1992年1月にセブ・マクタン島に土地購入し
5月に家を建築して8月にブレッシングをしたが
その後不具合が発生していた・・・
その”修復”に12月の再々”渡セブ”となったが
ワイ等の到着時には終わっていたので
ネットで拾ったイラスト
次は娘の誕生日パーティーである・・・
下記のいずれかのクリックにて
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おはようございますHamreyです
昨日のコメントに
フィリピンでの”医療問題”があったが
同じ様な経験をしておりました・・・
記事にしていたと思ったが
誰かへのコメントだった可能性がある・・・
時期的には1990年2月と思われるが
冬場なので患っていた”水虫”は心配なかったのと
南国ではビーサンの為風通しは良かった・・・
だが何かの拍子で水溜りに足を入れた事で
何かの菌に侵されて化膿してしまった・・・
クリニックに行くもそのドクターの問診は
先の大戦の事であった・・・
ドクター親族が旧日本軍から受けた仕打ちが
酷かったとかでワイの父親は
当時戦争に関わっていたのかと聞かれた・・・
ワイの父親は開戦時13歳で満州へ丁稚奉公行き
終戦前の45年4月に日本帰国したが
”召集令状”を待つ間に終戦となった・・・
(これは母親からの又聞きであるが…)
その話をした処で単に処方箋を書き
薬局で薬を購入したが全く効かず・・・
帰国後に皮膚科受診をして処方された
”抗生物質入り軟膏”で直ぐに治った・・・
フィリピンの医療程度は損なモノで
その認識は今でも変わりは無い・・・
(患者に向き合っていないダカラ~…)
さて、翌日は早朝営業のジプニーが戻ってきたら
すぐにレチョンを取りに行こうと云う・・・
帰り道にレチョン屋へ寄ったそうで
その際に注文したのより大きいサイズのも
同じ料金で買えるらしい・・・
近年フィリピンの販売方式で採用されている
ネットで拾ったイラスト
”1個買えばもう1個オマケ”の様なモノと
嫁の説明であった・・・
(勿論嫁は乗り気になっていた…)
ただドライバーが云う事なので追求してみると
大きいレチョンにキャンセルが出たそうで
同じ料金で販売するとの事だった・・・
(大きいのを値下げしての販売…)
その僅かな割安感に庶民層は血眼になるが
レチョン2個は必要無いでしょう・・・
(日本人的感覚…)
それでも諦めの悪い嫁は
大きいのに交換してもらおうと云い出すが
こちらの分にもキャンセル料が付くでしょう・・・
ただ交渉してみると嫁が云うので
朝食後とのワイの言葉に被り気味で
ネットで拾ったイラスト
”朝飯前”と云うが何処で憶えたの・・・!?
(と云って意味は解っているだろうか…!?)
往復時間を考えると朝食後の方が無難ですので
前夜の残りで急いで作った朝食を済ませ
ジプニーでレチョン屋に向かいます・・・
結果的にキャンセル料(500P≒2千円)が発生する為に
最初の注文通りの品(1900P≒7600円)で決着したが
”交渉”の余地など微塵も無かった・・・
(売り手が最優先のフィリピン…)
さてその帰り道には嫁姉Etが交渉したという
ローカルのクーラーボックを借りに行く・・・
着いた先は普通のサリサリストアだったが
ネットで拾った画像
ここで売っているドリンク類を冷やす為の
ネットで拾った画像
木製の箱だった・・・
(内部はブリキ…)
この中に氷と水を入れて
ドリンク類を冷やすというモノだが
空っぽでも重そうだった・・・
(運んだのは親族男衆…)
そのレンタル代は200P(約800円)だが
ここでドリンク類も買うのでその料金だが
交渉で”無料”にならなかったの・・・!?
そして冷やす為の氷だが
このサリサリから教わった製氷所は
当時のラプラプ市長一族の経営らしい
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ジプニーにはクーラーボックス?とドリンク類は
別々に積み製氷所へ行く事となった・・・
(レチョンは離れた所で保管されている…)