
一番以外は全く目に入らない
興味がなくなるということだ


自分にとっての一番はどれなのか
ほんとはちゃんとわかっている
けれど手に届きそうになかったり
届くけれど恐れが勝ってしまったり
そして一番は諦めて
せめて一番により近いもので自分を
無理やり納得させる
「私はこれがよかったんだから」
一番への想いは無かったことに


あー、つらいね
悲しかったね
大切に扱われているとは
程遠い


恐れずに一番への想いを
みつめよう
そしてしっかり望むんだ
願ってやまないその望みが
今すぐ手に入らないのならば

私はいつも最高のタイミングで
それを手してきたから
これもそうだ

として、望みに真っ直ぐ向かう
フェードアウトは
もう無しだ


お盆休み
ご先祖様に想いを馳せる。


私はインディゴチルドレンだからか
宇宙、地球や自然、高次の存在など
は近くに感じるし、感謝の気持ちも
湧いてくる。
が、正直「ご先祖様」というところには
受け入れがたい気持ちがあった。
感謝の気持ちより、なんでこんなに
辛く重い、しんどい家系に…などと
思ったことも過去に何度かある。

でも今年はなんだか違ったので、
目を瞑り、感謝の気持ちを伝えてみた。


そうすると汗をダラダラながしながら
工事現場?のようなところで必死に
働く男性の姿や、診察中のお医者さんが
目の前にパッと視えた。
それから、
もっと沢山良いおもいをさせてあげたかった
という無念さみたいなエネルギーも感じる


私の中から聞こえた声。


幾多の困難を乗り越えながら、
生きることを決して諦めずに
命を繋いできてくれたんだ


号泣したのは言うまでもない
その後私の左側に他界している
叔母の声がした



私と姉、弟へのメッセージをきけた
本当に叔母らしいメッセージだった
沢山話せたがつまりは
「親のことに縛られず、兄弟仲良く
皆幸せになりなさい。」
ということだ。


少し前、友人を話をしていて

無条件に愛することはわかるけど
無条件に愛されるということが
さっぱりわからない
ピンとこない
愛されているのだろう
それは頭ではわかっているのだけど
実感がない
一体それはどんなものか?


と私は彼女に尋ねていた。
一瞬彼女は悲しい目をしたように
私は見えて、悲しませるようなことを
聞いてしまったか?と思った。


彼女はその時こう答えてくれた


私は今生きていること自体が全てから
愛されていることだと最近感じる
ようになった


今ならそのことが感じられる。
そして、彼女は私を無条件に
愛してくれているのだろう
その彼女に対して
「愛されるということ」が
わからない、と言ったのだ。

ごめんなさい
そして心の底から
ありがとう


実感があろうがなかろうが、
今生きているということは
命を繋いできたその愛の連続
いついかなるときも愛はある