絆って言うな!絆って言うな!
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 新刊「絆って言うな!」でも取り上げた、宮城県石巻市の大川小学校。東日本大震災では、児童74人と教職員10人が死亡・行方不明になっている。この津波避難をまぐって、一部の遺族が宮城県と石巻市を相手取り、23億円の損害賠償を求めていた訴訟で、仙台地裁(高宮健二裁判長)は、遺族側の主張の一部を認めた。

 

 石巻市も宮城県も控訴の方針。

 

 石巻市議会は市側の控訴を認めた県は専決処分とした

 

 両者が控訴するのは、判決内容に問題があるとしたからだ。

 

 河北新報に掲載された判決要旨は次の通り。

 

【事実経過】
 大川小の教員らは地震直後、児童を校庭へ避難誘導し、保護者らが迎えに来た児童以外の下校を見合わせた。学校は海岸から約4キロ離れ、県の浸水予測では津波は及ばないとされていた。集まってきた地域住民の対応をしながら、ラジオ放送で情報を収集。午後3時半ごろまでに、従来と格段に規模の異なる大きな津波が三陸沿岸に到来し、大津波警報の対象範囲が拡大されたことを認識した。
 石巻市の広報車は、遅くとも午後3時半ごろまでに津波が北上川河口付近の松林を越えたことを告げて高台への避難を拡声器で呼び掛け、学校前の県道を通過。教員らはこれを聞いていた。
 教員らはこの直後ごろ、大川小から西に約150メートル離れた河川堤防近くの県道と国道の交差点付近に向け、校庭にいた70人余りの児童とともに移動を決め、同35分ごろまでに出発した。大川小には同37分ごろ津波が到来。教職員と児童は歩いている間に津波にのまれ、裏山に逃れた教員1人と児童4人が生き残った以外、全員が死亡した。

 【注意義務】
 広報車による避難呼び掛けを聞く前は、学校に津波が到来し、児童に具体的な危険が及ぶ事態を教員らが予見可能だったということは困難だ。この段階では県内に津波が襲来するという情報しか得ていない。裏山も土砂災害の危険はあった。
 だが、広報車の呼び掛けを聞いた段階では、程なく津波が襲来すると予見、認識できた。地震は経験したことがない規模で、ラジオで伝えられた予想津波高は6~10メートル。大川小の標高は1~1.5メートルしかなく、教員らは遅くともこの時点で、可能な限り津波を回避できる場所に児童を避難させる注意義務を負った。

 【結果回避義務】
 移動先として目指した交差点付近は標高7メートル余りしかなく、津波到達時にさらに避難する場所がない。現実に大津波到来が予期される中、避難場所として不適当だった。
 一方、裏山は津波から逃れる十分な高さの標高10メートル付近に達するまで、校庭から百数十メートル移動する必要があったが、原告らの実験では、移動は徒歩で2分程度、小走りで1分程度だった。斜面の傾斜が20度を上回る場所はあるが、児童はシイタケ栽培の学習などで登っていた。避難場所とする支障は認められない。
 被災が回避できる可能性が高い裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した。教員らには結果回避義務違反の過失がある。

 つまり、この判決では、津波がくる7分前に、市の広報車が津波がくると呼びかけていたのだから、少なくとも、この時点で津波がくる予見性があった、と。そして、川を遡上する津波に対するリスクを回避する義務を怠り、河の近くの三角地帯に避難したのは過失があるとした。予見した段階で裏山に避難したら、子どもたちは助かった、という論理だ。

 

 これでは、現場の教員にだけ責任を押し付けた格好だ。市教委は、津波避難マニュアルを作成するように言っていたが、大川小はそのマニュアルでは津波時の避難場所(「近隣の空き地・公園」とだけある。校長は体育館裏の児童公園というが、職員間で認識していたかはわからない)を曖昧にしていた。また、地震想定の避難訓練でも、保護者への引き渡し訓練を一度もせず、津波想定の避難訓練は一度していない。こうした事前対策の不備には触れていないという点では、行政の瑕疵があるのではないか?と原告の遺族は主張したが、この点は認められていない。

 

 たしかに、県や市が言うように、現場の教師だけが責任を重くしている判決はいただけない。石巻市では、控訴するのに、市議会の承認を求めたが、議会側から賛成討論はなかった。反対討論は、遺族の思いを汲み取り、判決を受け入れろというもの。結果は、賛成16、反対10で、控訴を認めた。賛成討論がないのに、賛成というのは、市議会が市長の意見を丸呑みするばかりか、市議会の形骸化につながっている。市長の承認機関となってしまっている。賛成なら賛成と、堂々と意見を出して欲しいものだ。

 

 私も判決内容の是非だけ考えれば、地裁判決には異論がないわけではない。しかし、遺族側が求める、生存教諭の証言が、実現可能性がない中では、政治的に受け入れる判断もあったのではないかと思えてくる。もちろん、遺族が求める真実追求(つまり、なぜ、校庭に長い時間(51分間)止まっていたのか。三角地帯は不適当な場所であっても、仮に、早い段階で三角地帯に避難できていれば、さらなる避難ができたはず。なぜ?)はまだ途上だ。

 

 控訴になったからには、裁判所には、その点を考慮してほしいものだ。

 

 

はじめに

 第1章 被災者とは誰のことなのか

  被災地とは、どこなのか?

  メジャー被災地とマイナー被災地

  被災者を分断する支援

  遺族とは誰のことを指すのか

 「濡れ組」と「乾き組」

  震災と自殺

  復興する被災地で拡大する格差

 第2章 崩れゆく被災者同士の絆

  救えたはずの小さな命

  子どもを失った母親は語る

  悲しみの深さは何が基準となるのか

  シングルマザーと震災

  避難生活により増加したDV

  震災で離婚は増えたのか

 第3章 地域復興と翻弄される住民

  役に立たなかった標識

  地盤沈下と冠水の被害

  防潮堤の建設をめぐり混乱する住民

  壊れた鉄道はバスで代用すればいいのか

  被災地復興とスポーツイベント

  減り続ける被災地人口

  国道六号線と住民の絆

 第4章 震災の傷跡とどう向き合うのか

  泥棒と震災

  震災と性犯罪

  大川小学校ーー理不尽な事故検証

  機能しない第三者委員会

  破壊した町役場を保存するのか

  震災遺構ーーなくしたい住民と残したい住民

 第5章 報道の裏側から見えた原発被害

  役に立たない官僚たち

  避難区域が被災者の心を分断する

  あいまいな政策に振り回される住人

  区域を分けて除染すれば安全なのか

  牛の全頭殺処分に抗う

  不安を抱えながら福島に戻る人々

  素人にどう判断しろと言うのか

  被災者の思いを無視して解除された避難指定

  「原子力 明るい未来の エネルギー」から四五年

 第6章 エゴ、震災、そして絆

   高速道路の無料化とボランテティアの分断

   震災五年後の炊き出しボランティアに意味はあるのか

   「福島は制御せれている」ーー根拠のない首相発表

   御用学者と批難される南相馬の医師

   放射線量はゼロベクレルにならない

   地域を分断した避難用の高台建設

   東日本大震災ーー薄れゆく人々の関心

 おわりに