3月11日の東日本大震災の翌朝3月12日午前3時59分、長野県栄村では震度6強の地震が発生した。いわゆる「長野県北部地震」などと呼ばれたりする。死者はゼロだったものの、けが人が発生。最大で1700人ほどが避難生活を余儀なくなされていた。
 
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 JR森野宮原駅前の商店街も地割れがすごく、閉鎖する店舗も出てきている。


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 秋山郷のある秋山地区では住民には地震被害がなかったものの、雪崩が起きて道路が寸断され、一次孤立をした。また、小滝地区でも雪崩が発生して孤立。中条川では土石流が発生した。雪が積もっていた時期でもあり、土石流は雪が混ざっている。訪れた5月21日であっても、まだ雪が溶けきっていない。次の写真は、小滝地区で土砂崩れと雪崩が起きて孤立したと思われる場所。

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 小滝地区では、防災訓練上では、公民館の前に集合することになっていた。咄嗟の判断で集まったのは10人くらいだった。その人たちが、周囲の家に安否確認に走った。中澤謙吾さん(58)もその1人だ。中澤さんは肉牛200頭を飼っていた。しかし、地震によって牛舎が崩れて、牛3頭が生き埋めになった。地域が孤立する中で、住民たちの安否確認とともに、牛の心配もしなければならなかった。

 孤立していたため、住民たちはヘリによる救出しなければならないが、長野県の防災ヘリは、前日に発生した東北での地震で出払っていた。そのため、大阪市や京都市の防災ヘリを呼んだ。中澤さんは自宅近くの土地にヘリポートをつくった。ぬかるんでいては危険ということで、ブルドーザーで固めた。この写真はヘリポートをつくった土地だ。

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 住民らが避難する中で、中澤さんの家族は、母親をのぞき、残っていた。牛に水分や餌を与えるのと同時に、なんとか牛を搬出しなければならないからだ。しかし、搬出するためには、雪崩が起きた場所の除雪を拡幅しなければならない。その間、面倒をみていた。4日間かかってやっと搬出したときには、安堵感と切なさの両方を感じていた。

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*<東日本大震災ルポ・被災地を歩く ビジネスメディア「誠」での連載>