Flashのflaファイルのバージョンダウン成功
Flashのflaファイルのバージョンダウン成功
AdobeFlashは今CS6を使用してるけどそれをCS4にバージョンダウンしたくなった。なぜならActionScript2.0はこっちの方が全然わかりやすいからです。3.0は全くダメな私。
しかしAdobeは一つ前のバージョンまでしかバージョンダウンできないようにさせている。イジワルである。
しかしAdobeは一つ前のバージョンまでしかバージョンダウンできないようにさせている。イジワルである。
CS5は自分は持っていない・・・。
で
持っている人を捜してヘルプ頼む事にしました。
CS6ーCS5ーCS4 と段階を踏むのである。
できた!
と思ったら、いくつかシンボルが壊れている。
まあ、しょーがないか、と思ったら、気がついた。
壊れているのは全て、ステージに配置されてないシンボル。
そこで使いたいシンボルだけを集めて一つのステージにテキトーに並べてもう一度、ヘルプさんにバージョンダウンをお願いしました。
成功です。
全く異常なくCS4でCS6のムービークリップが動いている!
全てこれでうまくいくとは思えないけど、私にとっては有効な方法ですね。
クレームのこないオリンピックエンブレムに作り方!
http://netgeek.biz/archives/47348
いろいろ話題になってるけど私的にも無関心でいられないのでちょっと考えをまとめようと思う。
佐野氏の擁護的な立場の意見の根拠では
○ロゴなんてシンプルな物は探せばどこかに似たような物はある。いろんな情報を沢山収集し参考にして作るのがデザイナーの本業。
○ネット民は成功者を無責任にディスるのが好きなんだから、こんなことで引っ込めてたらアートの世界はメチャクチャになる。
ざっくり纏めるとこんなところだろう。
デザインはアートというより設計に近く、与えられた目的を達成させるための道具として創作される。
目的が近ければ結果も似てくる。車だってシルエットにしてしまえば中々見分けがつかない。私に言わせればベンツAクラスとトヨタカローラって似てるなあ、、、と思っちゃう。
目的が近ければ結果も似てくる。車だってシルエットにしてしまえば中々見分けがつかない。私に言わせればベンツAクラスとトヨタカローラって似てるなあ、、、と思っちゃう。
なにしろ日本は今や世界に文化的影響力のある国のトップなのだ。世界中のクリエーターが何をやらかすのか注目してる。
http://newsphere.jp/world-report/20141114-4/
ピクトグラムは64年オリンピックが契機で世界にひろまったので有名だ。でもそれも元々はヨーロッパが発祥。今これをやったらディスられるかもしれない。
アルファベットのイニシャルをモチーフとした幾何的ロゴなんて、欧米じゃバウハウス以来100年の歴史がある。もう何万、何百万と作られたことだろう。彼らにしてみれば「こういうのは自分たちの文化」というプライドがあると思う。北京オリンピックのロゴは漢字の京を象形文字っぽくくづしたデザインだ。これなら欧米からクレームはこないだろう。でももし日本がこれを先にやったら、中国人はカチンとくるだろう。
パクリ問題ではないが88年に起きたチビクロサンボ問題がある。あの時は出版社のみならず、タカラ、カルピス、サンリオといった会社が一斉に黒人っぽいデザインの商品や看板を撤去する事態になった。
今ならチビクロサンボも復活し、イイガカリといえるけど、こういうことだって起こることもある。
そのへん佐野氏は結構脇が甘かった気がする。
広告の世界には潜在的記憶を刺激して印象つける。という手法がある。壁ドンを満員電車の中で再現するというヒットコマーシャルもその手法だ。佐野氏はそれを意識的にビジュアルでやっていたフシがある。
氏の作ったオリンピックのフェアプレーのロゴ。これなど口元をアマゾンのロゴのタッチに似せる理由はデザイン上何もない。明らかに意識的に効果を狙っていると思う。極めて危ないスレスレの技だ。こういうことをやってしまうのは今までに博報堂という権威に守られていて、下々の民のクレームなんかに向き合ったことがなかったのだろう。
国際的なパクリ問題でニュースになった有名な話ではこんなのもある。
http://www.sanrio.co.jp/wp-content/uploads/2013/12/20110607.pdf
この訴訟で両社が和解できたのは 壊してはいけない物が両社もファンの人も同じだったからだと思う。
ただカッコつけてお金儲けるだけの両社だったら泥沼だったと思う。
私が以前の会社で学んだのは
デザインというのはただ見た目がどうのではない。背負ってる文化やポリシーが、が大事だということだ。それに共感できないと単なる道具で、ここが一ミリ違う、とか不毛の論争なってしまう。
