最近、TVerで『天皇の料理番』の配信
2015年放送の時は観てなかったのですが、TVerで何気に第一話を観て、それからハマってしまいました
https://www.tbs.co.jp/tenno_no_ryoriban/story/
あいにくTVerで配信されてるのに気づくのが遅くて、1話〜3話 8話〜12話は観れたのですが、期間限定配信のため4話〜7話を見逃してしまいました
8/7から8/31まで再配信されるみたいなので、今度は見逃さないようスタンバイです
最終回は何回観ても感動、泣いてしまいます
図書館で『天皇の料理番』が借りれたので読んでる最中です。

脚本家さんってすごいなぁ~とつくづく思います。
原作からの話の持っていき方
これもまた森下佳子さん脚本
『べらぼう』も面白いし、『義母と娘のブルース』も森下佳子さん脚本とは知らずにハマってました『JIN−仁−』も観てないけど…森下佳子さん脚本なんですね!
『大奥』も男女逆転の話でなんじゃそりゃ?と思ってたのですが、いつぞや夜中に再放送されてるのを見て、途中からですがハマってしまいました(かしまし歴史チャンネルでも話題だったみたい)
映画『伊能忠敬物語 大河への道』も知らずに観ちゃいましたしね
それはそうと、『天皇の料理番』の主人公秋山篤蔵にも興味が沸いたし、昭和天皇にも
漫画ですが『昭和天皇物語』も無料話だけですが読んじゃいましたよ
以下ChatGPTより
ドラマ『天皇の料理番』における名シーン、**宇佐美(小林薫)がGHQの通訳・倉木に語ったセリフ「陛下は味噌のようなものです」**について、ご紹介します。
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✨セリフのシーンとセリフ全文
これは第12話(最終回)で描かれた、GHQ幹部から「あなたにとって天皇とは何か?」と問われた場面です。宇佐美はこう答えます:
> 「私にとって陛下は…味噌です。生まれたときからそこにあり、馴染んできたもの。味噌を親しみ、慕うことは当たり前です。その意味を問うたことさえありません。しかしもし、ある日突然、味噌を今後一切食べてはならないといわれたら…私はとてつもない寂しさを感じるでしょう。そして暴動が起き、統治が難しくなるのではないでしょうか。」
このたとえを用いることで、天皇という存在が日本人にとっての「当たり前」であり、日常に根ざした存在であることを表現しています。
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🎯 この比喩の深い意味
1. 自然で生活に密着した存在
味噌汁のように、日本人の食卓には欠かせず、特別意識することなく「そこにある」存在。宇佐美にとって天皇も、幼いころから慣れ親しんだ不可欠な存在でした。
2. 失われた時の喪失感の強さ
もし失われたら多くが動揺し、騒動すら起こるほどの影響力を持っている。それだけ国民の精神に深く根付いている象徴であることを強調しています。
3. 崇拝ではなく“親しみ”の表現
天皇を「現人神」的な超越的存在ではなく、日本人の日常に溶け込む温かなものとして描いた表現。崇拝一辺倒とは異なる、距離感と親近感を同時に伝えています。
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🧭 ドラマ全体への位置づけ
このセリフが登場したのはドラマのクライマックス。篤蔵(佐藤健)がGHQへの対応を通して、天皇への忠誠と料理人としての真心の意義を深く考える場面です。宇佐美の比喩は、篤蔵や視聴者にとっての価値観を表現する重要な一節となっています。
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📝 補足の解説:宇佐美の視点と比喩の巧みさ
脚本家・森下佳子の手腕により、天皇を「味噌」という日常的な比喩で語ることで、視聴者は自然と感情移入できる構造になっています。一部視聴者からは「もっと崇められていたのでは?」という声もありますが、こうしたあえての「親しみ」を選んだ表現が、ドラマの知性ある描写とされています。
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🔍 まとめ:この比喩の魅力
要素 解説
天皇=味噌 日本人の心の中に染み込んだ存在として描写
失われたら? 感情と社会秩序に大きな影響─象徴的な存在感
崇拝より親しみ 過度な神格化を避け、生活に根ざした描写へ
文脈との一致 戦後GHQとのやりとりに対する“合理的感情”
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日本国の象徴…の意味、真剣に考えたことないなぁ~
戦後80年、ちょっと考えてみたいと思います