野球部員の自殺で人権侵害認め、警告と要望 愛知県弁護士会

 2011年6月10日、愛知県立刈谷工業高校2年の山田恭平さん(享年16)が、安城市内の廃車置き場で亡くなっているのが見つかった。自殺したと見られている。自殺の背景には、所属していた野球部の副部長が体罰を繰り返していたことがある。

 恭平さん自体は体罰を直接受けてはいないが、この問題で、愛知県弁護士会(木下芳宣会長)は、体罰を見せられたことによって「心身に深刻な影響を与えた」として人権侵害を認定。暴力行為をしたとして副部長(当時)に「警告」をおこなった。また、同校には再発防止などを求める「要望書」を提出した。

学校と県教委への不信感、県知事のもとで再調査

 弁護士会の人権擁護委員会は、人権侵害の被害者らから人権救済申立て(*1)を受けて調査する。その上で人権侵害またはそのおそれがある場合は、人権侵犯者や監督機関に対して、「1)警告、2)勧告、3)要望、4)意見の表明、5)助言・協力」を行う。また。冤罪事件に関しては、再審請求支援も行っている。

 *1 人権救済申立て手続き

https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/human_rights/moushitate.html

 恭平さんが亡くなったことに対して、当初、学校は遺族が知らない間に報告書を作っていた。内容について遺族に確認もせず、「家族が原因」とする虚偽のものであった。そのことで遺族は学校に対する不信感を抱き、県教委に調査委員会の設置を求めた。ただし、委員の職業は明かされたが、名前は非公開。質問に対する回答以外の発言を禁止されたことから、この調査委を拒否した。

 12年4月、県知事のもとで調査委員会(*2)が設置された。調査委の報告書によると、「1)健康上の問題、2)野球部の雰囲気、3)学業成績に関する親からの期待やプレッシャー」の3点を恭平くんが葛藤をもたらした要因としてあげている。


*2 県立刈谷工業高校生の自殺事案に関する報告書について。この調査委員会は「子供が自殺が起きたときの背景調査の指針(改訂版)」(*3)に基づいて設置された。
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/seisaku/0000068944.html
*3 子供が自殺が起きたときの背景調査の指針(改訂版)
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/09/10/1351863_02.pdf


日本スポーツ振興センターに死亡見舞金を申請。高校の自殺では異例の決定

 報告書が納得できる内容ではなかったことから、両親は新たな判断を求め、独立行政法人日本スポーツ振興センターに死亡見舞金を申請した(*4)。当初は「高校生の自殺」は一律に「故意による死亡」とされていたために認められなかった。しかし、調査委では採用されなかった、遺族が部員達から聞き取った内容を添えて不服審査請求をすると、「学校の管理下において発生した事件に起因する死亡」と認めた(*5)。高校生の自殺では異例の決定だった。

*4 独立行政法人日本スポーツ振興センターには災害共済給付制度がある。
https://www.jpnsport.go.jp/anzen/saigai/seido/tabid/85/Default.aspx
*5 これまで高校生の自殺は「故意の死亡」とされ、死亡見舞金の対象ではなかった。恭平さんの自殺で認められたのは異例だった。しかし、恭平さんの自殺の半年後、いじめや体罰、不適切な指導、ハラスメントなど学校生活起因する死で、高校生も対象となるように法施行令が改正された。
独立行政法人日本スポーツ振興センター法施行令の改正について(通知)
https://www.jpnsport.go.jp/anzen/Portals/0/anzen/kyosai/pdf/koukou_kaisei_H28.pdf


「あらゆる機関にこの問題を判断してほしい」と人権救済申し立て

 さらに、愛知県弁護士会に対して人権救済申立てをしていた。母親の優美子さんは申立てをした理由をこう語る。
 「(知事設置の)調査委員会がきちんと調査してくれると思っていましたが、100%そうではなかったんです。学校の生活が理由と認めて欲しかったので、スポーツ振興センターに(死亡見舞金を)申請しました。結果、『学校生活に起因する死亡』と認められました。私は調査委の時だけでも心身ともに限界だったのでその後に裁判は考えられませんでしたが、あらゆる機関にこの問題を判断してほしかったんです」

 両親が提出した資料と、説明、副部長からの回答によって、愛知県弁護士会は以下の事実を認定した。( )内は弁護士会が認定していない部分について、遺族からの補足として掲載した。

 恭平さんは10年4月、愛知県立刈谷工業高校に入学し、野球部に入部した。1、2年生に対しては、副部長が指導をしていた。恭平さんは副部長から「グランドから出て行け」「ユニフォームを脱げ」と言われたことがあった。

 (遺族に対して当時の部員は、「ユニフォームを脱げ、消えろ」と言ったと証言していたが、副部長は「消えろ」と本人に言ったことは認めていない)

 11年4月ごろ、総監督に「野球部を辞めたい」という気持ちを伝え、相談したが、慰留された。5月、練習試合でエラーをした恭平さんは、副部長から個別に呼ばれ、もっと練習をするように指導を受けた。

 (遺族によれば、相談というニュアンスではなく、総監督は理由も聞かずに「逃げているだけ」と言ったという)

 中間試験中、クラブハウスの横で野球部員5人が、許されていないトランプをしていたところを体育教諭に見つかり、副部長に連絡した。5月21日、練習試合の合間に2年生の野球部員を集めたミーティングを行った。

 そのとき、クラブハウスの横でトランプをしていた5人のうち3人に対して、平手打ちを一度ずつ、1人に対しては太ももに蹴りを一度行った。恭平さんは、副部長が部員に対して暴力行為をするところを目の当たりにした。帰宅後、母親に「すげー嫌なものを見た。すごいかわいそうだった」と話した。副部長は、部員3人に平手打ちをした後、別の機会に、残りの2人に対しても平手打ちをした。

 5月下旬、恭平さんは部活に行かなくなった。放課後、教室の隅で一人で体育座りをしてぼーっとしていることがあった。5月26日には、学校を欠席し、携帯サイトで「うつ病診断」を3回行っていることがわかっている。

 6月5日、恭平さんは練習試合に欠席し、ホームセンターで練炭を購入した。副部長が、恭平さんが欠席したことに気がつき、6日の球技大会中に探したが見つからず、部員に恭平さんを呼んでくるように言った。

 (遺族によれば、6月中旬、副部長が山田宅を訪問したときに、球技大会の日、校舎内の廊下で恭平さんを見かけたが、気がつかれて逃げられたので、他の部員を通して呼び出したと証言していた、という)

 恭平さんは友人へのメールで「とりあえず、ビンタ、タイキック、グーパンチ覚悟。そして、第一声はどういうつもりだ?!..予想」と送った。友人は「ビンタ×5」と返信すると、「えー...、まあ覚悟はしておきます。顔面腫れ上がってても気になさらないでください。(笑)」とメールを返した。結局、副部長への呼び出しには応じなかった。

 恭平さんは6月8、9日、学校を欠席。9日の午後4時ごろ(推定)、練炭による一酸化炭素中毒で死亡した。翌10日に発見された。


 恭平さんの死後、副部長は両親に対して「恭平は、見るからにまじめだから殴らなかった」「殴っていいやつとダメなやつがいる」などと言っている。

 

 続き

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