2022年8月30日未明、日本航空に残っていた最後の777-300、JA752Jが離日しました。
747SRの導入から続いた国内線を席巻する500席級の大型機の時代はここに終焉を見、これからもこの時代が2度訪れることはないでしょう。そもそも777-300を発注したのは、逼迫する羽田の発着枠で1便あたりの収容乗客数を増やすためでした。そんな大型機が華の時代だった最後世代、777-300の計7機を振り返ってみます。
JA8941 1998-2015
初号機JA8941は、羽田発鹿児島行きで初就航し、以後17年間に渡り活躍しました。
一時期はエンジン、レドームを外されラインから外れていましたが、その後復活し約半年間飛んでからオールホワイトとなり、アメリカへとフェリーされていきました。
JA8942 1998-2015
ついで受領したJA8942は、晩年はソチ五輪の浅田真央応援塗装機として運航されていました。
この塗装が同機唯一のスペマ経験。筆者は伊丹でその姿を捉えることができました。
なお772とは異なりFクラスが設定されていなかった773ですが、この当時はまだ羽田=伊丹などのビジネス路線にも飛んでいました。
JA8943 1999-2016
2016年に相次いだ777の離日。773では本機までが対象となり、アメリカでスクラップとなってしまいました。
この背景には日航が新たに構想した「JAL SKY NEXT」の存在があります。現在も国内線機材は全てがこの仕様に準拠していますが、統一にあたり機材は「改修」と「未更新のまま退役」の二択が採られました。経営破綻からまだそんなに時間の経っていなかった日航は、ダウンサイズ化とコストの削減が命題でした。ですから経年化の進んでいた773は退役を進めたい機種だったに違いありません。しかし500席という輸送力はいくらその機種が経済性に劣るから減らしたいと言っても決して需要がゼロではありません。なので古い機体は更新せず退役、後期の機体は更新して使用継続という結論に至ったようです。
JA8944 1999-2022
上記の方針の下、4号機であるJA8944以降は順次SKY NEXT化とWi-Fi装着を進め、773の運用は羽田発着の高需要観光路線に集約(例外:伊丹=那覇)され、以後最後まで活躍を続けることとなります。
もうそろそろ退役かと囁かれ始めた2021年、777-200のJA8978がエンジンに損傷を伴う重故障を起こしました。程なくJCABからPW4000を装備する777について運航停止措置が講じられ、4機の773は先の見えない状況でグランドすることになりました。
JA8945 1999-2022
飛行停止から間もない2021年春、日本航空よりPW4000を装備する777について、完全退役させるとの発表がなされました。
それから約1年近く動きがなかった773ですが、このJA8945がある時ふと目撃されなくなっていることがわかりました。
「解体されたに違いない」
「国内で解体なんてそんなバカな」
さまざまな憶測が飛び交いましたが、結局羽田で解体されていたようです。
JA751J 2003-2022
今までJA8941から順当に数字が上げて割り当てられていた機番が、6号機から突如変わりました。これは元々JASが発注していたことと、レジ登録体制が変わったことに由来します。この機体を受領する頃、両者が経営統合を進めていた関係で本機と続くJA752JはJALJ(旧JAS)の乗員によって運航されるという変則的な運用がなされました。
2015年には嵐の大野智がデザインした嵐ジェットとして運航されるなど注目を集めたこの機体、ひっそりとアメリカへと旅立ていきました。
JA752J 2003-2022
773の最終号機に当たるJA752Jは、ノーマル塗装の方がレアというほど長くスペマとして活躍していました。
2009年7月から離日までの13年間はワンワールド塗装機として航空ファンたちを魅了してきました。
2022年8月、最後まで残っていた本機が羽田から飛び立ち、日航から773は完全に姿を消したのです。
簡単な説明にはなってしまいましたが、日航773の歴史を少しでも知っていただけたなら幸いです。