ノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教のの最高指導者・ダライ・ラマ14世が11月4、5日、東日本大震災の被災地(宮城県仙台市、石巻市)を訪問し、被災者とふれあい、犠牲者への慰霊法要を行った。それに先立って11月3日、仙台市内のホテルで記者会見(主催:仙台仏教会)をした。

 記者会見の模様の一部をYou tubeにあげた。

 

 4日は、石巻市門脇町の西光寺を訪問。法山寺幼稚園の園児がお出迎え。震災で親を亡くした子ども2人を抱擁した。挨拶のとき、ダライ・ラマ法王は「被災地訪問の目的は、痛みと苦しみを同じ人間兄弟としてみなさまとともに分かち合いたいと感じたから」と話した。

 「1967年に初めて訪問して以来、古くからの友人がいる。その方々を慰めたいと思った。震災後初めて訪日したのが49日の日だった。私の心の中ではそれだけでは十分ではないと思っていた。被災地を訪問し、苦しみをともに分かち合いたいと思った、それが今日、希望が叶った」

 「この場所まで車で来たが、車の運転手に『津波はどのへんまで到達したのか?、どこまで高かったのか?』を聞いた。当時の様子を聞くと、『さぞかに大変な思いをしただろう』と思った。ここに着いて、みなさんを見た時に、それを本当に悲しく感じたのです。しかし、このような悲しい出来事はすでに起きてしまいました。それは変えることはできません。人間の知性でどのように対処すべきかを考えるべきなんです。優しさと思いやりを持っているわけです。いかに今日、今日だけでなく、未来を切り開いていけると信じている」

 「悲しい思いをした子どもたちを支え、すぐれた教育を与えることによって、次の世代の人々を押し上げて行くことに努力していただきたい。そうすることによって、次の世代の子どもたちを強い人間として育てていただきたい」

$てっちゃんの生きづらさオンライン@Ameba



 法王自身の苦しみとは何か。例え話として、チベットの亡命政府の話をとあり上げた。

 「私の人生でとても辛かった出来事を皆様と分かち合いたいと思います。1959年3月17日のチベット・ラサでの出来事です。中国の軍隊にすべて取り囲まれてしまい、もうどうしようもない困難な事態に追い込まれてしまったわけです。そのため、ここから逃げなければならないという決断を迫られる事態になってしまいました。多くの友人たちと離れて、脱出しなければならない事態に追い込まれてしまったのです。それによって、何千人ものチベット人が中国軍に殺されてしまいました。私の大切な方々もと尊い命を落とされてしまいました。非常に辛い体験でした。非常に悲しい思いをしました」


 ダライ・ラマ法王がこの話を取り上げるのは異例らしい。20年間、ダライ・ラマを追いかけている女性によると、文章ではよく書いているが、肉声ではこれまで聴いたことがない、という。
 
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 5日は、仙台市の孝勝寺で慰霊供養と講話を行った。

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ダライ・ラマ、被災地で法要=「悲しみを再建の力に」―宮城・石巻
時事通信 11月5日(土)12時23分配信
 チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が5日午前、東日本大震災の犠牲者の慰霊のため、甚大な被害を受けた宮城県石巻市にある西光寺で法要を行った。ダライ・ラマが被災地を訪れるのは初めて。震災で家族や友人を失った参列者約1000人を前に、「悲劇が起きてしまったが、悲しみに沈み過ぎずに故郷再建の力に変えてほしい」と語り掛けた。
 ダライ・ラマは、沿道で出迎えた園児や参列者に「孤児はいるのか」「津波のときはどこにいたのか」などと声を掛けながら参堂。チベット語で読経した後、説法し「日本人には強い精神力と協調性がある。町をよみがえらせ、良い教育を与えることで、次なる世代に幸せを引き継ぐことができる」と被災者を励ました。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111105-00000045-jij-soci