ジョルダンニュースでの連載「被災地の記憶」の3月分です。


●今年は見られるか?「夜ノ森」の桜並木(福島県富岡町)=渋井哲也、被災地の「記憶」(第76回)

東京では基準木となる靖国神社の桜が咲き始めました。東北地方ももうすぐ桜の季節となるでしょう。

福島県富岡町の夜ノ森の桜並木は、東京電力・福島第一原発の事故により、警戒区域に指定され、その内側となってしまいました。そのため、昨年まで、桜並木を見ることができませんでした。現在は、全てを見れるわけではありませんが、警戒区域見直しのため、一部の桜並木を見ることができます。(その後を読む


●日頃の避難訓練の成果で津波から逃げられた相川小学校、今はもうない=渋井哲也、被災地の「記憶」(第75回)

追波の流れゆうゆうと
太平洋に入るところ
ただいに睦む学舎の
もとい定めて幾年を
栄える相川小学校

これは宮城県石巻市立相川小学校の校歌です。相川小学校は1873年(明治6年)に、十ケ濱小学校として開校しました。1897年(明治30年)に校舎を移転しました。そこが東日本大震災のときまであった相川小学校の場所でした。しかし、校舎が使えなくなったことや児童数の減少で、橋浦小学校や吉浜小学校と統合。新たに北上小学校となりました。そのため、この校歌を歌うこともなくなりました。(その後を読む



●震災から3年。取り壊された「鵜住居地区防災センター」の跡地で=渋井哲也、被災地の「記憶」(第74回)

 横浜市在住の三浦強さんは3月11日、ふるさとの岩手県釜石市鵜住居に来ていました。東日本大震災当日、両親は「鵜住居地区防災センター」に避難していました。地震があり、津波警報が鳴り、生きるために避難をしたのです。(その後を読む


●「できれば『あの日』の前に戻りたい」。東日本大震災から3年を経て思うこと=渋井哲也、被災地の「記憶」(第73回)

東日本大震災から3月11日で3年が経ちます。
私はあの日、仕事のため都内の自宅から外出したばかりでした。しばらくして地響きがなりましたが、地震だと思わずに、「トラックが暴走しているの?」と思い、交差点近くにいた私は後ろを振り返りました。トラックは見えず、周囲を見渡すと、ビルが揺れているのがわかりました。(その後を読む


●間もなく東日本大震災から3年。真実を求めて裁判をする遺族=渋井哲也、被災地の「記憶」(第72回)

間もなく東日本大震災から3年。

避難行動を巡って様々な検証がなされ、ときには訴訟にまで発展していることもあります。「あの日」を思ったとき、被災者・遺族は「なぜ亡くならなければならなかったのか?」と振り返ることもあれば、「もう帰ってこないのか」と何度も確認してしまうこともあります。「できれば前日に戻りたい」と口にする人もいたりします。(その後を読む