1990年にP嫁を呼び寄せる為に

日本行きビザの発給を求めて

マニラ手続きを始めるのでした・・・

 

 

だがその前に・・・

 

 

下記のどちらかをクリックすると

ワイに良い事が起こる鴨!?

 

       

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おはようございますHamreyです

 

 

 

嫁妹Uの案内で山羊の放牧地

長屋の軒下を通りながら

が通う学校へ向かう・・・

 

 

やがて空き地の様な校庭に入り

ペンキの剥げ落ちている校舎の一角で

Uが中の女性教師に声を掛けている・・・

 

 

女性教師許可が出てきた・・・

 

 

明らかにフィリピン子供達とは違う顔・・・

 

 

この頃の日本はバブル真っ盛り!

 

多くのP~ナ夜の世界で働く為に

日本を訪れていた時代だ

 

 

帰国した彼女達には身ごもっていたのも多い

 

そして出産した子供達

ジャッピーナジャッピーノと呼ばれていた・・・

 

 

Hai, may I ask your name ?

名前を聞いても良い

 

 

フィリピンでは小1から英語の勉強はすると云うが

つい最近入学したばかりの6歳児には

チョットであっただろうか・・・

 

U通訳としてに言ってくれると

 

「M子・・・」

 

が生まれた時に付けた日本名

そのまま名乗っていた・・・

 

ジャッピーナ差別虐められていないか

心配していたが取り越し苦労であった・・・

 

 

Nasaan ka ba Mama mo ?

ママは何処に居る

 

今度はタガログ語の事を聞いたが

やはり理解できない様でU通訳する

 

Trabaho sa Cebu !

セブで仕事している

 

Kailan babalik sa dito si Mama mo ?

いつ帰ってくる

 

これにはUが答えてきた・・・

 

Sabado sa gabi !

土曜日の夜!との事だ・・・

 

Uとの連絡方法も知っているらしく

その後はUと話す事とする・・・

 

には「M子」ひらがなで書かれた

キ-ホルダー日本土産として渡す・・・

 

しかしこの時に気付いたのは

殆どの生徒がワイ等の会話を見聞きしていた

 

だが理解出来たのは居ただろうか

 

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女性教師も居たなぁ~