『命と引き換えに自分の会社や従業員を守りとおしてもなぁ…』
『切羽詰まってたなんて聞いてなかったよ。』
すでにこの世には居ない彼…遺影の向こうから優しげに笑いかけている。
まるでいつもの顔あわせた時みたいにね。
五歳年上の彼は野球スポーツ少年団の監督をやってた事がある。
その頃は、僕に似たのか運動オンチの長男がお世話になっていた。
入団の時、心の優しい彼にはある心配事を内密に僕は伝えている。
野球スポーツ少年団に参加した事のある保護者なら当然気づくであろう事。
いつも野球の試合で口汚いヤジ合戦が恒例化している。
いくら子供とはいえ、相手のミスを心の傷になるようなヤジり倒しには僕は反対であった。
当然、大人まで敵をヤジり、罵声とも言えるような大声を張り上げのは好きではなかった。
スポーツをするのに、なぜ誹謗や中傷ともとれるような個人的ヤジが必要なのだろうかと不思議だった。
そんな長年の慣習を止めさせたがってた、僕と同じ感覚ながらも年上の友である。
小学生が少なくなり、野球スポーツ少年団が歴史に幕を閉じた。
そのさいに、バドミントン同好会を立ち上げたら男女21人が参加する事になった。
驚いた事に、翌年には嫌がらせのように野球スポーツ少年団が再び復活した。
校長さんからの提案で、バドミントンスポーツ少年団にと依頼があった。
当時、娘も参加していたPTA会長の彼に相談した。
自分の事のように喜び、チャンスだとばかりに肩を叩いてくれた。
ヤジの全く入らないスポーツが、生まれてこのかたスポーツや運動会までヤジだらけの部落に誕生した瞬間だった。
野球出身ながらも違うスポ少を陰で支え、同じ年代の子供ら育ててきた彼だからこそ、 独身の亡き同級生らより自分の事のように胸が痛む。
遺書を残さなければならないほどの己の苦しみの中でも、他人には思いやりの言葉や優しい態度を投げかけてくれた彼を【また一つ巨星墜つ】と遺影の中の笑顔に、自分の善きにつけ悪しきにつけバックアップしてくれてた理解者であったんだと、すでに成長して子を持つ親になったスポ少の教え子の涙が切なくて…
『三日前にばったりキャンディー屋で会ってなぁ、同じテーブルで向かい合いなからラーメン食ったばかりだったのになぁ…人の悪口は絶対言わない思いやりあるのが貴女のお父さんの素晴らしさだったよ。』
また一粒、テーブルに愛が落ちた。
《続く》
』








