東京電力・福島第一原子力発電所(1F)の事故を受けて、1Fから20キロ圏内は「警戒区域」に設定されています。警戒区域内の住民たちは、事故の日(3月12日)、避難指示が出て、分けも分からず、着の身着のまま、避難するしかありませんでした。なかにはペットと離ればなれになってしまう人たちもいます。そこで、警戒区域内に置き去りにされてしまっているペットの飼い主を中心に、「原発事故被害ペット飼い主の会」(ブログは「原発事故被害ペット飼い主の会」、Twitterのアカウントは、GenpatupetKai)が作られました。


$てっちゃんの生きづらさオンライン@Ameba


 呼びかけ人の女性の1人は、双葉郡富岡町に住んでいました。3月11日の地震直後、富岡2中の体育館に避難しました。そのとき、猫2匹は一緒じゃありません。無事は確認しましたが、そんなに長く離ればなれになるとは思っていませんでした。

 翌12日の朝、避難命令が出ました。川内村に避難するようにと言われたのです。このとき、すでに10キロ圏内の避難命令は出ていましたが、多くの富岡町民は知らされていませんでした。そのため、「すぐに帰ってくるから大丈夫」と思い、猫を一緒に連れて行きませんでした。このときからペットとの離ればなれの生活となるとは思っていませんでした。

 ちなみに、1Fの立地町である大熊町と双葉町では、茨城交通のバスが用意されて、集団で避難することになります。一方、隣接町の富岡町ではバスは用意されたものの、原則的には、住民達は自分たちで避難することになったのです。

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 この女性が飼っていた猫はいったいどうなったのでしょうか。警戒区域と設定される前の4月、立ち入り制限区域だったために立ち入りはできました。その歳、1匹は見つけることができました。しかし、見つけることができません。10月の一時帰宅の際にも猫を探しましたが、猫はいません。4時間の滞在で、2時間近くは猫を探し、猫の名前を呼び続けたそうです。

 これまでも県庁で1人で行き、ペット救出の要請をしたこともあるといいます。しかし、県側は「伝えておきます」というだけで、対応はしません。そこで団結して訴える必要を感じたのです。

 「県外に出たいというのが本心ですが、猫もいる。『あのときはごめん』と言いたい。でも、戻って来れなくなるとは思っていなかった。飼い主の中には、猫がいないということで、寝込んでいる人もいるんです。社会問題にしないと助かるものも助からない。最後の一匹がみつかるまで活動を続けたい」

 2011年12月に第一回の会合を、南相馬市原町区と郡山市で開いています。2012年1月にも会合を開くことを予定しています。

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 写真はすべて、会の関係者からの提供です。

 12月27日のニコ生「フリージャーナリストが“みた”震災復興の光と影~震災成金、復興デリヘルからセシウム米、津波差別まで~」でも、写真を紹介しようと思っていたのですが、時間がなく、終わりに少しだけ触れただけで終わってしまいました。