オウム真理教の幹部で死刑囚13人のうち7人の死刑が7月6日、執行されました。対象となったのは、教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)、早川紀代秀死刑囚(68)、井上嘉浩死刑囚(48)、新実智光死刑囚(54)、土谷正実死刑囚(53)、中川智正死刑囚(55)、遠藤誠一死刑囚(58)。

 

松本死刑囚、家族らと意思疎通なく=拘置所で異様な行動も-オウム事件
 松本智津夫死刑囚(63)は、一審の途中から弁護人との接見を拒否し、家族が面会した際にも会話が一切..........≪続きを読む≫

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 上川陽子法務大臣は会見でそのことを認めた。

 

 私としては「一つの時代の終わり」ということを思ったが、やはり、死刑執行によって事件が終結してしまうことの違和感がある。やはり、松本智津夫死刑囚がきちんと語らなかったことが大きい。裁判では一審で死刑が確定してしまったことも大きい(弁護団の戦略ミスではあったが)。でも、なんだか、ちょっとそわそわします。

「鏡を磨ききる心構えで」上川法相、オウム死刑執行で会見

 

死刑執行命令書に署名したのは7月3日だったと明かした上川大臣。ただ、いつ頃から執行の検討が行われたのか、なぜこの7名で、なぜこの時期だったのか、そして再審請求中の死刑囚がいたかとの質問には「個々の死刑執行の判断に関わることなので、お答えについては差し控える」とし、死刑囚たちの執行時の様子、松本死刑囚の精神状態、遺体の引き渡しなどについて同様の回答を繰り返した。

 

個々の死刑執行の判断、対応について、より情報公開をすべきではないかという趣旨の質問が出ると、上川大臣は「死刑の判断に関わることについて大臣である私から発言をすること自体、執行を待つお立場にある死刑囚の心情を害する可能性があると考えている。個々の死刑執行の判断についてはお答えを差し控えることが必要な条件ではないか」と説明した。

https://www.huffingtonpost.jp/abematimes/death-penalty-sign_a_23475976/

 この死刑に関して、広報部長だった上祐史浩氏(現在、「ひかりの輪」の代表」)が、記者会見をし、また、ホームページで見解を示した(麻原死刑囚の死刑執行について)。

 本日、麻原死刑囚をはじめとするオウム事件の確定死刑囚の死刑が執行されました。

 本日は、くしくも、当団体が被害者団体との間で被害者賠償契約を締結した日(2009年7月6日)から、ちょうど9年目の節目の日でもあります。

 この日に執行されたことの重みもかみしめ、当団体はよりいっそう被害者の皆さまへの被害者賠償に努めるとともに、 アレフの拡大抑止などの事件再発防止に努めていきたいと思います。

 私とオウム真理教との出会いは大学の頃だったが、そのころから記者として取材をするようになったことに関して、ツイッターでその一部をつぶやいた。

オウム真理教との出会いは大学時代だった。麻原彰晃研究会があったっけ。友人がオウムに入っており、イベントに誘われたけど行かなかった。サリン事件後後、彼は逮捕された。オウムシスターズの1人と駐車場にいたところ、不法侵入で逮捕された。それでわかった彼は‘建設省幹部’になっていた。

 

松本サリン事件のとき、私は隣接する塩尻市に住んでいた。記者になっていたが、直接取材することはなかった。いろんな噂が飛び交っていた。その中にオウム犯行説もあった。松本市内に行くとオウム反対の立て看板があった。しかし事件後、県警がマークしたのは第一通報者。メディアもそれに追随した。

 

そうした報道に違和感がありながら、記者としては何もできないでした。サリン事件の報道に違和感を唱える集会に行ったりした。松本サリン事件では、警察からリーク報道が多かったが、ほとんどが裏が取れず、特落ちを覚悟して、リーク情報を報道しない社もあった。私がいた社は報道していた。

 

オウムの信者を取材したことはあるが、とてもサリン事件を起こすようには感じれなかった。オウム真理教各地に道場があったが、事件後、今の木曽町に医療班の道場ができる。日本共産党の町長が誕生したとき、町がオウムを追い出す訴訟を提起した。人権を守る党がなぜ?と思いながら取材していた。

 

その後、ほかの自治体でもオウム信者は町から出て行けという訴訟が起きる。そこでも日本共産党が関係していた。フリーになった頃、オウムの施設内の取材もした。独特のにおいがした。森達也さんの映画「A」を見たとき、あの施設も映っており、においを思い出して、映画館のトイレで吐いた記憶がある。

 

長野県警では第一通報者に対して「年越しそばを食わせるな」と、年内の事件解決を目指していた。しかし、95年元旦号で読売新聞がオウム犯行説を裏付けるスクープを報道した。地下鉄サリン事件が起きて、ようやく松本サリン事件での第一通報者への県警マークが解かれた。メディアは一斉に謝罪したっけ。

 

 何度かオウム関連の取材はしていたが、10年前に書いた記事がこんな内容だった。オウム真理教の後継団体アーレフから分派した「ひかりの輪」についてだ。代表は上祐氏だ。

 アーレフ(元オウム真理教)から脱退したグループが設立した新教団「ひかりの輪」(上祐史浩代表)は27日、「松本サリン事件から13年目を迎えて」(http://www.joyus.jp/hikarinowa/pressreport/00/004113.html)と題する文書を公式サイト等で発表した。それによると、「松本智津夫死刑囚の指示のもとで、当時の教団幹部が引き起こしたこの事件については、犯行自体には関与していない私たちにも道義的・宗教的な責任があり、この点につき被害者・ご遺族の方々に、あらためて深くお詫び申し上げます」と、道義的・宗教的責任を認め、謝罪を示した。

