ブロゴスの「生きづらさ」連載の26回目です。

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「30代に入ってから、部屋の電気コードで首を吊ろうとして失敗しました。4年前からは、(自傷行為として)顔を(カッター等で)切っています。ただ、跡が残らないように気をつけていますけど」

こう話すのは北海道内に住む万里子(40)だ。待ち合わせ場所ではなく、自宅近くのコンビニで座りながら話した。精神的に不安定になったため、約束の場所に来られなくなったという。

自殺未遂をするようになったのは大人になってからだが、ベースとなる経験は子ども時代にあった。家庭環境の複雑さと学校でのいじめについての嫌な記憶が元凶にあるが、鬱が発症した直接のきっかけは祖母の死だった。

小学2年生のとき、「お前が頑張ると、俺たちの価値が下がる」と言われ、やる気をなくす

母親は熱心な新興宗教の信者だ。もともとは東北地方に住んでいたが、当時の結婚相手からDVの被害にあい。離婚。北海道に移り住んだ。母方の祖母は、その宗教の幹部で、朝5時から仕事に出かけることがあった。母親は、食べていくためにホステスをしていたが、その時に知り合ったのが万里子の父親だ。父親が30代前半、母親が30代後半のときの子どもだった。

父親は目があっただけで人を殴る性分で、暴れていた記憶が強く残っているという。父親は、子どもの頃に結核に患った。その影響なのか、左耳が聞こえなかったい。万里子が18歳のとき、父親は癌で亡くなった。

「(宗教のため)病院に行ったことも、薬を飲んだことも、ワクチン注射もしたことがない。風邪をひいても、お腹が痛くても、薬が飲めないんです。母親も闇を抱えていると思います。父親を戦争で亡くしたり、夫を亡くした悲しみとか、彼女しか知らない悲しみがあるとは思います。母親は宗教に救われたというところがある。悪い親だとは思わないです」

そんな万里子は小学校に入るといじめに遭う。

「自信も何もないんです。太っていることも、勉強もスポーツができないことも、宗教も全部コンプレックスでした。小学校2年生のとき、テストで満点を取ったんです。するとクラス全員が『カンニングだ!』と騒いだんです。全員ですよ。それで再テストを受けました。それでも100点でした。でも、それ以来、やる気をなくしました。『お前が頑張ると、俺たちの価値が下がる。お前はダメでいてくれ』と言われたからです」

「鉛筆で太ももを刺された」ただ歩いているだけで傷つけられることも

いじめられっ子であることの評判は広がっていたのか、歩いていただけで中学生に囲まれたことがあったという。

「鉛筆で太ももを刺されたり、女子にも体を傷つけられたりした。しかし、この当時は、自殺を考えたりはしなかった。小3のとき、歩いていただけで『お前が万里子か!』とか、『問題児』と言われ、唾をかけられたこともあった。なんでいじめのターゲットになっているのかわかりませんでしたし。意味がわからないし。どうして、いじめられる体質なのか。『死にたい』とか、リストカットとか、ネットがない時代でもあったので、わからなかったです」

中学生時代、1年生のときにはいじめられなかったが、2、3年生ではいじめを受けた。

「みんなにクスクス、クラスメイトから笑われたり、食べ物に異物を混入されたこともありました。『アイツがキレたら、お金をあげる』という賭けのゲームがあったようでした」

SOSを出すも教師はいじめを放置。「お前が責任を取れ」

そんなとき、万里子が信頼していた中1のときの担任に相談をした。すると、担任はこう言ったという。

“お前が悪い。お前が責任を取れ”

万里子はいじめを訴えたのに、教師は、訴えた万里子が悪いことにした。せっかくSOSを発したにもかかわらず、教師は、そのメッセージに対して無理解だった。

「先生だって、いじめやすい子をいじめるんですよね。なんか、スケープゴートにされるんですよね。大人の事情もあるとは思うんですけど、そこまで子どもを傷つけてまで、先生をしたいですか?と言いたいですね。そんなことがあったので、同級会には一度も出ていません」

こんなことがあったために、万里子は毎週月曜日、学校を休んだ。登校する気力が薄れていた。いじめられた理由は不明だが、「太っていたから?」と今でも思っている。

「学生時代に太っていた子は自尊心が低いと思う。私の場合は、母が意図的に太らせていたところがあったんです。未熟児として生まれたので、『太っていたほうが健康的だ』という母親の勝手な思い込みがあったんです」

 

