2011年3月11日の東日本大震災で、多くの犠牲者を出した岩手県釜石市鵜住居の防災センター。

 隣接していた市立鵜住居幼稚園の職員が亡くなった。その遺族が起こしていた訴訟で、仙台高裁は和解を提案。7月3日に成立した。市の責任は、調査報告書でも指摘されていた。和解によって、市は行政責任を認めた。

釜石津波訴訟 和解成立

07月03日 16時41分

東日本大震災の津波で岩手県釜石市の防災センターに避難して犠牲になったことをめぐり、遺族が市を訴えた裁判は、市が行政責任を認め、遺族に和解金を支払うことなどを条件に、3日、和解が成立しました。

この裁判は、東日本大震災で、釜石市の鵜住居地区にあった市の防災センターに避難し、津波で亡くなった2人の遺族が、「防災センターが津波の避難場所ではないことを周知する義務を怠った」などとして賠償を求めたものです。

1審で裁判所は訴えを退け、女性1人の遺族が控訴し、2審では裁判所が示した和解案をもとに協議が行われてきました。

その結果、双方が和解案を受け入れる方針を示し、3日、仙台高等裁判所で行われた協議で、和解が成立しました。

原告側によりますと、市は、防災センターに避難して大勢の住民が犠牲になったことについて行政責任を認めること、遺族に和解金として48万9500円を支払うことなどが決まったということです。

和解成立後、原告で、当時31歳の妊娠中だった娘を亡くした寺澤泰樹さんは、「市には防災体制の強化を確実に、そして速やかに行動に移してほしい。そのことが2度と同じ悲劇を繰り返さないまちづくりにつながると思う」と話していました。

一方、釜石市の野田武則市長は、「犠牲になった方々の思いを胸に刻み、安全・安心なまちづくりを強化していきます」とするコメントを発表しました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/morioka/20180703/6040001262.html

 

 私はこの職員の夫を取材していました。夫は一審の敗訴の後、控訴しませんでした。様々なな事情があるためです。このときの心情がわかる記事を今年の3月に書いています。

 

復興ムードの中で「自分だけは忘れないように……」 身重の妻を亡くした美容店主の思い http://bunshun.jp/articles/-/6529

 

 岩手県釜石市。中心市街地には震災後にショッピングセンター「イオンタウン」ができ、市民ホールTETTOもオープンした。その近くに、片桐浩一さん(48)が経営する美容室がある。毎週月曜日のほか、従業員とお客さんに家族と過ごす時間を作って欲しいと第1、第3日曜日も店は休みだ。また、毎年、震災の日である「3月11日」もお店は閉じる。 

「せめて自分だけは忘れないように……」 

 片桐さんはあの日、妻の理香子さん(当時31)と、4月に出産予定だった陽彩芽(ひいめ)ちゃんを津波で失った。亡くなった場所は、鵜住居(うのすまい)地区の防災センターだ。3月11日午後2時46分に発生した地震の直後、地域住民を中心に200人以上が集まっていたとも言われている。津波災害の避難場所と勘違いした、とされている。隣接する市立鵜住居幼稚園でも、園長と教諭ら4人がセンターに避難した。教諭1人だけ助かったが、亡くなった教諭の中に理香子さんがいた。 

 

 

 

 

 ↑ この本は2017年3月に出した本です。訴訟自体には多くは触れていません。しかし、当時、片桐浩一さんが経験したこと、感じた思いを中心に、防災センターの悲劇について書いています。

 

 

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