今日のタイトル。
いつも書きたいと思いつつ自分のなかでまとまってなくてかけてませんでした。
吃音症の中でも、重症と軽症とは別々に考えた方がよいのかなと思う事があります。
◯重症吃音(重症吃音の特徴は、結局軽症吃音の特徴になりえる)
見た目にわかりやすい。
日々、話すことの苦痛を味わう。環境によってバカにされる、低評価のレッテルを貼られる。
就職困難や社会生活を営むことが難しいことも。
セルフヘルプグループに行っても軽症吃音の方々がメインで話すようになってしまい、セルフヘルプグループにも居場所がないと感じてしまい、孤独になりやすい。
障害認定が必要。
能力があっても話すことが流暢じゃないということで十分に発揮できない。
◯軽症吃音
見た目にわかりにくい。
周囲と話すことの不自由さで差があるのに、同じものとして扱われる。
話せる時と話せない時があるので、周囲により理解され難くなるし、当人も吃音に支配されているような感覚になる(これ、非吃音者の人には大袈裟に聞こえるかもしれませんが、大袈裟なんかじゃないです)。
相談しても周囲に理解されないことが、孤独にさせる。
より隠そう隠そうとなるので、より辛くなる。
昨日あった出来事。
発達障がいを専門にしている保育士さんとお話をしてきました。
吃音の幼児さんも何人かみたり、相談を受けているそうです。
そこで仰られたこと。
「吃音には本物と、そうでないのとがある」
よくよく話を聞いていると、
「ことばの教室に簡単に繋ぎすぎないようにするべき」ということだったのですが・・・
吃音に本物とそうでないの!!
びっくりしました。
つまりこの先生は、重症の吃音児についてはことばの教室につないで軽症は自然治癒するだろうから様子を見ていましょうね。っていう対応みたいです。
正直、がーーーーーん。でした。
軽症吃音は問題にならないんだー。
そりゃ、親御さん無知識で、話し方のアドバイスしたり、先取りしたりしちゃうよなーー。って思いました。
そして、この先生26年だか発達障がいの幼児と関わっているそうで、なんだか妙な自信に満ちあふれていて、、、
年齢もあるだろうし、新しい知識入らないんじゃないの?という不安がよぎりながら話をさせて頂きました。
私はこの先生のお話に「そうなんですねー」と尊敬の念を含めた感じで聞いてましたが、この先生は私の話に対して、自分の知識をかぶせて話をしてきていて・・・
自分はこの地域の一任者という意識が強いんだろうなーって感じました。
なんとかこの先生の意識を変えられんだろうかーー
帰ってきて、ちょっと頭の中を整理。
正直、ムカッとしたので冷静になろう。
先生の言う通り自然治癒の可能性のある全ての子がことばの教室に行っていたら、言葉の教室の先生はこの地域では2人しかいないから、大変なことになるだろうな。
だけんども、軽症吃音の人がこんなに辛い思いをしていて、親や教育関係者に理解が得られないというのもおかしい。
そもそも、軽症吃音の親御さんに知識があれば、こんなに辛い思いをしなくてもいいなじゃないの?。
とうことは、、
自然治癒の可能性のある、全ての子供さんを紹介してくだされーーって思うけど、どうやってそのことを伝えよう。
いいたい。
皆さんに良い事がたくさんありますように