勉強ができなかった万里子は、中学を卒業すると、高校には行かず、服飾の学校へ進んだ。しかし、そこでも、いじめられる存在であることには変わりはなかった。

「中学時代にいじめられていた情報が入ったんだと思います。ただ、このときも、『死にたい』とは思わなかったんです。慣れちゃったんでしょうね。またか、って感じでした」

そんな万里子が鬱になりだしたのは20歳の頃だった。祖母が亡くなったのだ。宗教の施設で葬儀をあげることになったが、そのときに倒れたという。

「自家中毒になり、パニック障害にもなったんです」

自家中毒は、周期性嘔吐症とも言う。普段は元気だが、複数や吐き気、頭痛などを繰り返す症状で、体内のエネルギー活動がバランスを崩すのが原因だ。医学的には子どもに多く、思春期になると治ると言われている。しかし、万里子のように、稀に思春期を過ぎても「自家中毒になった」という話も聞く。

パニック障害は不安障害の一つ。激しい不安と息切れ、めまい、発汗、吐き気、手足の震えなどに襲われる。一生の間に100人に1人〜2人が経験するとも言われている。

祖母は、宗教団体の幹部であり、その宗教に縛られて、万里子は生きてきた。と同時に、その宗教のために周囲と違ったように見られてきたのが一因でいじめを受けた。その元凶である祖母が亡くなったのは、指針を失ったようなものだ。心因性のストレスが生じたのかもしれない。

「パニック発作になって倒れてからは半年引きこもったんです。隣の家に回覧板を届けようとしてぶっ倒れたこともあります。トイレにも行けなかったんです」

中学卒業で学歴もなく、精神的にきつくなってきていた万里子だが、20代の頃は、ホステスとして働いた。しかし、女性同士の人間関係で悩むこともあった。別の仕事では、うまく仕事をしていた面もあったが、同僚に裏切られ、クビを切られることもあった。そんなことが遠因にあったためか、自傷行為を繰り返す。

「私は、黒い犬(うつ病)と生きようと思っています」

「ここ最近の話としては、睡眠薬を飲んでお風呂で手首を切ったんです。あとは、手首を切って、薬を飲みました。そのときは、TwitterのフォロワーさんからDMがあり、『救急車を呼びますか?』と言われました。救急車を呼ぶと、夜間診療でお金が高いので、『嫌です』といったんですが、警察がきちゃいました。『世間体があるから早く入ってください』と言いましたが、そのときは手首がぐちゃぐちゃでしたね」

自殺をしようとしたのは去年が初めてだった。しかし、一昨年の11月に病院で、うつ病と診された。世界保健機関(WHO)がうつ病を「黒い犬」と例えていることに触れて、こう話す。

「常に死にたいとは思っています。でも、外で死ぬと他人に迷惑をかけます。・だから家がいいかな?と思っています。去年の春、家の電気コードで首を吊ろうと思ったんです。でも、コードが壊れて、死ねませんでした。それが反省です。今でも川に飛び込んでしまいたいとは思っているんですが、私は、黒い犬と生きようと思っています。ただ、うつ病だと死にたくなるから、そのうち、亡くなってしまうかもしれないですが」

現在の仕事はチラシ配布だ。

「今の仕事は向いています。薄給だけど、一人でしています。上司には仕事ぶりに褒められたりするんですが、褒められるとしっくりこないんです。ずっと『ダメ人間』扱いされましたので、『あなたはダメ人間です、死んでください』と言われた方がしっくりきます」

最後は「苦しめた人に対し、復讐したい」

万里子はまだ、「いつまでも生きているのは辛い。やりたいことだけをやってから死んでしまいたい」という気持ちが今でも強い。

「小学校5年生のころからずっとバンドをしたいと思っているんです。だからギターの練習をしています。それから死のうかと。当時は『お前みたいなデブができるはずがない』と言われていたんです。太っていることは罪ですか?ずっと容姿と体型でいじめられてきました。だから、死んだとしても、みんな書かないし、忘れられていくだけ。ただ、私を苦しめた人には復讐をしたいと思っていいます。だから手紙を残す。『あの世で待っている』って」

そんな万里子は、母親に自殺衝動を抑えられてしまう。

「たまに(自殺行動を)しようとすると、母親に止められるんです。なるべく死なないようには気をつけようと思うんです。しかし、死にたい気持ちは変わらないんです。北欧では安楽死を認めていますよね。 日本では、とにかく生きろ、って、辛くても、発狂しても生きろ、って言うんですかね」

ちなみに、スイスの安楽死は、精神疾患がある場合は認められていない。

このほかにも万里子は取材で、「40歳の誕生日までには死にたい」とか、「新しい天皇の即位を見てから死のうかな」とも話していた。事件や事故で亡くなる人がいると、「代わりに死にたかった」と考えるなど、精神的には安定してない。誘われていた風俗の仕事をしたら、客から性暴力の被害にあい、警察に保護されたり、自殺未遂を何度か繰り返している。

「毎日、死にたいですわ。おはようから、おやすみまで。でも、一人暮らしをして、母親に仕送りをできるようになりたかったな。本当は、母親を楽にさせたい」