1991年3月に娘の春休みに乗じて
嫁と娘のフィリピン帰省という名目の
”凱旋帰国”を果たします・・・
搭乗のPR便マニラ行は予定通り離陸して
定刻にマニラ国際空港に到着しました・・・
下記のいずれかのクリックにて
応援のほどを宜しくお願い致します・・・
こんにちはHamreyです
当時のマニラ国際空港は10年前に出来た
T-1ダケの運行であったが到着時には
税関以外ではトラブルは少なかった・・・
(出国時には沢山ある…)
我々は到着ゲートからイミグレーションまで来たが
嫁はフィリピン人用のブースへ行く事になるので
ワイと娘M子は外国人用ブースへ行こうとする・・・
(M子は日本人パスポートだけを使用…)
だが嫁は「家族ダカラ~」との理由で
一緒にフィリピン人用ブースに並ぶと言う・・・
成田空港の出国時でもワイが代表して
3人分のパスポートとボーディングパスを提出し
押印してもらったので同様と思われた・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
”凱旋帰国者”とのアピールをしたい嫁は
パスポートの中に千円札を忍ばせていた・・・
そしてワイとM子のパスポートには
”Balik-bayan”のスタンプが押されていた・・・
フィリピン人の外国籍配偶者や子供に与えられる
”Balik-bayan Visa”は1年間有効であるが
入国時には”無料”で貰えるモノである・・・
それをワザワザ千円札を忍ばせていた事で
妙な”優位性”を持った事に違ないだろう・・・
また入管職員もその辺りは熟知しているので
”眉”を動かす事なく普通に作業している・・・
入管職員にとっては通常の業務中に”余禄”が入るので
一万円単位で交代しているのではと勘ぐってしまう・・・
そう云えば過去にマクタン空港でマニラ経由で到着した
”凱旋帰国者”から貰ったであろう千円札10枚を
1万円札に交換して欲しがっていた職員が居た・・・
勿論なんちゃってガイド経由で来た話だったが
千円札と1万円札とでは”両替レート”が違う為なのだが
どうせもらったモノなのに少しでも高くしたいP民魂・・・
その通りに交換したらワイの方が損をするのでと
千円札11枚要求したら「貴方 ケチ!」と云うので
”Matalino ako”(頭良イ ダカラ~)と返しておいた・・・
(当然笑っていたが…)
イミグレーションを通過したら預け荷物の引き取りだが
カートを使おうとしたら1台1.5米ドル(約180円)・・・
ネットで拾った写真
(開港10年でボロボロの品…)
我々の荷物はキャスター付きバッグ3個と
2個の段ボールで約100kgなので
1台ダケ借りるが米ドルが無いと50P(約250円)・・・
何故かペソ払いの方が割高になっていたが
ペソと米ドルのレートは判らないので
前回の残金があるので支払った・・・
(再度の渡比の為にはいくらかのペソは残しておく…)
そして荷物も出て来たので税関(カスタム)へ行くと
かなりの体格をした係官がカッターナイフをチラつかせ
”Open na!”(開けなさい)と叫んでいる・・・
(その目線は別の方を視ていたが如何いう意味だろう!?)
ワイ等の前の者達ではそのカッターナイフで
段ボールを切り裂かれ後始末が大変だったので
予めガムテープを剥がす準備をしていた・・・
だがしかし2
ネットで拾ったイラスト
ここでも嫁はパスポートに千円札を挟んで提出し
係官は確認したら無口になり書類にスタンプを押して
無罪放免となった・・・
入管ではこちらから(嫁だが)の”気持ち”となろうが
税関ではある意味”脅し”とも思われるが
この様な事もこの国では普通の出来事であった・・・
税関をでたら1万円ダケ両替をして
ホテルまでのタクシー代を確保しておく・・・
(1万円で1960Pほどで1P≒5.1円)
そして建屋を出ると
フィリピン名物となっている出迎え者達が居る・・・
ネットで拾った写真
殆どは海外で働く親族の”凱旋帰国”を待っている・・・
ワイ等はその中には当て嵌まらないだろうが
その出迎え者の中にはTatayが居る・・・
前年に嫁とM子の日本行きビザ取得までの2ヶ月半を
Tatay宅で居候生活をしていたので
その後の”挨拶”という事で訪れる・・・
だがしかし3
ネットで拾ったイラスト
今回はホテルに宿泊する事とします
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自分のタイミングで寝たかったダカラ~・・・