 

 記者はこれに先立って、東京都世田谷区南烏山の教団総本部道場に、副代表で広報部長の広末晃敏氏を訪ねている。広末氏によると、教団のメンバーは163人(「在家信者」も含む、5月24日現在)。教団は出家信者を「専従」、在家信者を「非専従」と位置づけている。

 

 アーレフとの違いについて広末氏は、「個人崇拝からの脱却、つまり、善悪二元論からの脱却を目指しています。それは麻原氏(松本死刑囚)をどう位置づけるかということですが、相対化するのです。グルイズム(麻原氏への絶対的帰依)の否定です。麻原氏の考え方は『神聖なものは特定の人しかいない』というものでした。しかし、神聖なものは特定の人にあるものではないというのが本来の仏教の考えです」と話し、麻原氏(もしくは麻原氏の考え方)を絶対視することを放棄するとしている。

 

 5月9日、ひかりの輪は記者会見。新教団の設立を発表している。これまでM派(上祐派)とA派(反上祐派)、中間派といった教団内部での派閥の争いがあった。広末氏によれば、対立は「事件をどう見るか」だったという。

 

 「M派は、『事件を反省し、総括をしよう』と考えていました。一方、A派は、『総括してはいけない。グルの事件はグルしか総括できない』と主張していました。中間派はA派寄りではありますが、『社会との関係も考えなければならない』としていました」

 

 こうした三派の意見対立が徐々に決定的になっていったという。

 

 「教団はグルだけが作ったのではない。私たち一人ひとりが作ったものだ。直接的に事件の実行行為をした人は少ないですが、そうした雰囲気に教団をしたのは私たち。(麻原氏への)個人崇拝をあおった面も私たちの中にある。自分もオウム真理教の広報としてあおっていた。責任があると思う。もし、自分たちが実行行為を指示されたとしたらどうしたのか。自分も実行行為をしてしまったらどうなのか。みんな同じ責任があるのではないか」

 

 広末氏はこう考えていた。しかし、そうだとすれば、アーレフを抜ける、という選択もあったはずだし、新教団の設立に関与しないということも考えられたはずだ。

 

 「普通の生き方、つまり、煩悩や欲望、物欲主義へのむなしさや矛盾を考えています。根本的な傾向として、宗教的なものを求めています。しかし、私たちは宗教的な失敗をしてしまいました。より進化したかたちとして求めたいのがあります。精神的な高見にも到達したいのです。もともと警察官や自衛隊になりたいと思っていたんです。世の中の平和を守ることをしたかったんです。世の中の役に立ちたい。苦しんでいる人を助けたい。そう思っています」

 

 広末氏の考え方には、宗教的なものへの傾斜がある。そのため、何らかの宗教的な生活とは切り離せないものなのだろう。だとすれば、なぜ、アーレフやアーレフから分派(独立)したひかりの輪にこだわるのだろうか。

 

 「役に立ちたいと思っていたのに、教団(オウム心理教やアーレフ)が人々を苦しめていた状況があります。なんでこうなってしまったのだろうかと考えたんです。でも、教団を抜けるだけでは無責任。けじめをつけたい。失敗を繰り返したくない。だから、自分たちが変わることを促して、それを見せることが重要なんじゃないか、と思ったんです」

 

 たしかに、法的な責任はないとしても、それは宗教家としては、道義的・宗教的責任は間逃れない。それは教団を抜けようが、抜けまいが変わることはないだろう。ただ、地域住民からすれば、「かつてのオウム真理教」の施設であり、集団で過ごしているといった不安が湧いても仕方がない。実際、地域住民によるデモも起きている。

 

 「個々バラバラに生活しないの?という質問もあるでしょう。ひとつは、サリン事件の被害者への賠償問題があります。バラバラに生活していては、賠償金を払えるものではない。個人で賠償をしている人もいるが、団体として賠償をしたほうが効率がよいのです」

 

 こうした賠償問題はたしかに被害者にとっても重要な問題であるが、これだけなら新教団である必要はないのではないかと記者には思える。

 

 「それに実際問題として、信者の生活は厳しいのです。貯金もないし、活動資金もない。病人や老人、家族と縁を切られた人など、バラバラになると、生活できない人もいます。新教団は信者同士の相互扶助の面もあるのです。ただ、地域の人にも迷惑をかけているので、ほかの施設を探していることは事実ですが・・・・」

 

 信者のひとたちはほとんどがフリーターだという。経済的には安定しない生活を送らざるを得ない。なかにはタクシーの運転手やヘルパーなどをしている人もいる、という。だとすれば、宗教的な意味で反省や総括、実践のほかにも、フリーターたちのルーシェア的な面も実際には強いのだろう。

 

 取材を終え、教団本部施設を出ると、警察官に呼び止められた。施設の前に「南烏山警察詰所」がある。24時間、警察官が詰めている。そのほか、私服警官が数名いた。

 

 警官に名刺を要求され手渡し、記者も名刺を要求したが、「ないんですよ」と断られた。「最近はどうですか?」と記者が聞くと、警官は「静かなものですよ。何もありません」とだけ答えた。