東日本大震災は様々な被害をもたらしています。地震、液状化、津波、そして原発事故。24~26日は、福島県飯館村や郡山市に行って来た。

 飯館村は、福島県の内陸部の中通りと浜通を分ける山間部にある。平成の大合併でも周辺の市町村とは合併せずに、自立の道を選択した村でもある。2003年9月から、原町市、鹿島町(ともに現在の南相馬市)との3市町村による合併協議会ができていた。12月の住民投票では、反対52.67%、賛成47.33%で、反対が多かった。最終判断は村と村議会の協議に委ねられた。その後、小高町を加えた南相馬合併協議会がつくられたが、04年9月、合併協議会からの離脱を決める。10月の村長選挙でも、自立の道を訴えた菅野典雄氏が3選。11月の臨時村議会でも、合併離脱を正式表明した。05年12月定例会で自立計画了承される。

 (*参考 市町村合併問題への取り組みから自立へ 福島県本部/自治労飯舘村職員労働組合 )

 南相馬市となった3市町とかつて合併協議があったほど、親しみのある地域。原発事故があってから、県庁所在地の福島市や隣接の川俣町に避難する住民のほか、より原発に近い南相馬市に避難する住民もいるくらいだ(といっても放射線量の値は、福島市や飯館村に比べると、南相馬市のほうが低い)。


 $てっちゃんの生きづらさオンライン@Ameba

 そんな地理的な条件や自立への道の経緯を考えると、今回の原発事故はやりきれない思いがあったに違いない。内閣府の飯館村川俣町の現地対策本部が設置されたのは4月22日。由良英雄・本部長は「毎日のように住民は避難している。説明会を開いたりしているので、相当避難が進んでいる」との認識を持っている。また、「線量分布を考えると、1日8時間屋外にいることを想定しても、年間20ミリシーベルトを超えるところはない」としながらも、「避難が遅れることのないようにバランスよくサポートしていきたい」と話していた。

 村職員は全員、線量計をつけている。一ヶ月で241マイクロシーベルトの職員もいれば、400マイクロシーベルトを超える職員もいる。屋内での仕事が多いか、屋外での仕事が多いかで差が出ているが、いずれも、年間20ミリシーベルトを超えない。ただ、住んでいる地域によっては月間で1000マイクロシーベルトを超えていることもあるという。

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 25日12時47分の飯館村のモニタリングポストの数値は「3.07」を示していた。

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 子どもたちはどうしているのか。村教委によると、子どもたち(幼稚園児、小学生、中学生)は4月4日現在、662人いたが、5月23日現在では461人に減少している。また、村内での幼稚園(2)、小学校(3)、中学校(1)が開くことができないために、隣接する川俣町の施設を借りて運営している。避難にあたって、1)線量の数値を踏まえて、安全で安心であること、2)村に近いこと、3)子どもたちが保護者と一緒に避難すること、を原則としている。これらを踏まえられるのは隣接の川俣町だったという。

 ただ、まだ避難が進んでいないために、6月10日まではスクールバスを飯館村内でも運行させるというが、これはジレンマだ。

 「スクールバスを運行することで子どもたちの利便性を確保することになるが、運行することはかえって避難が進まない」

 とはいいながらも、現在は、避難先となっている福島市と村内のルートを運行しているが、6月10日以降は、福島市内からのスクールバスのみにしたい考えだ。しかし、すぐに避難できるわけでもない。大倉地区の70世帯は、隣接する南相馬市に避難を希望している。しかし仮設住宅の場所がなく、7月上旬までかかってしまう可能性もあるともいう。

 教育長は「正しく怖がることが大切。楽観的に悲観的にもならないように」と話していた。しかし、線量が高い地域で、子どもを含む村民達がマスクをしていない様子を見かけた。放射能は目に見えなず、影響もすぐにでるものではない。そのため、「慣れてしまっている」と話す人もいるくらいだ。科学的に何が正しいのか?といった情報が不足している。

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*<東日本大震災ルポ・被災地を歩く ビジネスメディア「誠」での連載>

 
 



*<「3.11 絆のメッセージ」(東京書店、被災地復興支援プロジェクト)
 この本は、3月11日に発生した東日本大震災の被災者の声を集めたものです。主に津波被害の被災地域でのインタビューを集めました。家族を失った人、家が流された人、大切なものをなくした人、生まれ故郷の風景を失った人、様々な人たちがインタビューに協力していただけました。なるべく多くの人に、被災者の気持ちを届けたいと思います。