きょう(6月8日)で秋葉原事件から10年。事件当時、私は「ネット心中」でなくなろうとした男性の妻を取材していた。取材時、まだ男性は亡くなってない。その後、男性は一人で亡くなったことが確認されている。取材中に、週刊誌記者から「渋井さん。秋葉原にいないですか?」と電話があった。無差別事件があったというが、私は取材中だったので、終わってから向かった。


 
 現場へ行くとすでに使用された車は撤去されていた。
 

 
 これは当時の現場写真。実行した加藤智大死刑囚が非正規雇用だったことから、正社員になれない若者たちが増えいることがクローズアップされた。そして、「加藤は、自分だったのではないか」と思う若者がおり、当時の最大のSNSだったmixiに秋葉原事件を考えるコミュニティができ、オフ会が開かれていた。また、裁判を傍聴し続ける人もいたりした。
 

 
 
 この写真は事件から一週間後。現場となった交差点付近には献花台が置かれた。この事件からしばらくは歩行者天国は中となっていた。
 
 加藤死刑囚はネットで反抗予告をしていた。
 

<携帯電話でしかアクセスできない掲示板への書き込み?>


 【7日】午前6時51分 肝心なものを忘れるとこだた
 8時3分 お金をつくりに行く
 7分 最低6万円は欲しいな
 9時23分 離れたとこに行って立ってる そこまでして避
けるのかよ
 11時14分 買取32000は舐めてるだろ
 34分 最低70000だ
 41分 定価より高く売れるソフトもあった さすが秋葉原
 午後1時14分 レンタカーに空きがなかった トラックじ
ゃ仕方ないかも
 43分 電車に乗るのもこれが最後だ
 50分 できれば4tが良かったんだけど
 3時35分 大きい車を借りるにはクレジットカードが要る
ようです どうせ俺は社会的信用無しですよ
 4時1分 騙すのには慣れてる 悪いね、店員さん
 8時34分 もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自
分にびっくりしてる
 53分 中止はしない、したくない
 【8日】【秋葉原で人を殺します】
 午前5時21分 車でつっこんで、車が使えなくなったらナ
イフを使います みんなさようなら
 44分 途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな
 6時0分 俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか
 2分 いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙され

 3分 大人には評判の良い子だった 大人には
 友達は、できないよね

 4分 ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた
奴らがいる

 5分 全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中に
まだ入っていることが、少し嬉しかった
 10分 使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺
の邪魔をする
 31分 時間だ 出かけよう
 39分 頭痛との闘いになりそうだ
 7時12分 一本早い電車に乗れてしまった
 30分 これは酷い雨 全部完璧に準備したのに
 47分 まあいいや 規模が小さくても、雨天決行
 41分 晴れればいいな
 10時53分 酷い渋滞 時間までに着くかしら
 11時17分 こっちは晴れてるね
 45分 秋葉原ついた 今日は歩行者天国の日だよね?
 午後0時10分 時間です
 

時系列
1998年 4月 青森高校に入学 
1999年 4月 2年から理系に選択。  
2000年 夏 家出  
2001年 3月 高校卒業。自動車整備の短大に入学。  
2003年
3月 卒業  複数の派遣会社に登録。  
4月 仙台市で過ごす。警備員。一時、友人と同居。  
2005年
2月 「自動車関連の仕事を希望する」として退職。 
4月 日研総業から、日産ディーゼル工場上尾工場に派遣。
2006年
4月 無断欠勤。18日付けで解雇。 
5月 大阪府高槻市のは見解社の求人をみて、半年契約で登録。茨城県内の住宅建材メーカーで働く。
8月 突然、寮から行方不明に。契約を解除(スポニチ)
夏 友人3人の携帯電話に、車を使った自殺をほのめかす一斉メール。 
2〜3ヶ月後、「生きてます」「死に損ねた。ごめんなさい」  →事件数ヶ月前に、メールが途絶える。   2007年
1月 青森市の運送会社でトラック運転手。 
9月 「家庭の事情」を理由に退社。両親が別居。青森市の若者向け就職支援センター(ジョブカフェ)を訪れる。自動車関係の職種を希望。「派遣でもいい」「県外でもいい」  別の派遣会社に登録。工場に派遣。
11月 募集広告を見て、日研総業に応募。塗装工程担当。
2008年 
1月〜2月 青森市の就職支援センターで就職相談 
3月 「東京に遊びにこないか」と友人にメール。「だめだ、生きていても意味がない。死んでしまいたい」というメールを最後に途絶える。 
5月下旬、「借金を踏み倒して逃げ出してきた。両親は離婚し、自分は住所不定みたいなものだ」「レンタカーを借り、(工場の)搬入出入り口に4トントラックを止めて(業務を)妨害しようか」
6月5日午前6時過ぎ 早番勤務。「つなぎがない」「この会社はなめている」と早退 
同日午前中、派遣元の社員が「作業服はいつもの場所にあった」と伝える。「きょうは休みます」と初めての欠勤。  
6月6日 欠勤。 午後0時40分頃、福井市でナイフを購入。   
6月7日 秋葉原。
6月8日 犯行直前 現場を試走。 
午後0時35分 事件 現行犯逮捕。 
死亡した東京芸大4年武藤舞さん(21)が携帯電話で、加藤容疑者が2トントラックで通行人をはねた直後に110番していた(東京新聞)  
10日午前 送検