佐野氏もロゴの意味についていろいろ書いていたが、あれは理屈であって感動が伴わないから説得力に欠けると思う。
広告の世界には潜在的記憶を刺激して印象つける。という手法がある。壁ドンを満員電車の中で再現するというヒットコマーシャルもその手法だ。佐野氏はそれを意識的にビジュアルでやっていたフシがある。
氏の作ったオリンピックのフェアプレーのロゴ。これなど口元をアマゾンのロゴのタッチに似せる理由はデザイン上何もない。明らかに意識的に効果を狙っていると思う。極めて危ないスレスレの技だ。こういうことをやってしまうのは今までに博報堂という権威に守られていて、下々の民のクレームなんかに向き合ったことがなかったのだろう。
ただカッコつけてお金儲けるだけの両社だったら泥沼だったと思う。
私が以前の会社で学んだのは
デザインというのはただ見た目がどうのではない。背負ってる文化やポリシーが、が大事だということだ。それに共感できないと単なる道具で、ここが一ミリ違う、とか不毛の論争なってしまう。
佐野氏もロゴの意味についていろいろ書いていたが、あれは理屈であって感動が伴わないから説得力に欠けると思う。
デザインの意味ってカッコイイ理論より、実はベタでクサイ浪花節のほうが力がある、というのが私の信条だ。
私のもといた会社の社長は愛だの平和だのクサイ事ばかり言っていて私は嫌だった。お子様なプライドのあった私はライバルのsc社のキャラクターのほうが大人っぽくてクレバーでオシャレと思っていた。
先日、そのライバルだった会社のアートディレクターの人の講演を聞いた。その会社の持っていたキャラクターは帰国子女の臭いがするようにしたから売れた。とマーケティングを語っていた。私はこの会社が一番になれず衰退した理由がはっきりわかった気がした。そんな理屈はきぐるみの中の人を見せるようなもんで一般人にはありがたくもない話だ。sc社は「このキャラは貧しい子供の社会教育のための産まれたので、その精神
私のもといた会社の社長は愛だの平和だのクサイ事ばかり言っていて私は嫌だった。お子様なプライドのあった私はライバルのsc社のキャラクターのほうが大人っぽくてクレバーでオシャレと思っていた。
先日、そのライバルだった会社のアートディレクターの人の講演を聞いた。その会社の持っていたキャラクターは帰国子女の臭いがするようにしたから売れた。とマーケティングを語っていた。私はこの会社が一番になれず衰退した理由がはっきりわかった気がした。そんな理屈はきぐるみの中の人を見せるようなもんで一般人にはありがたくもない話だ。sc社は「このキャラは貧しい子供の社会教育のための産まれたので、その精神
を日本に根付かせたい。」とかクサくても言うべきだったと思う。当然こういう事はいきなり言ってもダメで日頃からそういう発言をしてなきゃいけない。
あの社長は偉大だったと思った。
あの社長は偉大だったと思った。
デザインはアートではない。価値は有識者ではなく一般人が決める。プロにはダサくても一般人に快く受け止められることのほうが歴史に残る。50年後には「このデザインはこの偉い人が評価した」なんてのは本にも載らないだろう。載るのは「この時代に流行したもの」だ。
なんでも鑑定団で小汚い壷を鑑定士の先生が「この色はこの時代のXXではないと出せない。すばらしい」とか言って何百万もつけたりするが、あれはアートだからいいのだ。デザインの世界ではテレビを見てる人に「小汚い」と思われてたらそれでオシマイである。あの番組はそのギャップが凄いから滑稽で面白いのだ。
ダッコちゃんはカワイイと思うけどそれを不快に思う人がいたら理不尽でも引っ込めねばならない。こういうのが大衆文化であるデザインの厳しさだと思う。
で、どうしたらいいかということだが、
世界で戦うときはクレームをつけるのが恥ずかしいくらいの文化を背負う必要があると思う。有識者がダサいと判定しても、一般人が支持せざるえない何かをベースにして作るのがいい。
私が思うに、
いっそのことジブリに作ってもらうというのもアリと思う。98年国体のキャラクター作ってるし。
ユルイけど。実は見栄を捨てれば日本人ってこんな物のほうが好きだと思う。そう思わない?海外からクレーム来ることはまずないぞ。
ユルイけど。実は見栄を捨てれば日本人ってこんな物のほうが好きだと思う。そう思わない?海外からクレーム来ることはまずないぞ。
あと、スポーツだから高橋陽一氏とか。
パクリとか言われても、「私、デザイナーじゃないから、、。」で謝るだけですんじゃう気がする。
佐野氏だが、
私には盗作かどうかは判定ができない。
オリンピック委員会を巻き込んでメンツの妥協点まで戦うしかないだろう。
私はメンツのはりあいはエゴの火花が散ってるのが見えて、不快なので目をそらしたい。
ハッピーを伝えるのがデザインの最低限の役割だ。
フェアな爽やかさがなくなったらスポーツは闘争でしかない。
闘争のエンブレムになっちゃた時点で役目が終わってしまった。

