警察庁の統計によると、年間自殺者数は1998年から2012年まで3万人を超えていたが、13年以降は3万人を下回っている。一方で、若年層の自殺者は減少幅が少ない。小中高生は年間300人前後で推移し、16年は320人だった。また、10代から30代の死因一位は自殺だ。自殺者の自殺未遂歴は、男性は1割だが、女性は3割。未遂を繰り返していると、自殺で亡くなる危険が高くなる。

 

 藍子(31、仮名)も未遂を繰り返した一人だ。

 

 「親のせいにしていいのは25歳まで。あとは自分で向き合うだけ。そう思っていた」

 

 藍子は、家族、特に父親に翻弄された。そのため、何度も自殺を試みようとしている。高校時代は、ビニール袋と風邪薬を使おうとした。また、ドアノブに紐をかけて、自室で死のうとしたが、できなかった。電車に飛び込もうと思ったが、他人の迷惑になると思い、実行はしなかった。

 

 22歳のとき、友人の勧めで、精神科へ通ったことがある。うつ病と診断された。

 

 「自分の欠陥を親のせいにして甘えていいのはせいぜい25歳までと思い、自分で自分を律することができると思っていた。でも、なかなかできないもんですね。できないまま、30歳を超えた。だから、もう一回、親のせいにしてもいいのかもしれない」

昨年11月にも、大量服薬をした。藍子の自傷行為や自殺未遂の背景には何があるのか。

家族が「普通じゃない」と気づいた高校時代

 藍子が「死にたい」と思い始めたのは中2のころだ。家族関係がぐちゃぐちゃということを自覚し、無気力になっていた。高校のときには常に「死にたい」と思っていた。「普通だと思っていた家族」が、「じつは変」とわかったのは、父親に殴られることを彼氏に話した時だった。

 

 「そんなの普通じゃない」

 

 父親のご機嫌をとりながら、毎日、食事をしていた。気に入らないとすぐ殴られた。殴られないための「正解」を藍子は導き出せない。「基準」が曖昧すぎるのだ。母親も藍子を殴っていた。彼氏に言うまで、他の家でもこんなもんだと思っていたという。

 

 高校生のある日、藍子は母親になぐられそうになったとき、「もうやめろよ!」と振り上げた手を力いっぱいつかむと、母親は止めた。娘の抵抗は意外だったのか、それ以後、殴らなくなった。

 

 「でも母親は父親の味方。子どもの味方にはならない。父は怖いので、殴られるのを止められない」

 

 父親は何でも思いのままにしようとする人だった。バブルの時期、使い放題かのように、よくお金を使ったので、金回りが良かった。同時に、父親は浮気もしていた。藍子が幼稚園生の頃、父と浮気相手と、藍子の3人で遊びに出かけた記憶さえある。

一方、母親はそんな環境からかヒステリックで、今の藍子さんから見れば、「ノイローゼだった」という。母親から「なんでこんなことができないの?」と言われた記憶がある。細かいことでよく怒られた。封筒に切手を貼ったが、上下が逆だった。藍子は貼り直そうとし、もたついていた。神経質だった母親は「なんでこんなことばかりするの!」と怒鳴った。そんなことを覚えている。

父が物に当たったとき、母は「あなたのことを愛しているから、殴られなかったの」

 そんな中、藍子は「マリア様のいる学校に行きたい」と言い出した。そのため、小学校の受験をすることになる。土曜学校には行っていたものの、両親ともクリスチャンではない。なぜ、そう言ったのだろう。

 

 「宗教的な信仰心ではない。教会にあるマリア様の近くに石を集めて祭壇を作っていた。造形にはまっていたからでしょうか」

しかし、小学校の受験に失敗してしまう。ただ、受験ということが頭に残ったのか、中学受験をすることにもなる。小学生のころは、勉強をさせられた以外は記憶がない。

 

 「4年生から6年生までは、中学受験のため塾へ行きました。でも、勉強、勉強で追い詰められていました」

 

 自分からミッション系の学校を希望したものの、母親が教育ママということも手伝って、自らの首を絞めるかのように苦しくなっていく。母親には「なんでもいいから勉強しなさい」と言われ続けた。勉強漬けの成果もあり、私立中学に合格した。すると、ヒステリックだった母親は厳しいことを言わなくなっていった。一方で父親は金回りが悪くなり、イラついていた。

 