 
 

秋葉原殺傷10年

動機はネットトラブルの言葉「本心か」

毎日新聞

 

湯浅洋さん

秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚が書いた謝罪文

元タクシー運転手、死刑囚に何度も手紙

 東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件は、8日で発生から10年を迎える。殺人罪などで死刑判決が確定した加藤智大死刑囚(35)は動機について「ネットでのトラブルだった」と公判で語ったが、脇腹を刺され生死の境をさまよった元タクシー運転手の湯浅洋さん(64)のわだかまりは消えない。「あれは本心だったのでしょうか」。湯浅さんは加藤死刑囚に手紙を書き続けている。

 2008年6月8日。日曜日の歩行者天国、午後0時33分--。タクシーを運転していた時、人混みに2トントラックが突っ込むのを見た。とっさに車を降り、はねられた人に駆け寄った途端、背中に衝撃を感じた。抱きかかえられるようにして脇腹を刺され、路上を転げ回ったところで記憶は途切れる。意識が戻ったのは4日後だった。

 

 「事件直前に『派遣切り』を告げられたことで、社会を恨んだのではないか」。こうした動機が取りざたされた。だが加藤死刑囚はこれをかたくなに否定した。公判で「ネットの掲示板で嫌がらせする人に、やめてほしいと伝えるための手段だった」と主張し続けた。

 

 「ネットでのトラブルだけで、全く無関係な多くの人を殺傷できるのか」。湯浅さんは加藤死刑囚の言葉に納得することはできなかった。事件の1年半後に届いた謝罪文の手紙に返信を書いた。「なぜこんなに重大な事件を実行してしまったのか。一緒に考えたいと思います」。1年以上たってから2通目が届いたが、答えは書かれていなかった。拘置所にいる加藤死刑囚に4度面会を求めたが拒まれた。

 

 後遺症は残る。冷や汗やめまい。急に目の前が見えなくなることもあった。2年前に運転手を辞め、知人のつてで島根県浜田市の食品工場で働く。加藤死刑囚と同年代の息子たちとは離れて暮らす。

 

 昨年5月、車で1400キロを走り青森市に向かった。加藤死刑囚が生まれ育った街に行けば、事件のことが少しは分かるかもしれないと思った。卒業した中学校や高校を眺めた。帰宅後に7通目の手紙を書いた。「見せてもらえませんか。加藤智大の今を、心を」

 

 最近、ツイッターで多くの人と事件について議論したいと考えている。「いろんな意見を聞きたい。それに若い人に事件のことを知ってもらえれば、同じ事件を防げるんじゃないかなって」。生き残った被害者にとって、10年の節目も通過点に過ぎない。湯浅さんは3通目の手紙を待ち続けている。【土江洋範】

 

秋葉原無差別殺傷事件 2008年6月8日午後0時33分ごろ、東京都千代田区外神田の歩行者天国で、加藤智大死刑囚がトラックで歩行者を次々とはねた後、ダガーナイフで無差別に切りつけた。男女7人が死亡し、10人が重軽傷を負った。加藤死刑囚は殺人罪などで1、2審で死刑判決を受け、15年2月に上告が棄却されて刑が確定。動機について、最高裁第1小法廷はネットのトラブルのほか「派遣社員として職を転々とする中で社会への不満を募らせ、孤独感を深めた」と指摘した。

https://mainichi.jp/articles/20180608/k00/00m/040/166000c