1990年に嫁と娘の来日に際しての
ビザ申請準備中に日本へ”一時帰国”したが
六日後には再びフィリピンへ入国しました・・・
マニラ市役所の食堂で”公証人”助手の”身の上話”も
庶民層にとっては”贅沢な悩み”に思えるが
それでも共感したり嫁なりのアドバイスをしていた
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おはようございますHamreyです
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
右の娘がテーブルに”房”を乗せているのは
”元貴族層”の方のお好みでしょうか・・・
Asからは時間になったら我々は事務所へ行き
”公証人”直々に話があるとの事だった・・・
前夜には前祝いで”カンパイ”をしたが
今頃その”酔い”が回ってきたのか
嫁の顔色は悪くなってきた・・・
(口数が少なくなったのは良いが)
と云ってもこの国名物の”Tago”(逃げる)はせずに
ネットで拾ったイラスト
4時になって”公証人”と話をする事になった・・・
”公証人事務所”では嫁と”公証人”が
終始タガログ語で会話していた為に
ワイには伝わってこなかった・・・
後の嫁からの説明では多少の問題で
セブ島ナガ市役所へ行かねばならないとの事だが
その辺りの”理由”が不明瞭であった・・・
ただ、嫁からの”金銭要求”で
ナガ市役所と”公証人”との間に
何らかの”諍い”が有ったと勝手に推測した・・・
ネットで拾ったイラスト
”公証人”からワイへは説明は無かった・・・
全ては嫁の記憶頼りであったが
昨日のホワイトデーの”スイーツ”も効果なし
それが解決されれば問題なく娘M子の
”出生証明”は発行出来るとの事なので
再び嫁をセブ島へ行かせる事となる・・・
だがしかし
ネットで拾ったイラスト
この日はパスポートもトラベラーチェックも
持ってきていなかったので(忘れた)
セブ行きのチケットは買えません・・・
後日PALチケットオフィスで買おうと思いますが
居候先Sta Mesa周辺にもあろうが
完璧なオンライン化をされていないフィリピン・・・
不安を解消する為にも
ネットで拾った写真
やはりメインのロハス大通り沿いにある
PALチケットオフィスへ行きます
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It will be erect encouragement. ⤴
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当時のPALは成田空港でもオーバーブッキングや
ダブルシートと言った事は日常茶飯事であった・・・