 「目が気に入らない」

 

 父親が自分を殴る理由が「目」。藍子は「私が悪いんだ」と思うようになった。父親は周囲の物にあたることもあった。暴れて父がベッドを蹴り、ベッドが壊れる。その木片で父は藍子を打った。藍子の足には大きな痣ができた。藍子の部屋にある木のラックを殴ることもあり、勢いがあまったのか、父親は自らの腕を折った。母親はそのときこう言った。

 

 「パパはあなたのことを愛しているから、あなたを殴れなかったの」

 

 それを聞いた藍子は「愛してるって何?」と感じた。愛していると、暴れられても父を許さないといけないのか?とも思った。藍子に葛藤が起きるが、父親へ怒りの感情が湧き上がらなかったのはすべての感情を押さえ込んだからだ。

 

 「我慢していたんだと思うけど、当時は、我慢している感覚はなかった。辛いとだけ感じた。鈍感になっていたのかも」

 

無気力になる中学時代 「加害者になるかも」

 そうした家庭環境によって、無気力になっていく。そのため、学校にあまり行かなくなった。ソフトボール部に所属していたものの、中2のときに退部した。

 

 「学校では感情をなくし、ぼーっとしていた。そのため、部活では後輩に対して厳しく指導することができなかった。しかし、ゆるくすると一年生には舐められる。部活以外は、学校で何をしていたのかは忘れてしまった」

 

 一方、藍子は「自分が大切にされたい」という自己愛は強かった。幼少期の父親の行動をみていたせいもあり、「自分は浮気して良いが、彼氏は浮気してはダメ」という発想にもなっていく。独占欲はあって、恋人を監視するようになった。父親が藍子を思い通りしたいように、藍子は恋人にそうしていた。

 

 「生きたいという意欲は少なかったです。(事件があるとすれば)被害者よりも加害者になるメンタリティーがあった。高校生になるまでは、加害者になるかもしれないというストレスを抱えていた」

 

 こんなストレス状態ならば、何か問題が表出してもおかしくはないが、中学のころは、アニメに逃げていた。また、もう一つの逃げ場は、出会い系サイトだ。当時は全盛期で、18歳未満が登録できないように厳格なルールを定めた「出会い系サイト規制法」成立前だった。

 

 「助けてほしいという気持ちだったので、外の世界に行きたかった。知り合った人からゲームを買って貰ったりもした。対価は求められなかった。また、22歳の男性に『好き』と言われて、1人付き合ったことがある。今思うと好きじゃなかったけど、『付き合おう』と言われ、付き合うこと自体に興味があった。でも、『セックスしよう』と言われてもできなかった」

 

 セックスを断ったのは、男性に対して父親のイメージもあったのか、「男の子の人は気持ち悪い」と感じたからだという。それに、女子校であったためもあり、出会い系で男性に会うことだけで満足だったからだ。

ストレスフルな高校時代

 自傷行為が始まったのは高校生の時だった。この時期の、インターネットには自傷行為を告白するサイト、傷の写真を載せるサイトが多かった。すえのぶけいこの「ライフ」や矢沢あいの「NANA」などの漫画でも、自傷行為を扱うものが増えた頃だ。これらの時代性もあったのかもしれない。

 

 高3になると、彼氏の友達の家に「家出」をするようになった。携帯電話を持っているために親との連絡手段はあるが、連絡があっても無視し続けた。

 

 「家出のきっかけは、彼氏と一緒にいるのが楽しかったから。遊びに行ったまま帰らなくなった。そのまま家出した感じ。自我が芽生えたのか、ここには味方がいると思えて、逃げていいんだと思えた。それまでは『逃げちゃダメだ』と思っていた。私の反抗期は押さえつけられていた」

 

 ただ、学校には通った。その意味では、行方不明ではないので、プチ家出のようなものだ。こうした生徒だと、担任は厳しく接することもあるだろうが、どうだったのか。

 

 「ダメな子ほど可愛いのか、気を遣ってくれていた。世話焼きだったし、『とりあえず、卒業しよう』と言ってくれた。緩い先生だったけど、あの担任じゃないと卒業できなかったと思う。優しい人で、今でも感謝しています」

 

 家出先の彼氏の友人と、父親が喫茶店で話し合うことがあった。そのとき、藍子は一緒にはいないが、彼氏の友人が帰ってきて、話し合いの内容を聞かされ、びっくりした。

 

 「父親は『あの子は虚言癖がある』と言っていたというのです。父親が威圧的で、殴られるというのは、私の妄想なのか?でも、父親が否定しているということは、悪いことをしている自覚があるってことだと思う。でも、今でも思い出すと、その発言に対する恐怖が湧き上がる。トラウマとして残っている。父親の暴力が私の妄想なら、全部自分が悪いんじゃないかって」

「ノーと言わない」母が離婚を切り出した理由は?

