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ココロの声を聴く

自分の感情や思いを文字にして表現する練習と、勉強し続けている英会話の練習

仕事上でもプライベートでも、人と話すことの多い私。



仕事を始めてから、コミュニケーションについて考えたり読んだりすることがさらに多くなった。



最近私のアンテナに引っかかったのが、お気に入りの通販サイト「北欧、暮らしの道具店」の読み物コーナーでの劇作家平田オリザさんのインタビュー記事。



「コミュニケーションは、能力ではなくモチベーション」



そんな見出しに心惹かれて読み進めていった最後に書かれていたのはこんな内容だった。



「会話」とは親しい人=分かり合っている人同士でする日常会話。
「対話」とはあまり親しくない人同士の価値観の交換、または親しい人でも価値観が違う時に起こるすり合わせ。



さらに、対話とは自分の主張を相手に納得させようとする「対論=ディベート」とも違う。



自分と相手の思いや価値観がすり合わさり、別の概念を生み出すのが「対話」であり、「対話」とはそもそもその後にお互いの意見が変わるということが前提なのだ、と。



うーん、と納得。
お互いの価値観の違いから新たな概念が生み出されるなら、違いこそ素晴らしい!ということではないか。



分かり合えないということも、自分の意見が変わるということも、もっとポジティブに受け入れていけたら、もっと人とのコミュニケーションが豊かになるのだろうなぁ。



自分の懐が深くなったような気持ちで、清々しくインタビュー記事を読み終えた。


この間の三日月の夜。



自転車を漕いで駅までの帰り道、ふと頭の中に「愛しい」という言葉が浮かんだ。
本当に、ふと。



愛しい  (いとし・い)
かわいく思うさま。恋しく慕わしい。
無償の愛に近い感情。



そしたら、なんだか胸がじーんとしてきた。



誰を、何を、愛しいと感じたのか。



自分の小さな感情の変化に敏感になってきたこと、それを流さずじっくり見つめられるようになったこと、そんな些細なことがうれしい。



そんなことを思いながら自転車を漕いでいたある日の夜でした。


I didn't like myself until 2 years ago.
I have no confidence in myself.



And now I've become to understand that I really want to love myself whatever I do and however I am.



Can I treat myself as a jewelry?




It's so difficult for me now.