 その後、祖父が亡くなったため、相続で土地を分けようということになったが、父親は勝手に売ってしまい、祖母が激怒した。金回りが悪くなっていたが、家にはそのお金があったはずだった。それも父親が勝手に先物取引に使ってしまう。結果失敗。ますます困窮した。

 

 そんな父親に、母親が我慢できなくなったのは、藍子が21歳のとき。両親は離婚した。父親は家族の危機でも、浮気相手を選んだエピソードがある。

 

 藍子が男友達のバイクの後ろに乗っていたとき、車と衝突した。そのため、藍子は手術することになった。母親は韓国に旅行に行くはずだったが、キャンセルして病院に駆けつけた。一方、父親は「仕事でベトナムへ行く」ことになっていたため、病院には来れなかった。しかし、実は、父親は浮気相手とハワイ旅行に行っていた。

 

 「娘が大変なときに、愛人と旅行?いい加減にしろ」

 

 両親は大学時代に知り合い、結婚した。父親は「ノーと言わない女」が好きだったようで、母親はまるでダメな男に洗脳されているかのようだった。しかし、このときばかりは怒っていたという。母親はつもり積もったものがあったのだろう。離婚を切り出したのだ。ダメな父親を支えていた面もあった母親だが、限界だった。

職場ではパワハラ。今後の夢は?

 なかなか自分自身を認めてもらえる場がなかった。25歳のとき、撮影会モデルに登録した。ポートレート作品の被写体のため、手首を切るのをやめた。1枠90分。時給は6千円ほどになった。

 

 「最初は『認めてほしい』という気持ちが強かったが、表現が楽しくなってきた。今はカメラマンさんとのやりとりでどんなものができるのかを楽しみにしている」

 

 また、ライターをして、シナリオを書いていた時期もある。ただ、職場で、パワハラと受け止められる出来事が多かった。部長の威圧的な態度も好きではなかった。

 

 「部長に『女の部下なんて要らなかった』と言われたのがきつかった。これだけ一生懸命しているのに、私のことを見てくれていなかったんだ」

 

 そんな時期に、自伝的エッセイ『女子を拗らせて』(ポット出版、2011年)などの著者で「AVライター」を自称する雨宮まみさんの作品を読むようになった。女性であることに自信が持てない一方で、「美しくなりたい」「自由でいたい」という雨宮さんに藍子は共感していた。しかし、2016年11月、雨宮さんが亡くなったことを知る。

 

 「親近感を感じていたんです。でも、亡くなったことをネットで知って、ショックだった。訃報を聞いて寂しかった」

 

 最近は、親子エッセイを読むことが多く、両親は『毒親』という言葉がぴったりくるという。毒親とは、アメリカの精神科医、スーザン・フォワード著の邦題「毒になる親」(毎日新聞社、1999年、原題は「Toxic parents」)から生まれた言葉で、子ども支配する親のこと。虐待をしているケースも多い。

 

 「『母がしんどい』(田房永子著、中経コミックス、2012年)を読んで、面白く、衝撃的だった。同じような感覚を持っている人が、あ、いるんだと思った。SNS時代になって、同じ悩みを抱えた人がいるってことがわかってきた」

 

 同書は、母親からの過干渉に悩み、娘を育てるなかでの葛藤を描いた作品。書きたい欲求は藍子にもあった。ただ、エッセイではなく、また脚本を書きたいという夢がある。どんなものを書きたいのか。

 

 「『うる星やつら』のような、キャラクターが生き生きとした話。自分自身の問題を書く人にはならない。ただ、登場するキャラに、薄く自分を入れる程度には書きたい。でも、躁鬱病が治ったら、クリエイティブがなくなるかも?と医者に言われたことがあって、それがちょう怖い。ただ、うつになりすぎると書けない。どっちでも一緒か...。一年くらい何も書きあげられていないのもまた、すごく怖いんですよ」